学校のお客様 8 ぐるぐる回る

母親がバレーを見に連れて行ってくれた

紫色のきれいなお洋服を着てくるくる回ったり

蝶々みたいにひらひらしたり

一本足で立ったり

つま先で回ったりする

 

すっかり気に入って

☆もやりたい

却下である

目が悪いとできないという

 

ならば自分でお稽古する

つま先で・・いたくてたてない

一本足で立てない

ぐるぐる回るのならできる

8畳の和室でぐるぐる回る

そりゃもう 挑戦し続ける

同じ場所でぐるぐるできるようにがんばる

上手くなってくるとスピードも上がる

当然目が回る

柱に向かって勢いよく突進する

☆はこぶをいくつも作って

まだ 諦めない

速く もっとはやく ぐるぐる

勢いが半端なくなって柱に突進して☆がきらめく

その内柱が見えるようになった

ぶつかる寸前で手を出す

止まると知ったら もっと速く もっと長く

☆は吹っ飛ぶ

伸びて ぐるぐるをやめた

 

 

 

 

 

学校のお客様 7 遠くを見よう

3年の担任は☆が学校にいても邪魔にするわけではない

同級生は1・2年の時にすっかり仲良くなっているから問題なく仲良しで優しい。

冬が来て学校の出席率が多くなるまで外の世界を楽しんだ

 

音楽のある日の授業で、先生はいう

「緑の木を見ると目が良くなる」

そう言って全員で校庭にでて 校庭脇の木の層を眺めた

木はたくさんあった方がいいらしい

家に帰って親に聞くと 目が疲れたら自然を見て疲れを取ることで病気を治すのではない、近視の人には良いけれど☆には効かないらしいと言った

 

でも先生が目が良くなると言ったのだから試すくらいはいいだろう

校庭脇の木々を見てもつまらない

けど、じっと見る

つまらない

じっと見続ける

なにせ時間はたっぷりある

木々は実につまらない

家の裏へ行って田んぼの向かいをじっと見る

ずら~っと家が並んでいる 家だと知っているから家なのである

何日も見続けるとそれぞれの家がわかってくる

まず なが~い一軒ではないことが明確にわかる

ある家の端っこには黄色いモノがある

別の家の真ん中には黒い穴見たいのがある

もっと端っこはおうちが小さい

反対側の端っこはぐちゃぐちゃしてる

真正面のおうちはいつも通り抜けている家だ よく見ると毎度すり抜ける隙間が見える、家の間が明るい

だんだん窓も見えてくる

通り抜けできそうな所を見つけては実際に言ってみる

柵があったり 縁側の真ん前だったり 気がひける状態だ

 

でも、「視て発見すること」はおもしろいし役に立つ

あっちこっちの「遠く」を観察する日々が続いた

 

神社の境内は横板が長い、とか

じゃらじゃらのリボンは何色だ、とか

じゃらじゃらには穴がある とか

八百屋の店先の赤いのは何だろうと リンゴに違いない

気にすることのなかった細かいことで「見ること遊び」をした

黒いあぜ道は田んぼの土でお天気の日はいいけど雨の日はぬるぬるだから気をつけよう

土色のあぜ道はただの土の道

草ボウボウのあぜ道は石や穴ぼこだから良く足下を見て歩こう とか

とんがった屋根は目印になる など

二学期の☆の授業時間は

=結果論で=見える、感じる世界から自ら関わる世界へ進む自主トレだった 

当たり前に無自覚である 

本人は有り余る時間を好きに使っただけである

自転車 7 再び自転車

訳あって結婚なんてしてしまって

 

新居は龍ヶ崎というところ

 

常磐線佐貫の駅を降りると ニュータウンの道路が・・・

 

それはそれはまっすぐ ドーッと続いていました

 

第一次募集くらいの時でニュータウンにはほとんど人がいない

 

つまり道路はしっかり人がいないと言う理想の静けさ&歩きやすさなのです

 

家は突き当りからさらに農道を先へ進んだところにありました

 

駅から4キロほどでしょうか

 

最初のころは50ccのバイクに二人乗りでした

 

二人乗りがいけないなどは知りません

 

だって、 もともと免許が取れないのですから知る必要がありません。

 

あっという間につかまりました。

 

「3000円も罰金取られた、とか言ってましたっけ。

 

 

その後すぐに自転車を持ってきました

小型の足のつくやつ

 

☆;自転車は乗っちゃいけないから

仙人;いいか悪いかは自分が見ればわかる

 

☆は自転車に乗れる

何年たったって ちょっと乗れば思い出す

しかし、そういう問題じゃない

 

仙人;判断は自分がする

仙人;大丈夫だ 

 

ソリャ 運転はできますよ

自転車大好きですよ

でも、そういう問題じゃない

 

仙人;自分の判断に間違いはない

仙人の祖母は全盲だった。

盲人のことはよくわかっていると自称している

耳たこほど繰り返される

たしかそのおばあさま仙人が5・6才の時に亡くなっているはず

「祖母が盲目だった」と言うことが仙人の強みらしい

 

翌日から自転車の通勤が始まった

ニュータウンはまだまだ人が少なく 道路だけが立派で

歩道はわが自転車のために存在した。

 

駅の近くは人が増え(当たり前)

5メートルも先の自転車を見つけて

ワッ ぶつかる と急ブレーキをかけ滑ってひっくり返る ピエロの真似事以外は何事も起こらなかった

どんどん運転がうまくなった

 

 

佐貫の駅前って当時広い砂利地帯だった

何度も砂利につまずいて滑って前方に焦って 擦り傷が耐えなかった

そのような微々たること3千円の罰金に比べたらどうでも良いことだ

バイク免許の更新=50ccからの格上げは「面倒」だと即効却下された

車にひかれてさよならも近いかも知れない、と思ったし

授業中も救急車の音が気になってくれた母の思いが暖かい

仙人は「世の中に必要のない☆の存在」を消しさる使命でも抱えて現れたヒーローなのだろうか

☆は 「仙人の所にいる」ことは諦めても 「生きること」 を諦めていない

 

 

 

自転車 6 自転車は光と闇

私は道路わきの線に沿って

迷うことなくスタスタ歩く

溝に落ちないために とか

真中に出ることがないように とか

安全のために 道路の線を見ながら

端っこをあたりまえの人が歩くスピードで歩く

 

右目が見えないから右を歩く

これが不思議らしい

右は道路わきを歩けば問題ない

たまに歩道に置いてある

いろいろなものにぶつかることをのぞけば だが

 

見える左で動いてくるものをよける

右が外側ではどうしても動作が遅くなる

 

角まで行ったら必要最低限のものを見る

常に耳を済ませ 車の音で距離を測り

人の声や物音ででいろいろなことを知る

 

山国にいて山を見ず

商店街を歩いてもウインドウをのぞかない

目的地に続く足元だけを見る

まさか歩道にドテンと車が置いてある訳がない 

と 信じているのに・・・信じたいのに

歩道上の正面衝突を 何度すれば気がすむのか

運転手は空だし メガネは曲がるし 低い鼻が高くなる(はれる)

 

人と歩くときは しとやかに 前に出ず人の背中と足元を見て歩く

背中が下がれば下り 上がればのぼり

背中がはねれば 障害物あり

平行して歩いて初めて

視力のなさに気がつく人も多い。

 

だって・・つまづくもん。

時には階段から落ちるもん。

 

ガツーン 

ドン

キー!!!

 

人生55年

道路の端っこを歩いてきたにもかかわらず

何十回と自転車にぶつかってきた。

大げさな数字ではない。

三桁かも知れないほどだ。

とにかく自転車は道の端っこを

音もなくやってきてぶつかる

ほとんどが

「すみません」と言ってそのまま走り去る。

時には 

「バカヤロウ、どこ見て歩いてる」 と怒鳴られ

あっけにとられて思わず立ち止まり

悪いのはそっちだろう と気がついたころには、もういない

   これは東京に多い

 

自転車は「ぶつけても」怪我をしない

「ぶつけても」痛くない 

ぶつけられた人のことなど 気にしない

 

竜ヶ崎市にいたころ

すっかり日の落ちた交差点の歩道上で

無灯火の自転車に引かれた。

真横から近づく音が聞こえたときには

暗い世界が回った。

「どうも」と女性の声だけが残る。

これは「ひき逃げ」 ?!

歩道上で無灯火 しかも目一杯フルスピード。

肩と足にけっこうな怪我をしてしまった。

 

伊那谷に引っ越してから

自転車にはぶつからなくなった

なぜかって? 

 

そりゃぁ

あまりの傾斜に自転車が非合理的だから

 

歩くのも「しんどい」のぼり坂を真剣な顔で 

夢中でこいでる中学生に出会うと

ガンバレ と思う

 

自転車は嫌いじゃない

自転車 4 ☆の自転車と新しい景色

補助輪の事故?事件?から姉は私を後ろに乗せなくなった。

 

☆は三車車を飛ばし続ける

 

ワー!!!!

私の自転車が来た。

突然父が自転車をくれた。

自転車屋さんに 中古の小さな自転車が入った とかで

買って来てくれたらしい。

 

奇跡だ!

父がくれたプレゼントでこんなに驚いたものはほかにない

 

視力のない私に自転車

当時だって非常識だったろう

兄弟平等の思想というのは 奇跡だって起こすらしい

めくらに自転車 断じてありえない

すごいことだ 

 

父の条件

 

  朝早い時間しか乗らないこと

  破ったら取り上げる。

 

もちろんどんな条件だってかまわない

なんてったって憧れの自転車だ 

 

悪魔から天使になった補助輪を貰い受けて

超早起きになった

 

もともと運動神経は悪いとは思わない

が、人と違う学習が必要なのが難点

最大の弱点は距離感

自転車に乗った位置からの もろもろの距離

歩いて10歩がひとこぎで通り越してしまう

 

十字路が近いからブレーキをかける

これは普通の人のやること

☆は違う

十字路の手前で止まるためには

・・どこの家のどの区切り・・でブレーキをかける

知らない道路での応用力ゼロだ

 

 

十字路の東西に伸びた道路が

光の筋になって浮かび上がっている

気がついたら光を求めて前を見ていた

道路脇の家を見ずに自転車をこいだ

正しく「光の中へ」進んで止まる

日の出の時間は誰も来ない 自信がある

四つ角のど真ん中で朝日に向かって笑う

 

早起きは3文のトクというが 

早起きは 新世界の門 だった

 

足と記憶の距離からの脱却 

視覚で距離を測留事を知った

 

目線を足元から前方に広げたら

世界はぐんと広くなる

 

見える世界から見る世界へ

朝日の帯を距離の目安にした時が

自分の意志で 見る世界 へ踏み出した記念すべき瞬間だ

見える と 見る の違いを知った瞬間でもある

めげない☆は光の中で輝くことしか考えない

 

 

自転車 2 衝突

だいたい自転車というものは音がない

ぶつけられる痛みを知らずにすむ乗り物だ

・・・・・・・・・・・

   

最初の自転車事故は幼稚園に入ってすぐ。

 

幼稚園の通園は結核療養中の父が付き添ったが

道を覚えてからは一人で通った。

自力通園を初めてまもなくだったと思われる

 

もうすぐ国道 と言うところで

遅刻寸前らしい通勤途中の自転車に引かれた。

 

 

歩いていていきなり空が見えた。

くもり空の白い空

次の瞬間 

痛い!

動けない!

わーーー

 

泣き声が響き渡ったのだろうねぇ

大勢の人が集まってきたのを覚えている。

ぶつけた男の人が

「大丈夫?」と聞いたのも覚えている、が

痛くて返事はしなかったはず。

 

とにかく私は家に連れて行かれ

父の背中に乗り換えて近くの外科に行った。

ひざの裏側に怪我をして数日間歩行禁止。

翌日からは父の自転車で快適通院である。

 

父の自転車は心地よい

この快適な記憶が「あれこれ」に勝ってしまう

後々の 「大丈夫」 だって 自転車の風には勝てないのだ 

 

 

父は正当に外堀を埋めるのが上手い

母は気遣ってくれるが父の思惑に乗っかる=それが生きる知恵だと言う

両方の手腕を手に入れれる、と☆は密かに思う=こう思ったのが何歳だったかは覚えていない

 

 

自転車 1 タイヤは回る

父は自転車を引っ張って☆をつれて歩いた

速いのである

☆は送れまいと飛ぶように走った

送れると怖いのだ

疲れて動けない☆を載せて走ってくれる

もっと速いのである

風を切り と言っても父の後ろにひっついていないと落ちる

しっかり捕まっていても首は動くのだ

高くて速くて楽しい

自転車とは実に不思議な乗り物だ。

のれるようになっても なお 

理屈を聞かされても なお 

不思議な乗り物であることに変わりはない

自転車ってどうして倒れずに走るのだろう

かなり幼いころから不思議でならなかった

止まっている自転車は支えがないと倒れる。

それなのに人が乗ると倒れないで走る。

歩くときは手で支えて押していく。

 

道路を走る自転車を見るのがすきだった。

ほとんど視力がないのだから

こいでいることも見えていたかどうか怪しいものだ。

父の背中でもこいでいるとは思ってもいない

だって幼い頃の記憶では 自転車とは すーっと通り過ぎるモノだった

 

 

不思議な乗り物 自転車が目の前にやってきた。

父は前から乗っているのだから 置き場所を変えただけなはずはず

でなければ時間軸が逢わない ま、その辺はどうでも良い

玄関を作り替えたら自転車が現れた

「盗まれないように」 いつも玄関の中に置いてある。

盗まれないように 玄関の方を「自転車が入る大きさ」に

直したのかもしれない

重要なのは 自転車が☆の視界の中にやってきたことだ

 

なんにでも顔を突っ込む、手も突っ込む私は

早速自転車のとりこだ

いまだに10本指がそろっていることから察するに

車輪に手を入れないようにきつく言われていたに違いない。

 

ひまさえあれば ペダルを手で回し 後輪が回るのを楽しんだ。

私を探すなら玄関に行けばよい。

それほど あきもせず ペダルをまわしつづけた。

どういうわけか前輪はびくともしない

 

ガンガンまわしてパッと放す

後輪は勢いよく回り続ける

音が、またいい 聞いているだけでうれしい

どんなに頑張っても やはり前輪は動かない

 

乗れない! これも至極当然で 背丈が足りない

      小さいから乗れない と信じていた

 

それでも乗りたい!! そうだろう そうだろう

 

思い切って ペダルに全体重をかけて

 

自転車の下敷きになった

 

どういうわけか丈夫にできていて

さほどの怪我もなく這い出して ふと見る 

 

前輪が回ってる???? 

倒すと前輪が回るんだ!

 

もう鬼のくびを取ったほど感激で

そのあとの おろかな行為につき物の

小言など聞く耳も 反省する心も 走り去っていった。

 

医大 理不尽と生きる知恵 16 病気を知る

医大に入院した体験は 精神的発達にも

感覚の発達にも大きな影響があった

 

等間隔の階段を目ではなく頭で駆け抜ける方法を知った

常に周りを観察し行動パターンを知ることで 

姿を消したり現れたりするタイミングを逃さない

つかまったら言うことを聞いたほうが解放が早い

自信を持って堂々と行動すること

などなど

こんなこと、入院して覚えることじゃないだろう

 

おとなになってから この体験をまともに生かせたと思う

 

病気を持った子どもの教育の重要さ 

お医者さんの姿勢 あり方 など 

医療や教育について考えるようになった

 

斜視の訓練は記憶では二回しかしていない

虻先生は私が逃げるからできないというけれど

私が上手く逃げるというよりは 

それをいいことに 先生がやめてしまったのだと思う

ほんとうに重要なときはちゃんとつかまっていたし

私が行くところなど本気を出せばわかるだろう

医大は最初から する価値のない手術であり

意味のない訓練であることを知っていたのではないか

専門医でない、しかも子ども嫌いの医者が担当し、

野放しであそばせていた

 

どの医療機関でも治せないと診断した斜視を

「我々なら治せる」と本気で思ったとしたら

斜視専門の医者が担当するのが自然であろう

 

最初の手術でも これから起こることの説明や

出来れば予行演習をし、メスと注射と差が無いと吹き込み

きちっと立ち向かわせ 

泣き出しそうになったらおなかをさすって励ます、とか

楽しいことを言って 頑張らせる とか

涙が出ても暴れなければ 先生うまくやるからね、とか

全身麻酔でなくても 我慢させる 頑張らせる 方法は

絶対にあったはずだ

信頼はあめ玉では得られないし

あめ玉は あめ玉の価値しかないことを知るべきである

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

娘は白内障にとどまらず緑内障まで併発してしまった

8歳のとき入院した東京慈恵医大の小児病等では

6・7・8歳の子が毎日

自分がかかっている病気のビデオをみて勉強していた

 

毎日インスリンを打たなければどうなるか

腎臓が悪いとどうなるか

病気を知り 治療法を学ぶ

死に向かう道しかない子どもに対しても

激しく揺れ動く心の動揺に

今生きることの意味を看護婦さんが根気よく話し元気付けていた

聞いているだけで深い感銘を受ける

病気を知ることは一見かわいそうに思えるが 

髪の毛が抜け落ちてしまった現実がある

毎日注射される現実から逃れられない

自分の病気を理解することが

自分自身で病気と闘う心を育てる

娘の面会に行きながら 

生きることの尊さを改めて学んだ

きちっと指導するこの病院はすばらしいと思った

・・・・・・・・・・・・・・・・・

小学校のじゅん子ちゃんは 

自分の病気を知っていたから、病気と戦えた

だから いつまでも心に残り 生きてほしかった
    〈タグ命=じゅん子ちゃん〉
私は自分の病気を「先天性白内障」と教えられていた

間違いはないが、斜視を伴っているとは知らずに育った

眼球しんとうなるものも知らなかった

他の人が見えないから目が悪い自覚もない

斜視は「ものが二重に見える病気」で私は二重には見えない

自分で鏡を見ると 使っている左眼が正面を向くわけだし、

視力がないから2センチまで近づいて見るわけで

当然右目のあたりは見えてない・・・無いに等しい

具体的に教えてもらわないと

第三者からの見た目を知ることができないし

見た目で判断されて告げられると安易に信じてしまう

 

自分の斜視を自覚したのは高校に入ってからだ

山形盲学校には全国に先駆けて斜視学級をおいた

小学1年生を中心に東北大学で手術し

盲学校で訓練をするというクラス

そのクラスの生徒と私の斜視がほぼ同じ程度だと聞かされ 

初めて斜視というものを見た

ひどいものだ

かためは白目に見える

 

「ああ、こうだからいじめられたのか」

いじめられた原因は白内障ではない

そこから生まれた「おまけの斜視」だった

十分納得できた

 

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 15 ケーキが二つ

医大には白内障の手術と思い込んでいたから

別な病室に同い年の斜視の子が入院してきても

「私は白内障」と言い切っていた

その子の担当は斜視が専門の渥美先生

なぜか担当じゃない先生の名前は覚えている

のちのちラジオの眼科相談や、福祉センターの眼科医など

福祉関係に力を入れた先生でだが

なぜかいっぺんで覚えて忘れなかった

 

渥美先生はいつもニコニコ

たまには☆にも声を掛けてくれた

なぜ、自分の担当がこの先生じゃないのか、と

当時でも とても残念に思った

 

その斜視の子の頭文字はT

☆;斜視ってどんな病気?

T;よく見ようとすると何でも二つに見えるの

☆;お菓子もふたつあるの?

T;二つに見えるよ さわると一つしかないんだけどね

 どっちにしようと顔を動かすと一つになったりするよ

ものすごく面白い病気だ

物が二つに見えることを想像して楽しんだ

 

美味しそうなケーキが二つあって 

大きいほうをとろうとすると消えてしまう

夢にまで見てしまった

 

ポケットをたたくとビスケットが二つ

なんて歌を歌うと 斜視の歌も作れそうだと思ってニヤリ

 

自分は白内障でそんな病気じゃないから

二つに見えるなんてことはない

そんなことを病室で話しているのだから

コッケイだったに違いない

 

よく考えると 考えなくても 私も斜視だ

ものが二つに見えても良いじゃないか

当時すでに「ものを見るための右目」はもっていなかった

斜死目 と言ったところかな

 

右目を意識して使うことを覚えなかった入院生活は

両親から見れば何の成果もなく終わった。

担当医から見たらどうだったんだろう

知りたいものだ

 

☆のことだ

がんばるとケーキが二つに見えるぞ

くらいでコロッと引っかかって 

右目を使う訓練をたっぷりしたかもしれない

なにしろ 目標が定まると

それがろくでもないことでも まっしぐらだ

少少あきらめもはやい気もするが

 

医大 理不尽と生きる知恵 14 両眼を使え

手術は滞りなく終わったようで行動規制がどんどんなくなった

 

これまで斜視の手術と書いてきて、実際そうなのだけれども

白内障をよくする手術、とだけ聞いていた

大人にしてみればそれで十分と思ったのだろう

手術に違いがあるじゃなし

すんでしまえばみな同じ

ドンチャン チャチャチャ チャッチャ・・・

 

手術からずいぶん経ったある日

逃げないように先生はずいぶん早く来て診察室へ

先日の握力を測った部屋で 椅子に座る

ちょっと見せて、といって、いきなりグイ

抜糸だと後から聞いた

☆;いたい

蠅;こんなの痛くないだろう

☆;いたい

蠅;手術より痛くないだろう

☆;手術は寝てたから痛くなかった

蠅;口の減らないヤツだ

それで解放

 

最初の手術の前に 

手術は痛くも何ともない と言った

この発言はおかしいと 後から思った

言い返すなら相手の記憶に新しいうちがいい

だから そのことでは言い返していない

蒸し返しているのは蠅の方だ

 

その日、

まさか午後もくるとは思わなかったから6階で遊んでした

蠅;☆ちゃんこっちに来て

☆;えっ、? しぶしぶついてい

午前中と同じ部屋に行き、同じ椅子に座るが向きが違う

目の前には黒いものがあった

のぞき窓が二つの望遠鏡のようにも見える

悲しいかな、珍しいものには目がない

蠅;のぞいてみて

なにやら赤いものが見える

蠅;右で見て

☆の目は右目がそっぽを向いている

それを治したのか 治らなかったのか

右で見ると左では見えない

蠅;左で見て 赤いのが見えるか

☆;見える

かなり面白い。動く赤いものを追いかける

蠅;今度は両目で見て

☆;??・・・??

蠅;両方の目をつかうんだ

☆;??」 

何を言っているのかわからない

蠅;左で見えるだろう

☆;うん 赤いのがはっきり見える

蠅;右でも見えるだろう

☆;うん 右で見るのはたいへんだけど、見える

蠅;両方使って見えるか

☆;・・・????  これがわからない。

生まれてからの記憶では一度も 

両方の目で 同じものを 同時に見たことがない

見る=両眼視 という観念は それを知っている人のものだ

両眼で見ると言う動作その物が理解できない

 

雲行きが怪しくなってきた

蠅;物って言うのは両方の目を使ってみるものなんだ

チンプンカンプン ボケッ

蠅;両方の目を使え

☆は戸惑う 

蠅;手術したんだからできるだろう

手術の後 変化など全く感じていない

左で見れば右は見えない

右を無理に使えば左は見えない

ごくごくあたりまえのことで

両方使えって言われても こまる

蠅;できないわけないだろう

なにをしたら良いのか、

どう筋肉を動かせば良いのか 

どう努力したら何が起こるのか

 

それ以前に 斜視という自覚がない

人間の目は両眼とも同じ方向を向いているものだ、 

とすら思っていない

自分だけ目つきが悪いなんて考える&感じる余地もない

自覚のないものをどうこう言われても 理解できない

訓練する意味も必要性も何も とにかくわからない

 

蠅;しょうがないな 今日はいい

何がなんだかわからないまま終了

このときは 落ち込んでしまった (ちょっとだけ)

 

面白くもない

翌日は昼食終了と同時に逃げ出した

先生は昨日と同じ時間に来て空振り

ところが夕飯の食器の音と同時に現れたところを狙ってきた

これはどうしようもない

 

昨日と同じ 怒鳴る声が増えただけだ

意味のわからないことを何度言われてもどうしようもない

これは抵抗しているわけではない

わからないのだ

ほかのことと違う

ゲームみたいなのを覗き込むことがいやなわけがない

ただ 反抗もしていないのにやたら叱られる

 

蠅;まえは何をやらせてもダメだ

  言うことを聞かない

  両方の目を使え

  どうしようもないヤツだ

   だめなヤツだ

 

極力逃げることにしよう