数学は楽しい

中学に入ってから毎日我が家の塾に通い母から指導を受けた

塾は来た時間から決められた時間勉強する、

週三日とか四日とかなはずだが、☆は例外で毎日で時間制限もない。

ようは、あまりに勉強ができない☆を知ってしまった母が本気を出しただけで・・・

「来た時間から」だから 友達と遊んで帰ってもかまわない。一番混むのは7時頃、机が満席になると☆は解放される。

ちなみに机は正座式の長机。父が催す宴会に大活躍する。

本当は逆で、我が家に大量にあった宴席用の長机を勉強用に使っただけである。

世の中座敷用の机に文句を言う人などいない時代であった。

 

 

机は銅でもいいのだが

帰宅部・クラブ活動後・夕食後様 と来る時間は何となく同じ顔がそろってくる

一斉授業はない。

一年生はひたすら基礎学力の向上時間だった

小学校の勉強をろくにしていない☆には最適の勉強方法だった

 だって机に拘束されて課題やらないと出してもらえない、

最初は正負の計算、これは大変気に入った。星は単純作業が大の得意である

母手製の十枚綴りのドリル=まだくもんがなかった頃のくもん式=

一冊もらって机にへばりつき、100問終わると採点してもらう。

100問満点で次のをもらえる

99点でもやりなおし 同じのが手わたされる。

一回でクリアしたいと張り切る

一斉にスタートじゃないのに周りより速く提出したいと集中する

手書きガリ版印刷で今のように当たり前にきれいな活字ではないけれど 両親の腕は確かで学校の先生のプリントより断然見やすかった

用紙から5センチで見えていたと思う、

おんなじ課題何回もやらされれば最初のあたりは問題を視るまでもなく答えがかけてしまうのだけれども・・・

 

数学は大変良好で学期末テストで上位者に名前が張り出されている、と同級生が教えてくれた。しかもすごく上の方に。快挙である

ちなみに我が学年は50人クラス7組ある。100人張り出されても上位だ

通信簿も数学は1学年通して4だった

上位30番キープでも5にならないんだよねぇ、

汽車の窓から顔を出してはいけないよ

小学5年の時夜汽車に乗って静岡へ行った

 

どこかの駅で暇になる

5才下の弟が一緒で母は弟を視ている

 

待ち合わせだろうか、汽車は動かない

 

ヒマ

外は真っ暗

 

ヒマ

ちょっと窓の外を見る

窓から首を出して見る

遠くにとっても明るい光があった

ものすごく明るくてワクワクする

小さかった光はどんどん大きくなる

まぶしい程の光は

ふーっと見えなくなった

首を引っ込める

刹那? とたん? 

一秒もたたずして 言いようのない音と共に突風に襲われる

 

声も出ない

唖然である

 

間をおいて 納得する

ああ、あの光は隣の線路を走り抜けた汽車の明かりか・・・

母に見られていなかったことに安心する

 

3年の時の吸い込まれる風もすごかった

 

汽車って・・・・接し方で危ないものだと改めて思い知る

 

密かに自分を戒める

 夜は汽車の窓から顔を出すのはやめよう

 

えだまめをもぐ

小学校から大人まで枝豆もぎは☆の仕事だった

 

学校から あるいは遊んでから家に帰ると台所に どーん と枝豆の山がある

 

あればもぎとる それが仕事だ

いいわけなど存在しない

だいたい、いやだと思わない

 

笹の葉さらさら みたいな大きな枝の端っこから順に枝だけにしていく

全部取るから枝だけ残る

 

必然的に枝だけ残る

豆のかごも枝もそのまま置いておく

 

いつの間にかゆであがって食卓に上がったり

父の宴会に持って行って何にも残っていなかったりする

 

食卓になければ枝豆の処理をしたことすら記憶にない

それほど「当たり前」のことだった

 

 

 

 

仙人は畑が好きだ

ある年枝豆を育てた

枝を山ほど持ってきたので手分けをしてもぐ

仙人は目で視て豆を取る

星ははじっこからなにも考えずにもぐ

星の枝には豆はない

 

仙人は最後に枝の点検をして残ったのを取る

それが当たり前らしく 取りこぼしを探しながら取っていく

 

星はそれをしない

だって 残っているわけがない

父の教育のたまものなのだろう

 

仙人が☆の仕事後を丹念に調べる

一つでも残っていたら「あった、あった」と大喜びで見せつけるのだろうが・・・

 

そうはさせるか 父の教えは完璧なのだから

私は仕事なら競争をしない

強いて言うなら 完璧かどうかのラインはある

 

仙人は家族の誰よりも一番を望む

 

・・・しるか!!

 

以降仙人は枝豆もぎをしない

取ってきた豆付き枝は山になって無言の状態

 

 

・・・☆は黙って豆をもぐ

 

 

自転車 5 やくそくの重さ

約束とは双方が責任を持つことだ

・・・・・・・・・・・・・・・

 

ドーン!

ガチャnn!

私は補助輪で転ぶことはない ぶつかるだけだ

 

もうひとつ問題は、ブレーキをかけるひまがない

障害物を確認したら1秒後には

ドーン。

 

父が小さな自転車を選んだ理由がそこにあった。

さすが父親 よくわかっていらっしゃる。

足が地面につく高さなら 

ブレーキより足のほうが速い。

 

すぐに上手くなって補助輪を外すと

少し離れた舗装道路をかなりの早朝に走った。

 

それで満足しているうちは平和なものだ。

平和というものはいつの時代もガマン強さが必要であって

憧れに突進する☆には 耐えがたくなってくる

 

道路に誰もいない

よーし 大丈夫

 

大丈夫という言葉は 決して 信用しないほうがいい

こと自転車においては絶対確定危険語だ

 

学校から帰ってから自転車に乗るようになった

父は何も言わない。

 

純粋な心の自転車乗りは

毎日毎日 自転車が我が人生だ。

早朝も、放課後も 自転車しか心にない

 

今日も快適

・・・

いきなりハンドルを抑えられて

「ちゃんと前を見てないと危ないよ」

バイクのおじさんが突進してくる私を先に止まってまっていた。

「ごめんなさい」と言ったかな 覚えていない

運悪く何かにつけて「目が悪いんだから・ガミガミ」と

いちゃもんをつける大嫌いなオバサンの家の前だった。

「見られてないといいな」

こういうのを「嫌な予感」という」

 

前を見ていなかったわけじゃない

道路しか見てなかっただけ

そもそも ぶつかっていないし怪我もしていない。

普通なら間違いなく ハイ で一切が終わる。

 

嫌な予感ほど記憶に焼きつく、的中率も抜群アップ

夜になって ご近所オバサン連が抗議に来た

「めくらに自転車与えるなんて 非常識だ」

「ぶつけたほうが迷惑だ」などなど

散々好き勝手なことを言って帰っていった。

確かに「ぶつけたほう」と言った

「ぶつけるのは私のほうだから おかしい」

そういうのを屁理屈という?らしい

そうォ、負け惜しみとも言う 

 

そんな小言はもう日常的に慣れになれている

翌朝も当然早起きで 自転車に向かう

 

ない ない どこにも・ない

 

「約束を破ったからだ」

あたりまえのごとく父が言う。

 

返す言葉は ない。

 

・・・・・・・・・・

何年も経ってから知った

私に自転車を与えるにあたって

母は私が死ぬことを覚悟したという。

私が自転車を持ち出すと 

救急車の音が鳴るたびドキッとした。

昼間も乗るようになると 

教員をしている母は、授業中にサイレンが聞こえるたびに

心配で心配でたまらなかった そうだ。

 

当時は心配している様子など全くなかった

 

もしも死んでいたら

死ねばまだいい 重度障害になっていたら 

母はどれほどの後悔をしたのだろう

父はどうだったろう

約束を守り切れないことなどお見通しだろうから

最悪を願ってはいなかった、と信じたい

結果はどうであれ

なんと勇気のある親だろう 尊敬する

 

いつのまにか三輪車もなくなっていた

父の条件を守らなかった☆はあきらめが良いのだ

父の命令は絶対である

そこらに散らばっている誰かの自転車に乗ろう、なんて思いついたこともない

 

自転車にスイスイ乗れるようになったことが重要なのである

大人の自転車、足つかないし・・

 

 

自転車 8 再び大丈夫

仙人は「ヨーガ」の先生を始めた

東京練馬の奥でヨガ教室を世話してくれた人がいた

住まいは茨城 常磐線である

しかもその教室の生徒さんは数人

一人で行きゃいいのに仙人は☆を同伴させる

 

仙人の年収 年間定期代30万を入れて110万のくせして

毎回会場費だけで5000円の赤字だった

毎週である

もちろん☆のお給料から補填する。

その勤めも「女の本当の幸せは家に居ることだ」と 

すでに辞表を出させられていた。

 

本日は自転車の話である 

わき見運転は 命にかかわる

 

 

ヨーガ教室の日は=(ヨガ)ではないのだそうだ=

行きは勤め先赤坂から新宿に出て西武線に乗って会場まで行く

帰りは西武線→中央線→山手線→常磐線 佐貫駅下車

佐貫を降りるころは日が変わる時間になる

 

カーブはあっても角のないレース場のような道

車道に降りて自転車用の白い線のセンターよりを仙人のバイクを追って走った

この位置は左右に余裕たっぷりでつまずくことはない

ただただ先方のバイクのライトと白い線を見つめ必死でこぐ 

 

バイクが止まった

 

仙人;「もっと速く走れないかな」

☆;「精一杯こいでいる」

仙人;ちょっと待って こうすればいい

すばらしいアイディアに大喜びでのようす

バイクからロープをはずして持ってくる

☆・・・ギョッ

仙人;引っ張れば速くなる

☆;危ないじゃない

仙人;大丈夫 ゆっくり走るから

☆;大丈夫なわけない

 

大丈夫 には 「自分は」と つけるべきだ

仙人は自転車とバイクをつなぎさっさと戻る

☆は不安を覚えるより一点集中 

仙人の「すばらしいアイディア」に口を挟んでもむなしい時間が過ぎるだけ

 

センターよりを走るバイクに引っ張られ

白い線の見えなくなった舗装道路を懐中電灯が当たる部分にすべての力を注いだ

矢のように飛ぶごま塩のような道

わずかな凸凹で宙を飛ぶ

飛んだら落ちる

落ちたらひっくり返らないようにバランスをとる

そんな暇などない

ベルトコンベアは ふらっと来ても泊まらない

止まってといっても聞こえない

=ブレーキをかけたらひっくり返る=

コレは凍った道を走る自動車の鉄則だ

父に聞いた言葉がよぎってブレーキは掛けない

ただただ必死に体制を立てていた

 

やっとバイクが止まる

☆;「無理だ」

仙人;そんなことはない 

  もっとゆっくり走るから

☆;引っ張られる自転車に乗ったことあるの

仙人;あるわけないだろう 

大丈夫だから

 

引っ張るのだって初めてだ、が正解だろうが!

バイクはちょっとスピードを落として動き出した

何も変わらない

 

一生分の集中力を使い果たした 

と思ったほどの永遠の時間

実際はほんのちょっとなのだろう

だって 生きているから

 

バイクが止まり仙人が降りてきた

ロープをはずしながら

仙人;ゆっくり走るのがたいへんだ

☆;さようですか=声には出せない

 

あの時死んでしまえばよかった

結婚早々視覚障害者を自転車に乗せ

バイクで引っ張って死亡させた

前代未聞のあきれた行為

しかも 理由が ただ早く家に帰りたいから

自転車はバイクより遅いから

引っ張れば速く走ると思ったから

 

 

慣れればできるように なるわけないだろうが!

その日限りで絶対拒否の行為は仙人が「家に帰る時間の短縮」を助けることはなかった

 

無傷で終わったために反省することもない

反省する根拠がまったくない

人の命をおもちゃにしたとは思っていないのだから

 

似たようなことが繰り返される

 死ねばよかった

 指も腕も足もひとつも掛けていないけど

 今でも 時々思う

 命と引き換えにでも

 「ザマァミロ」と訴えたい

 

その思いが29年たった今でもくすぶっている=初めてブログに書いたとき

42年たった今でもおなじである

あのとき死んでいれば良かった

自転車 6 自転車は光と闇

私は道路わきの線に沿って

迷うことなくスタスタ歩く

溝に落ちないために とか

真中に出ることがないように とか

安全のために 道路の線を見ながら

端っこをあたりまえの人が歩くスピードで歩く

 

右目が見えないから右を歩く

これが不思議らしい

右は道路わきを歩けば問題ない

たまに歩道に置いてある

いろいろなものにぶつかることをのぞけば だが

 

見える左で動いてくるものをよける

右が外側ではどうしても動作が遅くなる

 

角まで行ったら必要最低限のものを見る

常に耳を済ませ 車の音で距離を測り

人の声や物音ででいろいろなことを知る

 

山国にいて山を見ず

商店街を歩いてもウインドウをのぞかない

目的地に続く足元だけを見る

まさか歩道にドテンと車が置いてある訳がない 

と 信じているのに・・・信じたいのに

歩道上の正面衝突を 何度すれば気がすむのか

運転手は空だし メガネは曲がるし 低い鼻が高くなる(はれる)

 

人と歩くときは しとやかに 前に出ず人の背中と足元を見て歩く

背中が下がれば下り 上がればのぼり

背中がはねれば 障害物あり

平行して歩いて初めて

視力のなさに気がつく人も多い。

 

だって・・つまづくもん。

時には階段から落ちるもん。

 

ガツーン 

ドン

キー!!!

 

人生55年

道路の端っこを歩いてきたにもかかわらず

何十回と自転車にぶつかってきた。

大げさな数字ではない。

三桁かも知れないほどだ。

とにかく自転車は道の端っこを

音もなくやってきてぶつかる

ほとんどが

「すみません」と言ってそのまま走り去る。

時には 

「バカヤロウ、どこ見て歩いてる」 と怒鳴られ

あっけにとられて思わず立ち止まり

悪いのはそっちだろう と気がついたころには、もういない

   これは東京に多い

 

自転車は「ぶつけても」怪我をしない

「ぶつけても」痛くない 

ぶつけられた人のことなど 気にしない

 

竜ヶ崎市にいたころ

すっかり日の落ちた交差点の歩道上で

無灯火の自転車に引かれた。

真横から近づく音が聞こえたときには

暗い世界が回った。

「どうも」と女性の声だけが残る。

これは「ひき逃げ」 ?!

歩道上で無灯火 しかも目一杯フルスピード。

肩と足にけっこうな怪我をしてしまった。

 

伊那谷に引っ越してから

自転車にはぶつからなくなった

なぜかって? 

 

そりゃぁ

あまりの傾斜に自転車が非合理的だから

 

歩くのも「しんどい」のぼり坂を真剣な顔で 

夢中でこいでる中学生に出会うと

ガンバレ と思う

 

自転車は嫌いじゃない

自転車 4 ☆の自転車と新しい景色

補助輪の事故?事件?から姉は私を後ろに乗せなくなった。

 

☆は三車車を飛ばし続ける

 

ワー!!!!

私の自転車が来た。

突然父が自転車をくれた。

自転車屋さんに 中古の小さな自転車が入った とかで

買って来てくれたらしい。

 

奇跡だ!

父がくれたプレゼントでこんなに驚いたものはほかにない

 

視力のない私に自転車

当時だって非常識だったろう

兄弟平等の思想というのは 奇跡だって起こすらしい

めくらに自転車 断じてありえない

すごいことだ 

 

父の条件

 

  朝早い時間しか乗らないこと

  破ったら取り上げる。

 

もちろんどんな条件だってかまわない

なんてったって憧れの自転車だ 

 

悪魔から天使になった補助輪を貰い受けて

超早起きになった

 

もともと運動神経は悪いとは思わない

が、人と違う学習が必要なのが難点

最大の弱点は距離感

自転車に乗った位置からの もろもろの距離

歩いて10歩がひとこぎで通り越してしまう

 

十字路が近いからブレーキをかける

これは普通の人のやること

☆は違う

十字路の手前で止まるためには

・・どこの家のどの区切り・・でブレーキをかける

知らない道路での応用力ゼロだ

 

 

十字路の東西に伸びた道路が

光の筋になって浮かび上がっている

気がついたら光を求めて前を見ていた

道路脇の家を見ずに自転車をこいだ

正しく「光の中へ」進んで止まる

日の出の時間は誰も来ない 自信がある

四つ角のど真ん中で朝日に向かって笑う

 

早起きは3文のトクというが 

早起きは 新世界の門 だった

 

足と記憶の距離からの脱却 

視覚で距離を測留事を知った

 

目線を足元から前方に広げたら

世界はぐんと広くなる

 

見える世界から見る世界へ

朝日の帯を距離の目安にした時が

自分の意志で 見る世界 へ踏み出した記念すべき瞬間だ

見える と 見る の違いを知った瞬間でもある

めげない☆は光の中で輝くことしか考えない

 

 

自転車 3 世の中で一番信用ならない単語 「大丈夫」

大丈夫という言葉ほど

いいかげんで信用ならない言葉はない

・・・・・・・・・・・・・

   それでも

 

私が小学校3年のころ

姉は自転車を買ってもらった。

 

そのころ私は三輪車で走り回っていた

えっ? 小学3年で三輪車?

と疑問に思って正解。

 

自転車をひっくり返してから

自転車で遊ぶことを親は好まい

なにしろ無鉄砲だから

それに後輪を回しつづけるのにもさすがに飽きた

三輪車は家にある

 

ちゃんと乗ってこいで遊んだ。

 

3年にもなるとそれがとてもしんどい。

それでもがんばって乗ってこいだ。

だって・それが自転車と同じだから

 

そのうち、こぐとひざが頭に届くようになり

限界と言うものを感じざるをえない

 

今度はハンドルを握り後ろに足をかけて

ケンケンの要領で走った。

スケボーにハンドルがついた感じ

これはすばらしい。

助走すると猛スピードで飛んでるようだ。

けった足を後ろに伸ばして風を切る

風で髪が後ろへなびく

もちろん その時代だ、スカートだよ 問題ない

オオ なんと気持ちよい!

 

そんなころ姉が自転車を買ってもらった。

もちろん ☆は三輪車で追いかける

姉は少し乗れるようになると私を乗せて走りたがった。

 

大きな自転車に乗りたい

大きな自転車は☆の夢

大喜びで後ろに乗る

 

自転車はしずかに走り出す

何もしなくてもまわりの景色が

後ろへ、後ろへ・・・

すばらしい

 

景色が グラっと大きく回ったと認識したころには

地面の上 

自転車とともに転がった。

 

姉は? いない。

危なくなると姉は逃げる。

自転車をほうって自分だけ飛び降りて逃げる

運転手のいない自転車は 想像通りの動きをする。

 

「今度は大丈夫」

「もう上手くなったから大丈夫」

「一人で逃げたらいけないって言われたから大丈夫」

 

何度姉抜き自転車と運命を共にしたことか、

とうとう親は補助輪を買った。

 

「ほら、これがついたから 絶対転ばないから 大丈夫」

 

補助輪は溝に落ち

姉は今まで通り逃げ

私はそれまで以上の怪我をした。 

 

それでも自転車はすばらしい

浜名湖は海だ

小学5年の夏休みは母方の祖父の家

静岡県小松市で過ごした

今の浜松市の一角

 

5歳下の弟と母に連れられて特急ツバメに乗る

ツバメ と言う響きに心が躍った

が・・・ただの汽車

大人に言わせると電車だそうだ

 

何のことはない夏休み中預けられた

~~~邪魔者だった?~~~よねぇ きっと

大人の事情は知らないけど

 

その間のことは後にして

休みが終わるころに父が迎えに来た

 

父と弟と3人記念に浜名湖に遊びに行った

湖というから大きな池なはず

盛岡には高松の池と言うのがあり

昔はカッコーがなく神秘的なところだった

 

そのイメージは全くない

何で砂浜があって波が来るの?

これは海だ!

浜名湖はミズウミという名前の海である

砂が白い砂浜の海だ

 

☆;砂が白い 赤くないよ

父;ああ 小名浜はいい砂浜だ 

  あの色の砂浜は珍しくて 白いほうが多い

☆;こっちのほうがまぶしい

父;白いほうが光を反射するから

☆;ふ~ん

 

小高い丘のような砂山に移動した

周りが浅い海に囲まれて島に来たような気分でなんだか嬉しい

 

いなり&海苔巻のお弁当をひろげ 

おしゃべりに夢中になりながら座る場所を作る

 

ザーッ

 

いきなり波が寄せてきた

父の一声で3人はより高いところに急ぐ

波はお弁当の手前で帰っていき

少ししぶきを浴びただけで3人をほっとさせた

すぐ片付け周りを見ると、海の孤島 だ

 

父が 「速いなぁ」 と感心している

とにかくここに居ては帰れなくなるから戻ろう

 

海はあっという間に広くなっていく

本当に速い 

私でもわかる速さで足元がなくなっていく

陸地だった道はどこにあるのかわからない

父は弟を肩車し前を行く

私はスカートを腰まで上げて

荷物をかつぎ手には自分のお弁当を持って後を追った。

砂浜は足元が平らで転ぶ心配がない

 

ももまでつかってどうにか溺れる前に対岸についた

ここなら安全 とお弁当の食べなおし

ところが波しぶきをかぶったお弁当は少々砂が混じっている

弟は食べられないと言う

 

父;☆はお弁当持って逃げたんだ さすがだな

私に弟のお弁当と交換するように言った

 

ちょっとじゃりじゃりの楽しい昼食だった

食べ終わったころには さっきまでいたところは

一人が立つくらいの小さな島になっていた

海に浮かぶお皿みたいで面白い

そのうちにどんどん小さくなって消えた

今いたところがなくなるなんて

サイコウニ オモシロイ

 

なぜか 後々まで

「お弁当を持って逃げた」

と語られることになった

 

よくやった、と誉めているわけではないようである

 

弟は覚えているだろうか

もし弟も 「食い意地の張ったお姉さん」

なんて記憶持ってたら お弁当返せ

 

でもサ いまさら

おいなりさん&海苔巻き弁当(500円以下)返されて

「やっぱり食い意地張ってる」 なんて言われちゃ・・・

せめて岩手のうにどんぶり

 (たかがどんぶり されどどんぶり 3000円以上する)

・・・そういう話じゃない♪

カイコを育てる

小学4年の時、カイコを育てた。
家に桑があることが条件で☆はさっそくもらってきた

担任は☆さんには難しいから、とか言っていたが聞く耳はない

うちにはクワがあるから、と心は躍りイヤミなどみじんも感じない


白くて細長い虫は箱の中にウヨウヨいる
「カイコと知っていれば」 可愛いものだ

毎日毎日桑を取ってきてはせっせと箱を掃除し、
美味しい葉っぱをご馳走する

☆;早く大きくなあれ

よく食べる
大きくなってくると葉っぱは瞬く間になくなる

だんだん家の桑では足りないような気がして
よそさんの家からもしっけいした

ある日 カイコは動かなくなり父に見てもらった
父;さなぎになるからもう桑はやらなくていい
家の桑を大事にしてこっそりよその家まで出かけたのに
もういらないなんて と がっかり

カイコは白い小さなタマゴみたいなボールになった
つやがあって美しい

我が家に間借りしているの優しいオバサンたち;まゆになったの? 煮なくちゃ
☆;え? 煮る? 耳を疑う衝撃だ !!!
せっかく育てたのに 煮るなんてとんでもない
オバサンはなべにお湯を沸かし始める
父;まゆを煮て絹糸を取るために育てるのだから
少し残してあとはオバサンにたのみなさい
いつも親切なオバサンは ウキウキ残酷だ 鬼だ

数個のこしてなべの中で泳ぐ
煮たまゆなどかわいそうでとても見る気にならない
したがって糸を取るところをみそこなった

残った「運のいい」まゆはちゃんと蛾になった
が、ガ、蛾 蛾ーーーン
蛾は茶色 粉もつゆも汚い
おまけに飛ばない
せっかく逃がすと言うのに 歩くばかり
箱の中が茶色に染まり
美しいまゆは穴があいて、これも茶色に染まっている
さわるのもキモチ悪い
ガマンしてまゆを取り のぞいてみる
穴の中は空っぽだ やっぱり茶色い

頑張って洗うことにした
穴が開いててももいいから きれいになあれ
まゆはきれいにならない
もう箱ごといらない
いつまでもほったらかしにしていたら
父に、自分で片付けろとしかられ 中身を捨てた
たぶん箱も捨てた

☆;全部煮てもらえば良かった

 

後悔は後でするものだ

結果がわからないうちに最善なんてわかるわけないだろうが!