自転車 7 再び自転車

本来のカテゴリーは「仙人」ですが 自転車から外せないので

 

 

訳あって結婚なんてしてしまって

 

新居は龍ヶ崎というところ

 

常磐線佐貫の駅を降りると ニュータウンの道路が・・・

 

それはそれはまっすぐ ドーッと続いていました

 

第一次募集くらいの時でニュータウンにはほとんど人がいない

 

つまり道路はしっかり人がいないと言う理想の静けさ&歩きやすさなのです

 

家は突き当りからさらに農道を先へ進んだところにありました

 

駅から4キロほどでしょうか

 

最初のころは50ccのバイクに二人乗りでした

 

二人乗りがいけないなどは知りません

 

だって、 もともと免許が取れないのですから知る必要がありません。

 

あっという間につかまりました。

 

「3000円も罰金取られた、とか言ってましたっけ。

 

 

その後すぐに自転車を持ってきました

小型の足のつくやつ

 

星;自転車は乗っちゃいけないから

仙人;いいか悪いかは自分が見ればわかる

 

星は自転車に乗れる

何年たったって ちょっと乗れば思い出す

しかし、そういう問題じゃない

 

仙人;判断は自分がする

仙人;大丈夫だ 

 

ソリャ 運転はできますよ

自転車大好きですよ

でも、そういう問題じゃない

 

仙人;自分の判断に間違いはない

仙人の祖母は全盲だった。

盲人のことはよくわかっていると自称している

耳たこほど繰り返される

たしかそのおばあさま仙人が5・6才の時に亡くなっているはず

「祖母が盲目だった」と言うことが仙人の強みらしい

 

翌日から自転車の通勤が始まった

ニュータウンはまだまだ人が少なく 道路だけが立派で

歩道はわが自転車のために存在した。

 

駅の近くは人が増え(当たり前)

5メートルも先の自転車を見つけて

ワッ ぶつかる と急ブレーキをかけ滑ってひっくり返る ピエロの真似事以外は何事も起こらなかった

どんどん運転がうまくなった

 

 

佐貫の駅前って当時広い砂利地帯だった

何度も砂利につまずいて滑って前方に焦って 擦り傷が耐えなかった

そのような微々たること3千円の罰金に比べたらどうでも良いことだ

バイク免許の更新=50ccからの格上げは「面倒」だと即効却下された

車にひかれてさよならも近いかも知れない、と思ったし

授業中も救急車の音が気になってくれた母の思いが暖かい

仙人は「世の中に必要のない☆の存在」を消しさる使命でも抱えて現れたヒーローなのだろうか

星は 「仙人の所にいる」ことは諦めても 「生きること」 を諦めていない

 

 

 

自転車 2 衝突

だいたい自転車というものは音がない

ぶつけられる痛みを知らずにすむ乗り物だ

・・・・・・・・・・・

   

最初の自転車事故は幼稚園に入ってすぐ。

 

幼稚園の通園は結核療養中の父が付き添ったが

道を覚えてからは一人で通った。

自力通園を初めてまもなくだったと思われる

 

もうすぐ国道 と言うところで

遅刻寸前らしい通勤途中の自転車に引かれた。

 

 

歩いていていきなり空が見えた。

くもり空の白い空

次の瞬間 

痛い!

動けない!

わーーー

 

泣き声が響き渡ったのだろうねぇ

大勢の人が集まってきたのを覚えている。

ぶつけた男の人が

「大丈夫?」と聞いたのも覚えている、が

痛くて返事はしなかったはず。

 

とにかく私は家に連れて行かれ

父の背中に乗り換えて近くの外科に行った。

ひざの裏側に怪我をして数日間歩行禁止。

翌日からは父の自転車で快適通院である。

 

父の自転車は心地よい

この快適な記憶が「あれこれ」に勝ってしまう

後々の 「大丈夫」 だって 自転車の風には勝てないのだ 

 

 

父は正当に外堀を埋めるのが上手い

母は気遣ってくれるが父の思惑に乗っかる=それが生きる知恵だと言う

両方の手腕を手に入れれる、と☆は密かに思う=こう思ったのが何歳だったかは覚えていない

 

 

仙人という存在

仙人は昭和17年人から生まれた人外である

 

悟りとやらを開いた天人らしい

絶対の自信と

揺らぐことのない思想を持ち

思考は神のごとく絶対である

天動説の地であり

地動説の太陽である

 

仙人の思考も力も個のモノである

神のごとく人に奇蹟を与えるモノではない

 

 

だから

決して並人と関わるべきではない

人里で人間らしく生きてみようなど思うべきではない

 

修行に飽きたから と

ヒマだから と

結婚してみたいから と

人を狩り自分色に染めようなどといらぬ好奇心は持ってはならない

 

仙人は人里離れた山の奥にあれば良い

里に下りてくるな

医大 理不尽と生きる知恵 9

第8話 麻酔ミス

肺活量の検査から何日か楽しい日が続いた

次の日すぐ手術ではなかったということになる

 

ある日朝食が無かった

手術するとは聞かされていない

当然逃げるからだろう

;あれ?何でご飯が無いんだろう

といやな感じだ 危ない

思ったときには看護婦さんが部屋にきていた

逃げ出す必要性を考えるひまさえなかった

ベッドから下りることを禁じられ

あっという間に注射を打たれ 動くのがだるい

ボーっとして逃げる気も起きない

自分の部屋をただただボーっと見ながら 

時間が進むのすらぼんやりでわからない

父か母がいたに違いないのだが、その記憶もない

灰色の部屋と窓から見える空だけが見える

 

時間の経過は青い空だけが知っている

数人の先生や看護婦さんが来た

着替えたが身体は動かす気力もない

されるがままに着替えて抱かれて別なベッドに移された

頭だけが半分眠って生きている

 

また注射をされる 

そのまま部屋を出てエレベーターに乗った

エレベーターの天上をボーっと見た

蛍光灯がついている

ボタンをしたから見ると違う場所のように見えて

「エレベーターは面白い」と記憶に残っている

 

地下室の明るい窓が見えた

嫌だと思う気力がない

大きな鉄の扉は開いていて止まらず進んでいく

手術室に入るあたりで記憶は終わった

 

目がさめたのはいつかわからない

わたしの記憶以前に騒動があった

 

病室に戻って両親がそろって付き添っていたとき

呼吸困難を起こした

父はすぐ医者を呼ぶ

眼科の虻、と麻酔の担当医が来て

 麻酔が強すぎた 

 そっちがわるい 

 いやそっちのせいだ 

患者そっちのけで責任のなすりあいをはじめた という

 

父;患者が苦しんでるのにおまえたちは何をしている

他人には温厚な父が怒った。

めったに怒らない人が怒ると迫力があるものだ

医者はあわてて処置にかかった という

 

麻酔が強すぎて喉に傷がついたと、後で大人が話していた

私は呼吸困難さえ記憶にないのだから、わからないが

この医者の態度は何十年もずーッと後まで耳たこほどの語り草となり

まるで私が起きていて 見ていたかのように記憶に焼き付いている
 

目がさめたときには鼻にゴム管が通っていて

くさくてたまらなかった

違和感もひどいし とろうとしたら手を縛られてしまった

その後何度も眠ったり目がさめたり

目がさめるたびにゴム管が気になって記憶に焼きつき

ずっと起きていたように思うが、そんなことはあるわけない

ほとんど寝ていたはずだ

 

翌朝の診察はぞろぞろたくさんの足音とともに

向こうから(私が行くのではなく)やってきた

包帯を外し最初に見えた顔が 白髪のやさしい顔

この顔は いい

見えるかどうかとか いくつか聞かれて

また包帯をして終わった

医大 理不尽と生きる知恵 8

第7話 楽しむ医者たち

いくらなんでも病院だ

平和な日がそう長く続くわけがない

月曜日が手術で火曜日が絞られ、

水曜木曜と隠れ

金曜日は朝からつかまった

朝から姿を消したのは土曜日ということになり 

あまり意味がなかった気もする

 

月曜日か火曜だろう、朝食の直後から監視がついた

ひまなしに声を掛けられるので出られない

仕方がない、6階で遊んでいた

看護婦さんに呼ばれ診察室に行く

ほんとうに、仕方がないから ドアを開けて入った

 

(ここでの;医者;は虻以外の三人をさす)

4人もおんなじカッコをした先生がいる

全員白衣に黒のズボン

担当医がいるかどうかわからない

医者;こっちに来て ここに座って

虻じゃない、違う声だ

ほっと安心しておとなしく座る

医者;「口を大きく開けて」

普通の内科検診 普通に受ける

 

医者;これに口をつけて息を吐き出してみて

水が入った箱の前に座った

これはなんだ? 面白そうだ!

☆;ふーっ

医者;もっと大きく息をして 全部吐いてみて

☆;フーッ!!!

なにやらおおぎがたのものが息を吐くと上がってくる

面白い 面白い

頼まれもしないのに 「ふーっふーっ」

医者;あっ やんないで 一回だけでいいから

☆;ふーっ

医者;1000いかないな

虻;これじゃまた手術できないじゃないか

あの声だ。いたんだ。いやーな予感がした

虻;おまえ下手だな。かして見ろ

虻;ブーッ あれ やりすぎたかな

医者;4000超えたぞ。戻らないぞ

医者;おまえ壊したんじゃないか

みんな楽しそうに笑いながら機械をいじっている

じっと見る

なんて面白いものだろう

どうして上がってくるんだろう

医者;もう一回やってみて

虻;一回だけだぞ

☆(わかってるよ、)

  ふーっ

医者;9**、出ないな。しかたがないか

虻;おまえはへただな。ハイ こっちに来て

 

となりに移る

虻;これをこう持って 思いっきり握ってみて

☆;グーッ!

医者;「これ・・10だぞ。」

虻;ホントに下手だな。貸して見ろ、こうやるんだ

  ググー

医者;40、おまえ加減しろよ

みんな楽しそうだ。

もう一回やっても結果は同じだった

 

虻;次はこれを引っ張って

今度持ち出したのは自転車の空気入れみたいなものだ

☆;んー!!!!!?? 上に上がらない

虻;もういい 行っていい

 

ふーっと上がるの もっとやりたい 

こういうのならいやみなど気にならない

いつも姉に自慢されてなれになれている

姉はちゃんと面倒を見てくれるところが違う

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

虻先生は大違いだ。

先生は4000とか40とか4が好きなんだ

  ・・・病棟には4号室がない・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

午後はまた5階でおやつとおしゃべり

ちゃんと私が行くのを待っていてくれる

裏階段を数回往復してちょっと早めに戻った

表から堂々と看護室の前を通る

看護婦;☆ちゃん 具合悪いの

☆;? なんでもないよ??

看護婦;まっかな顔してるから 熱測ろう

☆;走ってきたから

看護婦;走って?走ったらダメでしょう

☆;・・・・(だって イイヤ、無言が一番)

看護婦;病院なんだから静かにしてなきゃいけません

☆;・・・・(病気じゃないもん)

看護婦;とにかく真っ赤な顔してるから熱を測りなさい

☆;はい

だから見つからないようにしていたのに・・

ついつい油断をするとこうなってしまう

走れば顔に出るなんて考えもしなかった

それ以降 階段の運動会の後は息を整え落ち着かせ

忙しい夕食の時間まで6階にはもどらず

極力 看護婦さんには合わないようにした

もちろん退院まで 自由の身である限り階段は走りつづけた

 

姉に鍛えられた精神力は

この病院生活で十分に発揮され、磨かれた

その上、自力で活動することも身に付けてしまった

もっと言うと 大人に見つかるリスクとか

「約束」の使い方や

隠す、隠れる 逃げる技術とか 

誰と仲良くするとお菓子が手に入るかとか

どんな態度が大人に人気があるか とか

見えていない階段を駆け下りる方法も

色分けすると居場所がわかることも

 

いいことも

7歳には余計なことも

一月の入院でたくさん身に付けた

実りの多い経験には違いない

 

医大 理不尽と生きる知恵 3

第2話 入院

☆は新しい言葉が大好き らしい。

入院ってどんなだろう 

入院も検査も手術も、どれもこれも新しい言葉に浮かれてしまう

はじめての遠足

はじめての海

初めての学校が、とてもよかったから

初めての幼稚園の記憶が薄れていた

 

思い返せば、父と行った「はじめて」はろくなことがない

いいことの記憶が消えるほど ひどい目にあった

たくましくはなった

社会勉強 と 言えなくもない

 

家から歩いて 

今の足なら15分ほどの距離に医大がある。

朝、父に連れられ出かけた。

検査のために何度か通っていたから慣れたものだ。

その日はいつもの入り口と違うところから入った。

天井が高い、こんな天井の高い建物に入ったことがない

それに広くて暗い、

めいっぱいきょろきょろして珍しい建物を観察した。

私がよそ見することはいつものことで

手をしっかり握ってぐいぐい引っ張られて歩く

周りに夢中になっているうちに

父は受付を済ませ、

エレベーターに乗って病室についてしまった

 

眼科は6階。一番上だ。

エレベーターを降りると広い空間と真正面に階段がある

広い空間から左に伸びる廊下は細く長く暗い

何号室かは覚えていないが 東側の真中へんだった。

大人ばかりの8人部屋。

この部屋の中で少なくとも3回は引っ越している

誰かが退院すると ベッドの移動がある

動けない患者は角とか 考えがあったのだろう
 
「子供か」

最初に聞こえた声だ。決して喜んではいない。

父が周りにあいさつする。

当然一緒にあいさつしたのだろう、記憶はない。

あたりまえのことはあたりまえにやっているはずだ。

なぜ記憶がないかというと

はじめてみる病室というものに夢中だったからだ。

大きな部屋に白いベッドが並び

どのベッドにも寝巻きを着た人が乗っている。

窓は大きく部屋はそれほど暗くない。

6階だから空しか見えない

 

父はまもなく帰っていった。

その日はおとなしくしていたことだろう

いくらなんでも・・・。

周りの人とおしゃべりをしたり、

メいっぱい愛想を振り撒いて 

お菓子をちょうだいしたに違いない

病院で飢えた記憶は手術後くらいなものだから。

 

午後になって担当医が来た。

二人できたと思う。

「こんにちは。虻先生です。」とか何とか

「こっちにおいで」と手招きしたらしい

このときにほんのわずか違和感を感じた

私には見えなくて、挨拶して帰っていくのかと思った。

先生が後ろを向いて出て行くのを見ていたら

部屋の人が「診察だから行っておいで」

と声をかけてくれた。

そういえば、先生の手が動いたような気がする

 

先生の跡を追い看護婦さんの部屋の前を通って

西日が入ってとても明るい診察室に入った。

例のごとくきょろきょろして部屋を観察するのに夢中で

診察はいつもと同じでどうでもよいし、

特に変わったことはなかった。 

虻先生もごくごく普通に優しい先生だった。

 

 

 

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 2

第1話 どうして医大

我が家の裏に:血のつながりはない:「家」の親戚が住んでいた。

そこの息子が医大で内科のインターンかもうちょっと上のお医者さん。

その内科の「お医者」さんが父に

「斜視は手術で治る、早いほうがいい」

と一般的な知識で手術をすすめた。

私の斜視は治るものではない。

たとえ一時期みてくれがよくなっても

白内障による左右の視力差が解消しない限り戻ってしまう。

そのことはすでにわかっているはずなのに

父は見てくれの悪い斜視にどうにもがまんできない。

 

そりゃそうかもしれない

 

目が曲がっているだけで 自分の娘が将来娼婦になる

なんていう目で見られたら耐えがたい。

生まれなきゃよかった と思ってももう遅い。

江戸時代じゃないのだから捨てるわけにも行かない。

そんな風に思っても何ら不思議ではない。

生きてしまって ここに居るのだから、

そのキモチを抑えるのが人間というものだ 

と 心得よ

 

父が(素直に)少しでも見えるようになってほしい

と願っていたろうから責めるわけにも行かない。

 まあ、見てくれ100%だったんだけど 言わない、知らない

しかし、医大の方はおかしい。

それまでの医療機関でことごとく、「この斜視は治らない」

といわれているのに なぜこの医大だけが

「手術で治る」と言ったのか。

内科の先生はともかく眼科が治ると思うはずがない。

スタートから間違っていた。

 

というわけで

小学校2年の4月 ひと月医大に入院した。

専門の方は まず、斜視にひと月の入院? と

疑問をもつのではないだろうか。

目の外側の手術だから 昔だって一週間だ。

 

私が 「今」とか 「このこと」

という「点」に生きるタイプだから

入院生活を悪かったとは言わないけれども

配慮というもののかけらもない

踏みにじることしか知らない医者を

今でも医者の資格のない人間と思っている。

 

生後手術をして下さった先生との出会いがなかったら 

眼科医 あるいは医者すべてを信用しなくなったかもしれない。

 

大人になって

医者の良し悪しを私個人の尺度で白黒はっきりさせて

信頼できないとおもう医者には

途中で帰ってでも、たとえ治らなくても

世話になりたくないと思うようになった基礎作りの入院だった。

 

私は自分の担当医の名前を思い出せない。

一月も付き合ったのにその一字さえも思い出せない。

10年後に偶然会った時はちゃんと覚えようとした。

そのとき、今後出会わないために名前は覚えておこうと思ったのに 

白衣に黒ズボンも怪しいくらいに 覚えていない

もし開業していて (間違ってでも) 出会うことのないためには 

名前は覚えるべきだと思うのだが・・・。 

 

この先生の呼び名を考えた

虻・蚊・蝿・蛇・うーん 虻にしよう

画数が少なくて、近づかなきゃ安全で大嫌いだから

 

小学校の入学式

小学校の入学式

黄色は読まなくて良いです

小学校の入学式に、とセーラー襟の水色ワンピースを買ってくれた

大変気に入ってルンルンな☆

 

入学式の朝は騒がしい

いつまでたっても出かけない

とっくに始まっている時間でもまだ出かけない

 

大きな部屋には白い布をかけた台がおかれて見に行くと邪魔だと叱られる

一人ぽつんと立って待つ

 

やっと学校につれてってもらったら講堂は長―いゴザがいくつも敷いてあってたくさんの一が正座していた。

講堂の後ろの方は大人がぎっしり立っている

前の方で誰かがお話をしている。

誰かに連れられて正座の仲間入りをした。

 

ふと 教会を思い出す。

☆は迷子じゃない。

黙って座る。

 

お話が終わると前の方で誰か(上級生)が歌を歌ったりしてたような・・・

全部終わると立って教室に移動した。

 

上履きを探した記憶がない

並び順に困った記憶もない

ついて行けなくて戸惑った記憶もない

☆はちっとも困らないで教室へ行った

 

家に帰ると家は人であふれていた

 

大きな部屋の白いシーツの周りはお花がたくさんあってきれいだ

除くだけで叱られて追い出された

 

☆は近づきたい

大人は追い出した

☆は我慢強い

誰もいない隙を狙って

お花に見入る

棺があるなんて知らないし関係無い☆はお花が見たい

外には棒の先にお花の輪がついたのが並んでいる

近寄ると叱られる

みたい

こっちはかなわないうちになくなった

 

大勢の人が出入りして 三日間で白いシーツはなくなった

 

 

姉が食べるように、と白くて平べったい楕円に茶色で何かが描いてあるものをくれた

中があんこで飛びついた

三日も食べれば飽きる

堅くなる

葬式まんじゅうは☆のお葬式にはいらない

 

後で知った

入学式の日の早朝この家の祖母(両親の親ではない、麦こがしの祖母)がなくなったのだそうだ

この祖母は☆に意地悪なのだ

昔だから葬式は家が出す。

家を仕切ろうとするものたちに囲まれて母は大変だったろうと 今なら思う

 

入学式を休むかどうかで少々もめたらしい 母が出席させたいとがんばったのだそうだ。

母は思い出してぼやいていた ☆にはいろいろ手がかかった、と

思い出が多くて話題に困らないじゃないか!!

入学式から帰ってから3日間はすべて学校も家も姉と過ごした

 

姉は3才年上だ

3才しか年上でない

 

三日後母に会った

☆が三日もあってなかった、と言うと

母は驚いたように 毎日会ってたじゃない と言う

 

母は☆を見ていたけど☆には母は見えなかった と言うことだろう

 

☆の人生は小説みたいに波乱万丈なのだ

 

むぎこがし

☆の家のおばあさんとは父の母の妹に当たるらし

あるとき☆はおばあさんに呼ばれた

麦こがしをごちそうになった

さらさらとした粉をコップに入れてお湯をそそぐ

「むぎこがし」とおそわっていただく

甘い

☆はすっかり気に入った

☆はうれしくて母に報告

「おばあさんに麦こがしという甘い飲み物のをいただいた」

母 「練ってた?」

☆ 「さらさらの粉にお湯を入れた」

母のつぶやきによると

麦こがしの入った香り付き砂糖湯らしい

姉にはむぎこがしを上げてるのにと小声

母はお見通しだった 少し悲しそうだった

姉が貰える「むぎこがし」はどんなものだろう

でも、むぎこがしは甘くておいしかった 問題ない

☆は見えないから意地悪されても相手が意地悪に努力するほどダメージはないのだ