ヒビは骨折 7 最終回

怪我というものは何かしら跡を残すもの
小さな怪我はより大きな怪我をしないための訓練だ、とよく言う
10ぺんも同じような石につまずいたら
「それが何かわからなくても」気をつけるようになる
世に言う 経験 というものだ
だったら 大きな怪我をしたら
その怪我に見合うだけの収穫がほしいというものじゃないですか
・・・・・・・・
最終回

舟状骨骨折から6年後はどうなったか、観察しよう

手の形 すっかり左右対称に戻った
意識しなくてもずれません

しびれ 残った
手の真中の縦しわの親指側に鈍いところあり
日によって程度のばらつきが大きい
全くしびれの無いときもある
右手(同じ手)の中指や薬指でこすると
しびれていないことが多い このさわり方では感じない
手を完全に開いた状態で左手でさわると
手術した個所の少し上が広範囲でしびれていることもある
日常に全く支障はない。

握力は下がっただろうか
意識していればほとんど戻ったと思われる
無意識にヤカンを持とうとしたときなど
とてつもなく重く感じることもあり、骨折のせいにする
骨折の経験のない人も 同年代は感ずるらしい
9リットルの灯油タンク、べらぼうに重く、やはり、
と思ったものだ。が、残念なことに左手でもべらぼうに重い

動きは鈍ったかな
ピアノで分散和音や音階など
すばやく(???)親指を連続して動かした時
親指全体に違和感や、少々の痛みを伴うこともある
手首ヤ指の準備運動をすればほとんど防げる。
サボり度合いとの関連がいまいちはっきりしない
もともと手首は外側にそらないほうなので
取り立てて硬くなったとはいいがたい。

その他
どこまでが後遺症でどこからが加齢あるいは怠慢によるものかは
定かではないが 意識すれば正常というのは
骨折が影響したのかも知れない
重労働による腰や膝の状態と比べれば
完治と言って間違いない

マッサージは状態が悪いときは即効性があり
状態の良くなってからも続けると完璧治に
より近づくことがわかった気がする
ただ、面倒なことをしないのが 普通の人で、
普通以上に怠け者かもしれない☆は
「わかっちゃいるけど やってられない!ホイ」

以上 ひびは骨折

最後に私よりひと月後、すぐ近所の5歳くらい年上主婦が
左手小指の根元を 転んでヒビが入る怪我をした
この辺では一番といわれる松川町の開業医で診察を受けた、

なんでそこに行かなかったの、といわれても知らないし

私の不運は

結構あっちこっちに事情をはなし車の依頼をしたけど

だれもかれもが予定が入っていて車を出して貰えなかった

だれもその医院のことは言わなかった

 

彼女曰く

怪我から1時間後には見てもらえて早くてよかった、と
あたりまえに話す (ああ、車)と嘆きながら 聞く
舟状骨のように 特別くっつきにくい骨 でもないし、
そのままギブスで2ヶ月近く固定した
私と大きな違いは
最初の診断から 「ヒビ」だと言われている
今でもヒビという言葉は生きているではないか
左手の小指ということから
ギブスを外して手が開くようになったら
それ以上、困ることがないので リハビリはしなかった
と言っていた。それまでの生活に戻った。
ピアノを弾くわけでもないし、握力ももともと左は弱いし、
小指なら影響がないのかもしれない

☆はこう考える

重要な右手の怪我だったからこそ
復帰に精を出し パソコンまで使えるようになった
この、パソコンを覚えたことが 生活を変えた。、
エクセルの集計を頼まれたり、テープお越しをしたり
近所の作曲家が、楽譜が書きやすいように と
楽譜ソフトを入れてくれ、
自分の曲のピアノ伴奏を依頼してくれる
指導している合唱の編曲もするようになった
何時かMIDIのサイトも開きたい
楽譜を作ると表紙がほしい
我が家にはレーザープリンタ、なるものがあるから
フリーのイラストなどで すてきな表紙が作れる
田舎の、車なし生活で 家から一歩もでない、
人と話す機会がない 息の詰まる生活から
先のありそうな生活に変わった
もう、パソコンはピアノと同じくらい生活の必需品

もし、怪我がなければ、パソコンはただのゲーム機で
未だにW3.1かも知れない (今はW2000だけど)

これから まだまだ やることがある、やれることはある

 

追加

72才になった 舟状骨骨折から20年

今度は 痛恨のミス

お客さんが到着する、と言われて不用意に一歩踏み出してしまった

終活中で処理待ちのアルバムの上に紙があって

バナナの皮を踏んだ状態でひっくり返り

思わず突いた右手は 見事 手首の複雑骨折

大変「お医者さんらいいお医者さん」に縁があり

即座に手術を選択した

手が戻ったら手記を書こう

仙人=主人は二日目でもまだ骨折に気がつかない

何度も顔を合わせているのに

明日、まだ気がつかないようなら

10日間入院することを言わないと不味いよね

ちなみにギブスは肘まで 目立つと思う

三日目まだ気がつかない

いつ言おうか・・・

目が大変よろしい仙人様は近くが見えないのだろう

あるいは ☆の存在は空気かも

ヒビは骨折 6 息子と

おしゃべりな☆は ヒミツの必要性 がない限り ←ポイント
口にチャックはかからない。
自分のことなら無規制だからお茶のお供になる
・・・・・・・・・・・・
息子と

事故当初は余計な心配するだろうと黙っていたが
そのまま息子には伝わっていなかった。

病院とさよならしてかなりたってからの電話での会話。

☆;やあ、私、怪我したの知ってるっけ?
◇;聴いてない
☆;裁断機でさ
◇;指が無くなった
☆;指が無くなってたら、こんな話し方しないって
◇;そりゃそうだ で?
☆;丁度一人のときに、
小冊子100ページ350冊頼まれてさ、
ページ付け、印刷、帳合、確認、糊付け、カット、
と全工程5日間でやったわけですよ。
なんしろ、わたしゃコピー専門で印刷機は初めてだしさ、
糊付けは売り物のはやったこと無いし、
バサッと切るほうの裁断機は触ったことも無いし、
でも緊急の仕事で海外に持っていくから、
製本少々下手でいいからって・・・。
っていう訳で、やることになったわけですよ。
◇;無茶でしょう
☆;デモネ、零細以下としては、逃せない収入なわけでして、
◇;そりゃそうだ
☆;そんでもって、5日間っていったって、
用紙の注文からだから、1日目はページ付けとか、
準備だけしてとにかく寝ダメですよ。
二日目に用紙が届いたから、始めたんだけど、
なにしろ全工程は初めてだから
相当のしっぱいを見込んで550づつ印刷してさ、
両面だからけっこうそこでロスが出るんだけどね。
◇;あの印刷機だと膨大な量になるな
☆;帳合が大変でさ,130枚の山が部屋中埋め尽くして
それを1枚ずつ集めていくじゃない。
最初、半冊分ずつやろうかと思ったけど場所に無理があって、
結果1冊分ずつやることになってさ
毎度思うんだけど、この作業が、一番大変なんだよね,
折ってないから上下がひっくり返っていても
コチトラ見えないじゃない、一束まとめてひっくり返るから
ここでトチルとあとで帳合のときうんざりの上塗りだから、
ここは我慢に慎重なんですよ。二晩一睡もせずに頑張って、
帳合は目が開いてないとできないから寝て、
起きたら倒れるまでですよ。
◇;アレは単純でただでさえ眠い仕事だ
☆;気分転換に、確認作業終わったのから製本してさ、
遊びで糊付け覚えといて助かったよ。
売り物は初めてだけど、思ったほど下手じゃなかった。
というか、どんどん上手くなった
何とか間に合わせて糊付けが終わったんだけど、
乾いたものから切らなくちゃならないじゃない。
それがね、厚さが結構あるし、力もいるから、
一回に2冊しか切れないの。
2冊でも結構体重かけないとずれてしまうのね。
それで、玄関に裁断機を移して
上から一気に体重をかけられるようにしたんですよ。
時間との競争でさ、最終的には11時半にわたしたんだけど
◇;またずいぶん遅いね
☆;何時にできるかっていうから10時までには何とか、で
11時に取りに来ることになった
◇;なるほど、10時では終わらないだろうという
☆;まあね。わかってるよね。
そんで、延々とガッチャンコとやってたわけですよ。
それでもだんだん間に合わなくなって、
何とかスピードアップしなきゃ、と急いだら、
つるっと手が滑って、切るはずの本が外れちゃってサ、
無くなったもんだから力が余って、
勢いもあまって身体が前につんのめって、
床に手をついちゃったのね。前に裁断機が無ければ、
体重が一点にかかることは無かったんだけど、
不運というか、あせった結果というか、
ボキッ、ゴキゴキ
っていう音がしてさ、
・・これはまずい・・と思ったけど、
見る間にはれてくる手でそのまま続けたんですよ。
最後は取りに来たお客さんに手伝ってもらって、やっとわたせた。
◇;むちゃくちゃな話しだな。
☆;そんでね、手のほうはひびが入っててさ、
それがまた・・・ひびは骨折の物語り・・・でさ。
左手は使えるようになったし、
ワードは使えるようになったし。
それなりの収穫はあったよ。

◇;パソコンはかな入力かい?
☆;ウン。そうだけど。
◇;ローマ字のほうが動きが少ないから打ちやすいと思うよ。
☆;あぁ,探すの楽かな
◇;見て打ってるんかい?
☆;当然でしょう。
◇;お母さんがブラインドタッチしなくて誰がやるんですか。
☆;ははは・・言えてる
・・・やぁ、目ってサ、便利なものなんですよ。
覚えなくてもキーが打てちゃったりして・・
時々さ 正直いつもだけどね、
キーボードに顔くっつけて打つわけだから、
ぜーんぶアルファベットになってるのに、
ゼンゼン気づかないでさ,
延々と書き直す羽目になるんですよ。実は。
◇;だろうな。
ブラインドタッチ覚えるとですね。
ディスプレイを見るようになるから速くなるし、
ミスは減るし、
姿勢もキーに顔くっつけるよりはよくなるし、
覚えなきゃダメですよ。
今度帰ったときにソフト入れるからちゃんと練習しなさい。
☆;はい・・

◇;ところでさ,手に入ってる金属、
磁石はくっつくかい?
☆;ふふふ 親子だねぇ。
喉まででかかったけど、
そういう聴き方は
さすがに顰蹙をかうかと思ってできなかったよ。
磁石(という言葉)を飲み込んでるうちに、
素材を聞くのも忘れちゃってさぁ。
◇;ドジな
☆;全くだ。結局わかんないんだよ。
磁石にくっついてでてきちゃっても困るしね・・
◇;いくらなんでもそれは無いでしょう
☆;針を落としたら磁石をもってこなくても探せるとか
◇;針刺しじゃあるまいし
想像末うだけで痛くなる
☆;ま、そういうことでさ
レントゲンもらってあるから、今度来た時に見せてあげるよ。

夏休みには練習ソフトが入り、今はローマ字入力になった
画面見てるか?
いえいえ、今なおキーにくっついてます
見なくて打てるけど どういうわけか キーを見たい

手の中の金属、一体何でできているのでしょう。
磁石にならないことは確かですが、
いまだに判りません。
ご存知の方教えてください
検索は楽しいのですが
なぜかこれは調べる気にならないのですよ。

ヒビは骨折 5 自己流リハビリ

ギブスは3日で手首の動きに違いが出る らしい
ピアノは1日サボると指が動かない・・そうだ
=普段からサボりがちなには 頭の中の理屈だけど=
・・・・・・・・・
    リハビリ
 
ギブスが取れた
と喜ぶのはまだ早い
ホントに動かない びくともしない
ギブスがないのに まるであるように まったく動かない
こんなことってあるのだろうか
棒のようになってる手を洗うのも一苦労した。
 
絶対に元に戻す。
左右逆転では済まさない
 
何からやろうか。
 
まず,マッサージ 
門前の小僧は今こそ自分のために底力!
ヒマさえあば 下から上へ 先から心臓へ
マッサージは心臓に向かうのが基本。
何しろ、指は縦に動くけれども 横に開かない
石膏で作った絵の見本のようにイイカッコのままだ
生活するには不便極まりない
母指球親指の付け根のふくらんだところ、も
押したりこすったり、
 
少し動いたら グー・パー 
親指が曲げられないのでチョキは難しかった
 
誰でもやること以外に何をしたか,
 
手を開かせるためにしたこと
 出かけるとき
 割り箸を親指と小指の間に通し,
 強制的にパーの状態にして歩いた。
 最初はすぐ痛くなり、とったりつけたり
 やり過ぎないようにこまめに外した。
 ナニセ、過ぎたるは・・で とても痛い
 効果は抜群で、立体が平(ヒラ)になってきた
 
 テレビを見るとき
 両手で身体を支え、体を浮かす。
 これは思ったよりできません
 腕が立たないです。
 手を開くことに耐えられないらしい
 ちょっとでも体重が乗ると指を立てることもできない
 なんで?固まってるんだからできたっていいじゃない
 今度は手首の骨が折れそうに無理
 両手で以前のようにできるまで年単位でかかった
 
手が開くようになると 物がもてて,一見以前のように
復帰したと思えるようになった。
これが大きな間違い 
気が付くと、指先を使わずに生活している
 
すぐ親指の腹で物をつかむ
これでは細かいことはできません。
 
状態を想像するには今の若者たちの鉛筆や
 箸の持ち方を思い浮かべてください。
 若い世の中 ギブスの後遺症時代 です
 つけ爪症候群かな
 
指先が使われたがらない
 
このことに気が付いて、意識して指先を使い始めたら、
朝、起き抜けに手が開かなくなった。
起き上がろうとすると 手が丸くなったままで
開こうとするだけで ビビビー!!!
 
よく手のひらを触ってみると、
母指球がしわしわではなく親指から小指のほうに向かって、
マンドリンの弦をはったみたいに、
何本もの線が硬く浮き出ていた。
音が出そうだ ビンビンビン
とくに親指の付け根から小指に向かって伸びる筋が一本、
針金のように突っ張っている
開こうとすると,その筋がさらに際立って浮き上がり,
無理をすると切れてしまいそう
;これが筋というものか?
ゆっくり指圧をしながらやわらかくすると手は自由になる
毎朝,布団を出る前の仕事になった。
 
すっかりグーパーができるようになってから、
両手を見比べて驚いた
手首の骨の位置が違う
左右対称ではない
丁度盲学校に行く用があったので,
理療科の先生に見てもらうと 
 
あぁ、骨がつぶれてるね
 
平然と言いう。
舟状骨骨折の場合は多かれ少なかれ、こうなるのだそうだ
指圧でかなり治るという
治るというのは 位置の修復と機能回復
 
それならば,と,もう一度よく観察すると,
親指を前に突き出すようにしながら手を開くと、正常形に開く。
ぱっと考えずに開くと,手首の骨の位置がずれてしまう
 
そこで,いい位置になるように、心がけ,
指圧,マッサージ、割り箸,などで、調整
ようは、簡単で難しい 「常に意識する」というアレ
 
1年くらい経ったときには、ビンのふたも
左より骨折した右のほうが楽に開くようにになり
突っ張った筋は、時々浮き出てくるものの、
だいぶやわらかくなった。
骨の位置も見た目にわからないくらいもとの位置に収まった。
 
さらに続く驚きは爪、
事故のあったころの爪の付け根部分
・・・なんでしょう,あれは・・・です。
特に親指、それに人差し指,中指もちっと。
伸びずに分厚くたまってしまった。
 
数ヶ月たち,その位置が爪の先に来たとき、
親指の爪はは、爪切りも入らないくらい分厚く,
どうしたものかと思った
さぞかし丈夫だろう,と缶詰を開けようとして 
 
ギョッ ふぎゃ、べろん 
 
それは爪とは言いがたく、分厚い皮膚。
カルシウムが爪までこなかった?

爪って皮膚だからカルシウムじゃないか
それにしてもふにゃふにゃなのです。
ちょっと触るとべろんと上がってしまい、気持ち悪い
それに不便、また、指の腹で作業です
親指は、爪全体の3分の1くらい幅があったので、
伸びるまでいつも傷バンで保護した。
 
数年たったころ,
盲学校の先生が,もう一つ忠告してくれたことを
実行しなかったために残ったことがある。
手のひらの真中,に近いところの親指側が
一箇所だけシビレが取れていない
何の支障もないためについサボってしまった
ここのシビレについては先生から 
「数年かかるけど,指圧を続ければとれるよ」
といわれていたもの。
やっぱりサボればダメなのだ。 
 
いいわけだけど、やること多い 
これが後遺症で、戒め です。

骨折した時期の身体中の骨が弱いのではないか?
舟状骨に直結の指は極端に栄養が爪まで行かなくて
皮膚のような爪になり、伸びることもママならなかった
それは容易に理解できる。
それだけではなく、ほかの爪にも筋が入ったり 
爪の根元の白い部分がまったくなくなったりした
身体全体が怪我の部分に栄養を回したのではないだろうか 

 

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ヒビは骨折 4 手首専門 医療の変化

病院というところは理解できないことをする
「専門分野」をもっと意識するべきだ
せっかく専門医師をそろえておきながら
「どうせ同じことをするのだから」と無視して患者を振り分ける
・・・・・・・・
手首専門

舟状骨骨折と診断され一週間もすると、ギブスがゆるくなってきた
親指がひっかっかってかろうじて抜けないけれど,
ブカブカで、ぬきたくなってしょうがない状態、
最初から緩めだったけど初体験でそんなものだろうと思っていた

しかし ほっとくわけにも行かないし,
かといって,また病院でけんかするのも気がすすまない。
だいたい納得できずに言いなりになって手術はいやだ。

そこであう人あう人片っ端から意見を聞いた。
そんな時、手首専門のお医者さんを紹介してくれた人がいた。
そのお医者さんは 自分のところは遠いので
こちらの地域の「手首専門」の整形外科医を紹介してくれた
なんと,そこは先日から行きかけの病院である。
手首の専門医がいながら
手首の患者をほかの医者に振り分ける?理解できない。
とにかく先生を変えて新たに予約を取った。

ちょっと見方を変えれば
せっかくとったレントゲンも無駄にはならないし
もう迷子にはならないし
カルテを作るのに何時間も待つこともないだろう

とは言ったものの 先日あまりに頭にきたものだから,
当時、(パソコンはゲーム以外で触ったことがなかったが)
かな入力でポチポチ、キーを捜しながら,
この一連の事件を書き留めた。
なにしろピアノはダメでパソコンはいいのだから、
覚えるチャンスとばかりパソコンに向かった。

これをもって行けば説明しなくて済む、
と印刷し,持参した。

手首専門の先生の診察室は入ると
目立つように荷物置き場があった。
前回の叱られながら探した記憶が和らぐ。
それまでの経過を書いた,(始めてのワード作品)
を手渡し、読み終わるのを待った。
少々雑談し、レントゲンを見た。
前回は先生の机の前にレントゲンの場所があったが,
ここでは壁側にあり,立ってみるようになっている。
そこで,遠慮せず顔をくっつけてよーくみた。

☆;やっぱりひびに見えます。
先生T;これはひびですよ。先が離れて,
骨の真中辺まで筋が入ってますね。
☆;骨折と言われましたが
T;10年か15年前から
ひびという言い方をしなくなったんです。
だから若い先生はひびも骨折も、みんな骨折なんですよ。
状態に違いがあっても処置は同じだからでしょう。
手術はここにスクリュー、要はネジ を埋め込みます。
ネジはお互いの骨を引き合うように働いて
だいたい1週間で元の位置に戻します。
手術をしない場合はギブスを2ヶ月もつけているのに対し,
一週間でギブスをはずせます。
☆;2ヶ月ですか。この間4ヶ月といわれましたけど,
T;私は2ヶ月ではずします。
☆;2ヶ月で治りますか」
T;治りますよ,
20代だったら100%とはいえないけれども,
98%は治ります。
私やあなた、ほぼ同じ年ですが,くらいだったら、
そうね,85%は間違いないでしょう。
☆;じゃ,ギブスで治してもいいわけですか、
T;ギブスでも治ります。
ただ,じゃ,なぜ手術するか、ということになりますが
この舟状骨骨折というのは20年前までは
ギブス以外に治しようがなかったんです。
しかも非常にくっつきにくいため,
ギブス期間が長くなったりして,厄介な骨折でした。
手術するようになってから、1週間でギブスがはずせて,
後遺症がほとんどなく治るようになりました。
☆;後遺症って?
T;ギブスで治した場合、手首の動きが悪くなります。
☆;手首ってそんなに動かなくなっちゃうものですか」
T;なりますよ。
ギブス3日ではっきり違いが出るくらい
手首というのは動かなくなります。
若い人は元に戻りますが。年を取るにしたがって,
元に戻らない人が,多くなりますね。
私の年では、完璧に元に戻るというのは・・、
可能性は低いです。ただ,ゼロではないですよ。
治ってる人もいます。
☆;手術したばあいの後遺症は?
T;握力が落ちます。これも、若い人はもとに戻りますが
左右の握力差が逆転するくらい落ちます。
完全に元に,は難しくても,左右差がないくらいまでは
回復する可能性は十分あります。
ギブスをすると手(腕も)の筋肉が落ちてしまい
なかなか戻りません。
とうぜん握力も落ちるわけです。
手術をした場合は、
握力の低下だけで抑えられるということです。
もし私が,同じ骨折をしたとして,手術なら復帰できますが,
手術しないで治したら復帰できる自信はありません。
それくらい舟状骨骨折に関しては画期的な進歩です。

というわけで手術にふみっきった。
つけ直したギブスはコロンコロンして分厚いが,
親指がしっかり固定され,残りの指がかなり自由に動いた。
ピアノを弾こうがパソコンをいじろうが好きにしていい
とても快適で,たいへん気にいった。
但し、ピアノは弾けない なぜか
親指の付け根の部分は特にギブスが分厚くできていて
ピアノに直接あたってしまう。弾く姿勢を取れない
だから、弾いていいわけだ やれるものなら・・

手術は入院なしの 日帰り手術で,
家を空ける心配もしないですんだ。

手術中はモニターを見せてもらい、
説明を聞きながら進んだ。
ネジ(スクリュー)を見せてもらったが,
ものすごく大きく見えた。

T;こんなにちいさいネジですよ
☆;ええ、大きい。
と つい言ってしまったが,後からよく考えれば、
どでかピンセットにつままれた
2センチのネジが 私にみえるわけがない。
私が見て大きいと思ったものはピンセットだったのだろう。
普通だったら考えられない間違いだが十分ありうる。
あれは10センチもあったんだろうな。
そりゃぁ、おおきいよ。手をつき抜けてしまう

手術後の注意事項はごくごく簡単で,
痛み止めは1錠も飲まなくてもよいが、
炎症止めの抗生剤はなくなるまで飲むこと。
手はちゃんと釣って下に下げないこと。
それだけだった。

手術当日は家を11時半に出て手術後は薬局により,
高校生の通学バスを待ってスーパーで買い物をした。
家に帰っても痛みはなかったが,
夜になってがんがん痛み出し,痛み止めを2日間飲んだ。
炎症をおこして再手術はいやなので抗生剤は指示通り飲んだ。

ヒビは骨折 3 心も骨折

大きな病院は嫌いだ
あっち行け、こっち行け、おまけつき不親切
・・・・・・・・・・・・
    整形外科
 
仮固定した手の痛みは痛み止めで少々落ち着いた。
しかし腫れは収まる様子がない。
 
一日おいて月曜日,
高校生の通学バスに乗って再び病院に行った。
家を出たのが7時25分。
9時の予約に8時40分ころ到着した。
遅刻の常習犯が 20分も早く着くからいけないの?
だったら遅刻は止めない・・冗談
整形外科に直行し、予約表を出した。
 
9時を過ぎたころから受付が動き始めた
整形受付;さま、さま
患者を さま付けで呼ぶ 
なんとも言い難い違和感で窓口へ行くと、
整受;外来の受付でカルテを作ってきてください
;直接ここへ来るように言われました
整受;カルテを作らないと受付できません
整形外科の受付はその後になると言う。
だったら最初からそういえば良いのに,
と思いつつ指示に従い受付に行った。
 
受付;申込書に書いてもって来てください
さて,申込書はどこだろう,一瞬固まった。
そのようすに気づいたのか受付は
あそこです、と指差す。
そっちに歩いていくと台があり紙が置いてあった。
B6くらいの複写紙で小さな文字でごちゃごちゃ書いてある。
みえないし右手は鉛筆ももてないし,左ではかけないし,
受付は知らん顔だし,それでも書いてもって行った。
読めなかったのだろう
新しい用紙を出して保険証を見ながらすっかり書き直した。
膨大な時間をかけて一所懸命書いたものは見てる前で ゴミだ
患者の気持ちなど知ったことじゃない
さっさと書き直して の作品は ポイ 
お待ちください と奥へ行った。
 
30分しても何も起こらない。
ほかの人はどんどん消えていく。
;まだですか
外受;もう少しお待ちください
しょうがないからさらに待つ。受付が交代し、
さらに時間がたった。交代した受付が近づき,
外受;まちあわせですか?」と聞く
;カルテを作るのに、もう1時間も待っているんですけど,
  まだできないから,といわれてるんです。」
外受;ええ!?!すみません,すぐ調べます」
それからまもなくして,その受付が来て,
受付はしたけれどもカルテがなくなっているから,
これから探すと言う。
結局10時半ころ整形の受付に戻った。
それから新規の受付で、さらに2時間40分待った。
の心はヒビが入ってしまったようだ
 
やっと呼ばれ,診察室に入る。
 
医師S;荷物置いて
;はい
S;置く場所あるでしょう
;??うろうろ
S;そこ
:・・・ あ、あった
S;どうしました
;金曜日の夜作業中にこれしか言ってない
S;まあいい両手を下に向け宙を押しながら 
  レントゲンとりなおします
 
まあ月曜日だし,非常に込んでいるからだろう。
聞く気がないなら質問などしなけりゃいい 
抑えて抑えておとなしく ハイ
 
再び診察室
S;骨折です
;おとといは折れていないと言われました。
S;外科の先生にはわからないんです。
  専門じゃないんですから             
  くっつきにくい骨だから手術します  
  レントゲンを鉛筆か何かで指し示す)
;すみません,目が悪いので,
  言葉と実際の私の手で説明してください。
S;それではおうちの方にお話します。
ムカー  完全に頭にきた 心が骨折だ!
S;まあいい
  舟状骨骨折
  折れてるところに針金を入れて
;後で取る・・・
S;黙って
  針金は取りません。一生そのままです。
  2ヶ月くらいで治ります。
;親指の後遺症はありますか。
  ピアノが弾けないと困るし,
S;ピアノなんか 小声だがはよく聞こえた。
  骨折は治ります。傷がつるとか,
  たまに痛むとかあっても。
  そんなことまで言われたらこまる
;手術をしないで治せないですか
S;4ヶ月ギブスをして、
  くっつかなかったら骨盤の骨を持ってきて
  手術します。そうなったら
  一生不便になるんだから多少つるくらい・・・
;考えさせてください
S;何を
;いろいろと
S;いろいろなんですか
:まず手術となると覚悟がいります。
S;どうせ手術は2・3週間あとになるから良いでしょう。
;先生、これってヒビって言うんじゃないですか
S;今はヒビと言う表現はしません。
;じゃ,ひびなんですね。
S;(それには答えず ギブスをしながら)
  これで指は自由に動くと思います。
;ピアノは弾いて良いですか
S;・・・無言・・・
;パソコンのキーは良いですか
S;骨折ですからね
;ピアノは返事をするのも馬鹿馬鹿しくて、
  パソコンはそこそこに・・・ですか
S;次回はどうせ込んでますから
  ゆっくり来て良いですよ。
 
ヒビだけれども骨折と同じ扱いをする,で良いではないか。
私がヒビにこだわれば,先生は骨折と言い張る。
ギブスで治したいというと バカにしたように
3泊4日の入院つき手術が必須だと断言した。
 
次回の予約はひどい土砂降りのせいもあって すっぽかした。
二度と会いたくない     

 

舟状骨骨折 2 理不尽という者

 副題

車がないと病院にもいけないことをいく度もの経験から学んだ。
それでも頑張って行ったのに
・・・・・・・・・
ボキツ まずい

 

本文

2005年4月ある日曜日、夜8時ころ
家内業手作り製本の依頼が入った
A4版36枚500部表紙なし 5日間で
印刷機がA3に対応していないのでA4は折らずに糊付けする
一行程少ない と 喜べない
二日後には仙人は東京に行って一週間帰ってこない
この一週間空けるのが・普段なら・天国なのだ

引き受けることになったら
翌日用紙を注文しても届くのはあさって
全工程私がやらなくてはならない
印刷機はいじったことがないけれども
コピーとそれほど違いはないだろうから
やってみればわかるだろう
糊付けはジマエ楽譜を作る時の数回しかやったことがない
カットは小型裁断機はカッターより便利だから
常時使っているが、36ページでは無理だ
大型はさわったこともない

お客さんはいつもの方で 下手でも何でもいいから
本になっていればいいですから、とおっしゃる
海外にもっていくので5日後には必要なのだそうだ

 

総収入200万行けばいい方の生活費すらママならない事情から 受ける 以外に選択肢はない

仙人は受ける気満々

だって自分はなにもしないにのに結構な収入になる

滞在先で優雅に過ごすのだろう
私には断る勇気も権利もない 

断ったら私にはその分の金銭的穴埋めもできない
どうにでもなれ! 、の勢いだ

それでも絶対にむり、350冊に減らしてもらった

火曜日は用紙が届き印刷を始める
ほかにやることは
体力をつけ 休息しておくこと 広い場所を確保することだ
水曜日 裏面印刷 夜から仕分けに入る
木曜日 仕分け作業をしながら帳合 夜中から糊付け開始

長男は県外の大学生でいない

高校生の娘が二人いるが一人は盲学校で普段はいない

炊事などは手伝ってくれるが本作りは仙人が☆の仕事として子供らにあまりさせないしおしえないから手伝って、と言いにくい

それでも見かねててつだってくれた

5日間ほとんど徹夜 

寝ても一日1時間とか2時間

娘のお弁当は売店任せ


金曜日 盲学校の娘が帰ってきた


夕方 糊付けが終わる
夜 お客様から10時半にとりに来る、と電話が入った
マダマダ カットが残っている
大型カッターと言っても昔の「ガッチャンコ」とは違う
真上から切るので 一度に2冊しか入らなかった

出荷時間に間に合わせるためにあせった。
睡眠不足との戦いでもあった。

もう 一人で全部なんて無理だ

娘らにも使い方を教えて交代でカットした

 


そんな時、事故は起こった。

つい雑になってしまったカットの微調整

見ぬ振りをすれば良かったのに

札数に余裕がなくて修正為ざるを得なかった


裁断機の扱いミスで前に滑って手をついてしまい

ゴキッ、

それでも続ける
取りにきたお客様が残りをカットしてくれて
いちおう終わった

あまりに腫れ方がひどいので翌朝8時45分
家をでて歩いて25分の村の診療所に行った
土曜日は休みだなんて忘れていた
家の中から先生が出てきてくれて
骨折かもしれないからと日赤病院を紹介された、けど
交通機関はない。
病院までは歩いて2時間近くかかる。
しかも初めて歩く道。
とても自信がない・訳ではない 歩きたくない

やっとついたら日赤病院,財政難やら,人材不足やらで
その4月から土曜日の整形外科がなくなったという。

そこから紹介された駒ヶ根の昭和伊南病院まで電車で40分かかる。
しかも5分後に通過する電車に乗らないと
つぎは2時間後しかない。
病院から駅まで走って7分。
オマケにこの病院自体初めてで駅までの道を知らない。
それでもがんばった。教えられた道を走ると7分らしい
間に合わない。こうなったらカンに頼る。
人は車の道を教える 車がないこと自体が不自然だからだ
この山国だ、昔からの近道があるはず
そういうのは車の出口じゃないほうにある
家の間にある
もう、手 どころじゃない
目指すは駅
下へ、下へ、 どんどん下る
息もつけないほど,汗だくになって
12時少し前の電車に飛び乗った。

目的の駅で電車を降り,
さあ、病院はどこだろう
おおよその位置は知っているが道がわからない。
ぐずぐずできないと思い駅の隣りにある交番で聞いた。
迷わずいくと15分から20分でいけるのだそうだ。

ところが迷ってしまった。
さっきのカンは何処へ行った、
ココはさっきに比べれば平らだからまっすぐな近道がない
そうは言っても 平らではないから 縦横に道がない
うねうねして いつのまにか戻ってしまう

足元ばかり見る方向音痴の私は ここは苦手だ
1時間くらい歩いてようやく2時過ぎに
救急医療の受付に到着。

ほっと一息
受付に「骨折してるかもしれないと言われて・・・」、
朝から歩き通しのことを話す。
ちょっとは同情してくれると思ったのが間違いだった。
「それではこれに必要事項を書いてください」
と小さな紙と鉛筆をわされた。
伝票は印刷が薄く複写になっていてよく見えないので
普段でも書きたくない。
それを,右手が使えないのに書けと言う。
紙が小さく腕で紙を抑えると目と紙の距離が遠くなり
全く読み書きできない。
苦労に苦労して15分もかけて
やっとミミズのような字で書き上げた。

その間受付はちらちらとこちらを見るのだが,
手伝ってはくれない。
楽しんでいるのだろうか。
なにしろ朝9時前に家を出てから何も、水すら口にせず
走って歩いてである。手も痛い、心もすさんで当然だ。

それからさらに10分して診察室に呼ばれた。
外科の先生で,レントゲンを取ったり何やかやで
1時間くらいかかって、折れてないと告げられた。

ただし,整形外科にもう一度見てもらいなさい、
月曜日の予約を取っておきます,と、時間を指定し,
「直接整形外科に行くように」指示された。
もう時間は4時を回っている。
朝は急いで出てきたから朝食をほとんど食べていない。
その上水も飲まずにこの時間,
病院を出る前に貧血を起こしぶっ倒れてしまった。
先ほどの救急医療のベッドに寝かされて1時間くらい。
何とか持ち直して駅まで20分歩き,電車が30分、
駅から1時間20分歩いて家にたどり着いた。
もう8時だった。

歩いて1時間半は車だと7分分しかかからない。
最初に行った日赤病院は 車だと家から15分
次に行った病院はちょうど反対側で 家から車で25分
都会と違い,車は足。乗れない人はつらい。

タクシー代を払えないのもつらい

みじめさを痛感した一日でもあった。

家に着いて、やっと食事にありつき
痛み止めを飲んで 後 知るか

次回 ひび? 骨折→整形外科編

 

舟状骨骨折 1 視覚障害者を差別しない仙人と☆の仕事

今の
明日からはじまる 舟状骨骨折 につながるので 
製本の行程+α 書きました
・・・・・・・・・・・・・
    製本の流れ
 
*;2000冊注文入ったから日までに終わらせると今月助かる
;・・・・
*;B41万5千枚頼んでおいて 明日から作業始める
;はい・・(何日徹夜かな)
 
生きるため、とは言え 
視覚障害には無縁であってほしい仕事ばかりしている
家内業 手作り製本 もそのひとつだ
そのひとつにすぎないのだ
.1ミリの誤差をとやかく言われながら
出荷時間に間に合わせるために徹夜の作業が続く
 
印刷業者に出すには不向きで
単価的に割の合わないものが 我が家の仕事となる
編集からやるものもあるし 印刷・製本だけのものもある
10冊から2000冊くらいまで 何でもござれ
 
作業は分担で 
編集=* 
印刷=* ほかのことをしながらできる 昼間のみ
折り= 印刷ができたものから 印刷が始まった夜から
  表紙=一枚ずつ折る 
     サイズの特殊な表紙のみ*が折る
仕分け=折る作業が終わったら 夜昼なし
帳合= 仕分けたもののページ確認 夜昼なし
糊付け=* 元気なときで 気分転換をしたい時間に 
カット=* 疲れていないとき
発送=*
 
折っても 折っても 
追われるばかり
夜も 昼も
あっちも こっちも 紙の山
 
;ああ、凝った
片眼だから首を曲げたまま何時間も集中するので
右肩甲骨のところが局所的に凝る
あまり続くと懲りすぎて 胃も働かなくなる 
そろっているかどうか調べるための指の腹が
だんだん紙で切れていくので 指を変えながら使う
量が多いとどの指もささくれのような筋がつく
 
そんなこと*は気がついてもいない 
目以外で揃っているかどうか確認できること自体 
思いつかないだろう
 
*は印刷屋でアルバイトをしていたとかで この仕事を始めた、
人の特性など 自分の頭の中でしか考えないから
いつも都合のいいように家族を理解する
目を使う作業では見えるのが当然
腰を使う作業では 健康でないわけがない
 
その都度都合が良い単品思考など 
の単品思考といっしょにされては困る 
 
*;ここ1.3ミリで
  ココは斜めに曲がると後やりにくい
作業が遅い、と となりで折り始める  
1.3
ミリといったくせに まるでいいかげんだ
;これなんか2ミリどころじゃない、3ミリ以上あるでしょう
*;まっすぐだったら適当でいい
;適当でいいなら3倍も速くできるよ
*;そうか やぁ 曲がってなきゃいいんだから
と言って 何百枚も1.3ミリに奮闘したきれいな作品の上に
3ミリも4ミリもずれているものを重ねる
;1.3ミリ以外のものココにつまないでよ
*;そういうなよ ドサッ
 
製本は健康を思う限度というものがない
あるのは納期 身体などどうでもいい
 
365日 この繰り返しだから 
取り立てて言うことではない
いちいち怒っていては 自分が惨めだ
 
やりたければ一人でやればいい
と 心の中でつぶやくようになる
 
こういった作業は 
基本的に嫌いでないところが 困るところだ 
は細かいことが好きだ
1点集中型で 目もくれないで細かいことに立ち向かう
単純作業であれば工夫次第でものすごく効率が良くなる
その工夫を編み出すことが好きだ
父が見せてくれた紙の魔法 あれから
「効率よく作業する」工夫をすること が楽しくなった
 
この性格が仙人の思う壺なのだ
やらせれば そこそこまでレベルが上がる
遅かったらいやみを言えば早くなる
2・3日寝なくても仕上げてくる
経済がついていかないから 
ぜったい放り出さない 逃げ出さない
 
.×12.4の厚紙の板を作ってくれ、などと平気で言う
この道具を使って、こうやって ああやって
自分がやれば5分でできることをわざわざやらせる
 
私が わたしの方法でやれば 多少遅くてもできる
それを、やり方、線の引き方、すべての行程に指示が入る
おかげで 一日かかってしまう
私は1ミリ方眼が見えない
それを方眼紙を使えばできるという。
私が使う方眼紙は 一番細かくて、2ミリ偶数が必須のときだ
通常は3ミリか5ミリ
をれを1ミリを使えばいい,という
そんなことができたらとっくにやってるだろう
あれは色紙と変わりない
 
結局一日かけてつくった
同じ時間を生きているのに 
なぜ人の時間を無駄遣いするのだろう
聞いてみると
「お前が より やりやすいように俺が考えた
 こうすれば、もっと速くできるんじゃないかと
 いろいろ考えたのに。もういい、頼まないから」
工夫というのは 頭の中だけの思い込みでできるものじゃない 

本当に頼まない、なら幸いだが、その言葉は一瞬で忘れる

のでは無く、 
同じことはもう頼まない だけだ
同じこととは 同類のことではない 一字一句違わずに正確に同じことだ


だからまた繰り返す
 
25年以上生活を共にしても 未だに変わらない
「俺は身体障害者」を差別しない
 
そう。差別しない
すべてのことに区別すらしない
障害者は存在しないのだ
 
*の祖母は全盲だった 
親戚にほとんど見えない子がいた
 
信じられない
 
今に見ていろだって

エッセイ風 ぼやき5

生きることに何の意味がある

神様が信者である父親の試練の課題に私を与えた?

冗談じゃない、それでは神は非道ではないか

☆は生きてしまったから、
☆のためにがんばってくれた眼科の先生と母親より先に死ぬのは気がひけるから生きている

生きることに意味は見いだせない
死ぬことに恐れはないが、
わざわざ死なねばならない意味もわからない

生きていればいつか幸せ、なんて 何処その誰かにくれてやる

生を呪って運命とやらにあらがうことが☆の抵抗
めいっぱいがんばる。

存在する意味なんてないことを証明するかのように
☆は生きている

エッセイ風 ☆のぼやき4

☆が生まれた「家」は殿様の家系だが今は「歴史」を背負った普通の家である

できた姉とできた弟がいる。

☆は呪われた子だ

家族みんなが☆のために知らなくてもよい苦い経験と、知る必要のない「思い」を味わったに違いない。

私は自分の存在を謝る必要があるだろうか。
自分の意思でこの存在があるわけではない

けど、やっぱり 

ごめんなさい

 

エッセイ風 ☆のぼやき3

キリスト教を深く信仰る父方の叔母が言った

父の家はキリスト教徒で子供全員生まれたら洗礼を受ける。
父は教会には行かないが牧師とは仲がいい。

 

叔母は☆に言う

「神様は「あなたが耐えられるチカラがあるから試練を与えたのよ」超えるチカラがあると信じなさい」

私はキリスト教信者じゃない
洗礼を受けたのは父親で私じゃない。

この試練は父に与えられたもので私にではない

父には神様の試練なんて興味すらないだろう

 

私にはただの呪いでしかない