自転車 8 再び大丈夫

仙人は「ヨーガ」の先生を始めた

東京練馬の奥でヨガ教室を世話してくれた人がいた

住まいは茨城 常磐線である

しかもその教室の生徒さんは数人

一人で行きゃいいのに仙人は☆を同伴させる

 

仙人の年収 年間定期代30万を入れて110万のくせして

毎回会場費だけで5000円の赤字だった

毎週である

もちろん☆のお給料から補填する。

その勤めも「女の本当の幸せは家に居ることだ」と 

すでに辞表を出させられていた。

 

本日は自転車の話である 

わき見運転は 命にかかわる

 

 

ヨーガ教室の日は=(ヨガ)ではないのだそうだ=

行きは勤め先赤坂から新宿に出て西武線に乗って会場まで行く

帰りは西武線→中央線→山手線→常磐線 佐貫駅下車

佐貫を降りるころは日が変わる時間になる

 

カーブはあっても角のないレース場のような道

車道に降りて自転車用の白い線のセンターよりを仙人のバイクを追って走った

この位置は左右に余裕たっぷりでつまずくことはない

ただただ先方のバイクのライトと白い線を見つめ必死でこぐ 

 

バイクが止まった

 

仙人;「もっと速く走れないかな」

☆;「精一杯こいでいる」

仙人;ちょっと待って こうすればいい

すばらしいアイディアに大喜びでのようす

バイクからロープをはずして持ってくる

☆・・・ギョッ

仙人;引っ張れば速くなる

☆;危ないじゃない

仙人;大丈夫 ゆっくり走るから

☆;大丈夫なわけない

 

大丈夫 には 「自分は」と つけるべきだ

仙人は自転車とバイクをつなぎさっさと戻る

☆は不安を覚えるより一点集中 

仙人の「すばらしいアイディア」に口を挟んでもむなしい時間が過ぎるだけ

 

センターよりを走るバイクに引っ張られ

白い線の見えなくなった舗装道路を懐中電灯が当たる部分にすべての力を注いだ

矢のように飛ぶごま塩のような道

わずかな凸凹で宙を飛ぶ

飛んだら落ちる

落ちたらひっくり返らないようにバランスをとる

そんな暇などない

ベルトコンベアは ふらっと来ても泊まらない

止まってといっても聞こえない

=ブレーキをかけたらひっくり返る=

コレは凍った道を走る自動車の鉄則だ

父に聞いた言葉がよぎってブレーキは掛けない

ただただ必死に体制を立てていた

 

やっとバイクが止まる

☆;「無理だ」

仙人;そんなことはない 

  もっとゆっくり走るから

☆;引っ張られる自転車に乗ったことあるの

仙人;あるわけないだろう 

大丈夫だから

 

引っ張るのだって初めてだ、が正解だろうが!

バイクはちょっとスピードを落として動き出した

何も変わらない

 

一生分の集中力を使い果たした 

と思ったほどの永遠の時間

実際はほんのちょっとなのだろう

だって 生きているから

 

バイクが止まり仙人が降りてきた

ロープをはずしながら

仙人;ゆっくり走るのがたいへんだ

☆;さようですか=声には出せない

 

あの時死んでしまえばよかった

結婚早々視覚障害者を自転車に乗せ

バイクで引っ張って死亡させた

前代未聞のあきれた行為

しかも 理由が ただ早く家に帰りたいから

自転車はバイクより遅いから

引っ張れば速く走ると思ったから

 

 

慣れればできるように なるわけないだろうが!

その日限りで絶対拒否の行為は仙人が「家に帰る時間の短縮」を助けることはなかった

 

無傷で終わったために反省することもない

反省する根拠がまったくない

人の命をおもちゃにしたとは思っていないのだから

 

似たようなことが繰り返される

 死ねばよかった

 指も腕も足もひとつも掛けていないけど

 今でも 時々思う

 命と引き換えにでも

 「ザマァミロ」と訴えたい

 

その思いが29年たった今でもくすぶっている=初めてブログに書いたとき

42年たった今でもおなじである

あのとき死んでいれば良かった

心臓弁膜症のじゅん子さん

じゅんこさんは順番通りの席にいた

目が悪いわけじゃないし 足指が足りないわけでもないから当然だ

ちっちゃな身体で全校朝礼は一番前確定

とっても優しくて☆はすぐ友達になった

 

じゅん子さんとはしょっちゅう二人で話をした

友達から特別の仲良しになった

じゅん子さんは心臓弁膜症といって身体が大きくなると死んでしまうと言う

いつも死と向かい合わせで生きていると言う

☆は「死」がわからない

じゅん子さんは「死」と向き合っている

本当は学校にも来れないらしい

けど

じゅん子さんは学校に通って友達を作っておしゃべりをしたかった

だから両親におねだりをしたのだそうだ

 

ある日 ☆は校庭を突っ走っていた

☆は元気だ 走ることが大素手だ

そして石が見えないのだ

膝は擦り傷と打撲でいつもかさぶたがあるくらい走るのが好きだ

学校の校庭は足が引っかかるほどの石がほとんどない

だから おもいっきり走っても転ばない

☆は校庭が大好きで 用もないのに走り回った

滅多にない石につまずいてすっ飛ぶほどひっくり返った

運悪くじゅん子さんが二階から見ていた

じゅん子さんは自ら走って一番に駆けつけてくれた

「☆さん大丈夫?」

ちっちゃな身体で手をさしのべてくれる

おもわず じゅん子ちゃん、走っちゃだめ」

じゅん子さんの手は うれしそうで悲しそうで とてもあたたかい

私はほっておかれ先生はじゅん子さんを保健室へ抱いていった。

その後いつまでたってもじゅん子さんは学校には来なかった

じゅん子さんに会えたのは季節が変わってから

「わたし 生きたい」

じゅん子さんは生きるために名古屋と言うとっても遠い病院に行くことを決めたと言う

そこは病院学校があって 入院しながら勉強ができるそうだ

「病気も治して 学校にも行って また☆さんと逢いたい」

それがじゅん子さんとのお別れの言葉だった

2年生の終わりに転校していった

森田先生は じゅん子さんが生きることを望んで手術を受けるために両親と別れて遠い病院へ行きます。また会える日を楽しみにしましょう

と送り出した

4年生で亡くなったと聞く

クラスの障害児は☆一人になった

 

森田先生はじゅん子さんの家にも頻繁に訪問し励ましたという

自宅療養が望ましいが、いずれ、たぶん10才を超えられない命

ならば 生きる喜びを知ってほしい

一日でも長く生きてほしいが檻の中で死ぬために生きるのではなく

希望を胸に「生」を望んでほしい

死を覚悟した7・8才なんて胸が痛む

少しでも同じ年代の輪のなかで輝いてほしい

森田先生はそう思ったそうだ

当時 先天性の心臓弁膜症は10才を超えられない

10才ころに人の身体は大きく成長するらしい

それに心臓が耐えられないと言う

諦めることをやめたじゅん子さんは☆の星だ

 

その年度で森田先生は教師を辞めた。緑内障が進んで限界だと・・

 

 

星の下に生まれる、って

 

まちがった星の下に生まれたにちがいない

 

星の下に生まれるってなんなの?

人は皆輝いている、とか

恒星と惑星

一等星と六等星とそれ以下と

流れ星もある

 

☆は流れ星に生まれてあっという間に消えれば良かったんじゃない?

そうすればみんなうまくいったかも知れない

私のすぐ後に生まれるはずだった「人」も流されずに住んだろうに

 

私☆と弟の間に流された命があった

なんでそんなことになったかというと

「☆に手がかかったからムリだった」

そうだ

下ろせるぎりぎりまで考えて流したそうだ

 

知ったのは二十代だけどねぇ

母は話題にのって話していた

☆も普通に聞いていた

 

でもねぇ

いいのか?

☆がいるのに

成人とはいえ少々は気になる

大いに気になる

生まれを恨む

流れた命に謝罪する

よね

 

両親の思いはもしかして

あっちだったら良かった

だったら

☆は何を思えばいいのだろうか

何を背負って生きればいいのか

 

後悔って

☆がするものじゃないだろう

両親だってしても始まらないし

 

☆はくず星だよなぁ

流れ星になれば良かった

一瞬光って人の願いをいっぱい聞いて