医大 理不尽と生きる知恵 4 あめだま

先生はごくごく普通にやさしい先生だった

お兄さんのようではない

:あめだま:を持ったおじさん というところだろうか

=実はインターン上がりの新人さんか二年目とかだったらしい

 

診察が終わると話しはじめた

「☆ちゃんは手術をするんだよ」

「ハイ」

「先生の言うこと聞けるね」

「ハイ」

「☆ちゃんはすなおでいい子だね」

「にこー」

 

「素直でいい子だ」と誉められて大満足だ。

☆は誉められるとお菓子をいただいたと同じにうれしい

すっかりご機嫌になって

「私手術するの」と得意になって触れ回った

遠足に行く気分だった。

 

斜視は簡単な手術と言っても比べる対象の問題で

遠足と同レベルに待つものではない

しかも簡単かどうかは医者の問題であって

患者にとっては失敗すればどっちも同じだ

手術という新単語が娯楽ではないことを

医者はきちっと説明をするべきだ

7歳にもなれば理解できるし

必要であるとわかれば、我慢の限界があるにしろ

一所懸命こらえようと努力できる

 

飴玉のおじさんは 釣った相手が壊れてもかまわない

甘い言葉でだましても目的は達成できる

餌に釣られた魚は 水を離れると大暴れする

命をかけた抵抗だ

飴玉で釣られた子どもだって さかなと大差ない

 

ハエ先生は 子どもを侮(あなど)っていた

子どもを信頼していない

子どもを バカだと思っていた

おそらく 子どもが嫌いなのだろう

それに、壊れたって かまわないのだろう

 

素直でいい子だと 誉められて

朝から晩まで手術に行くのが待ちどおしい。

1日2日先の「未知の遠足」へ夢をはせるのだった

 

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 3 入院

☆は新しい言葉が大好き らしい。

入院ってどんなだろう 

入院も検査も手術も、どれもこれも新しい言葉に浮かれてしまう

はじめての遠足

はじめての海

初めての学校が、とてもよかったから

初めての幼稚園の記憶が薄れていた

 

思い返せば、父と行った「はじめて」はろくなことがない

いいことの記憶が消えるほど ひどい目にあった

たくましくはなった

社会勉強 と 言えなくもない

 

家から歩いて 

今の足なら15分ほどの距離に医大がある。

朝、父に連れられ出かけた。

検査のために何度か通っていたから慣れたものだ。

その日はいつもの入り口と違うところから入った。

天井が高い、こんな天井の高い建物に入ったことがない

それに広くて暗い、

めいっぱいきょろきょろして珍しい建物を観察した。

私がよそ見することはいつものことで

手をしっかり握ってぐいぐい引っ張られて歩く

周りに夢中になっているうちに

父は受付を済ませ、

エレベーターに乗って病室についてしまった

 

眼科は6階。一番上だ。

エレベーターを降りると広い空間と真正面に階段がある

広い空間から左に伸びる廊下は細く長く暗い

何号室かは覚えていないが 東側の真中へんだった。

大人ばかりの8人部屋。

この部屋の中で少なくとも3回は引っ越している

誰かが退院すると ベッドの移動がある

動けない患者とか長期入院とか 大人の考えることだ
 
「子供か」

最初に聞こえた声だ。決して喜んではいない。

父が周りにあいさつする。

当然一緒にあいさつしたのだろう、記憶はない。

あたりまえのことはあたりまえにやっているはずだ。

なぜ記憶がないかというと

はじめてみる病室というものに夢中だったからだ。

大きな部屋に白いベッドが並び

どのベッドにも寝巻きを着た人が乗っている。

窓は大きく部屋はそれほど暗くない。

6階だから空しか見えない

 

父はまもなく帰っていった。

その日はおとなしくしていたことだろう

いくらなんでも・・・。

周りの人とおしゃべりをしたり、

メいっぱい愛想を振り撒いて 

お菓子をちょうだいしたに違いない

病院で飢えた記憶は手術後くらいなものだから。

 

午後になって担当医が来た。

二人できたと思う。

「こんにちは。ハエ先生です。」とか何とか

「こっちにおいで」と手招きしたらしい

このときにほんのわずか違和感を感じた

私には見えなくて、挨拶して帰っていくのかと思った。

先生が後ろを向いて出て行くのを見ていたら

部屋の人が「診察だから行っておいで」

と声をかけてくれた。

そういえば、先生の手が動いたような気がする

 

先生の跡を追い看護婦さんの部屋の前を通って

西日が入ってとても明るい診察室に入った。

例のごとくきょろきょろして部屋を観察するのに夢中で

診察はいつもと同じでどうでもよいし、

特に変わったことはなかった。 

ハエ先生もごくごく普通に優しい先生だった。

 

 

 

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 2 どうして医大

我が家の裏に:血のつながりはない:「家」の親戚が住んでいた。

そこの息子が医大で内科のインターンかもうちょっと上のお医者さん。

その内科の「お医者」さんが父に

「斜視は手術で治る、早いほうがいい」

と一般的な知識で手術をすすめた。

私の斜視は治るものではない。

たとえ一時期みてくれがよくなっても

白内障による左右の視力差が解消しない限り戻ってしまう。

そのことはすでにわかっているはずなのに

父は見てくれの悪い斜視にどうにもがまんできない。

 

そりゃそうかもしれない

 

目が曲がっているだけで 自分の娘が将来娼婦になる

なんていう目で見られたら耐えがたい。

生まれなきゃよかった と思ってももう遅い。

江戸時代じゃないのだから捨てるわけにも行かない。

そんな風に思っても何ら不思議ではない。

生きてしまって ここに居るのだから、

そのキモチを抑えるのが人間というものだ 

と 心得よ

 

父が(素直に)少しでも見えるようになってほしい

と願っていたろうから責めるわけにも行かない。・・

 まあ、見てくれ100%だったんだけど 言わない、知らない

しかし、医大の方はおかしい。

それまでの医療機関でことごとく、「この斜視は治らない」

といわれているのに なぜこの医大だけが

「手術で治る」と言ったのか。

内科の先生はともかく眼科が治ると思うはずがない。

スタートから間違っていた。

 

というわけで

小学校2年の4月 ひと月医大に入院した。

専門の方は まず、斜視にひと月の入院? と

疑問をもつのではないだろうか。

目の外側の手術だから 昔だって一週間だ。

 

私が 「今」とか 「このこと」

という「点」に生きるタイプだから

入院生活を悪かったとは言わないけれども

配慮というもののかけらもない

踏みにじることしか知らない医者を

今でも医者の資格のない人間と思っている。

 

生後手術をして下さった先生との出会いがなかったら 

眼科医 あるいは医者すべてを信用しなくなったかもしれない。

 

大人になって

医者の良し悪しを私個人の尺度で白黒はっきりさせて

信頼できないとおもう医者には

途中で帰ってでも、たとえ治らなくても

世話になりたくないと思うようになった基礎作りの入院だった。

 

私は自分の担当医の名前を思い出せない。

一月も付き合ったのにその一字さえも思い出せない。

10年後に偶然会った時はちゃんと覚えようとした。

そのとき、今後出会わないために名前は覚えておこうと思ったのに 

白衣に黒ズボンも怪しいくらいに 覚えていない

もし開業していて (間違ってでも) 出会うことのないためには 

名前は覚えるべきだと思うのだが・・・。 

 

この先生の呼び名を考えた

虻・蚊・蝿・蛇・うーん 蠅 にしよう

うるさいけど☆にはたたけない

偉そうに頭の上を飛ぶギンバエ 

大きいのにはえたたきでは間に合わない

フフフ

昨今は殺虫剤で家内全滅を目指して頑張るのだ

 

医大 理不尽と生きる知恵 1=はじめに

盲目の少女は温泉街でマッサージをしながら身体を売る

人相学でも 目が曲がった女は娼婦 だという

闇の常識みたいに現代もなお人の心の底に流れ続けている

 

誰が言い出したか知らないけれど全く迷惑な話だ

斜視という状態を持っただけで、人格をさげすまれる被害にあう

若いとき街を歩くとキャバレーのホステスになれ、と誘われた

見てもいないのに「にらむな」と知らない人に怒られる

目に見えない障害も十分やっかいなものだが

目に見える障害もやっかいである

その上に 白内障はもはや病気ではない、とされ

障害者でありたいために治そうとしない とまで言われる

身体の障害は心も食らう

私、☆、は 闇と光と中間と 日々さまよいながら生きてきた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

親はどんなに悔やんでも

産まれてしまった子供は育てなくてはならない

クリスチャンの家庭に育った父は

障害者と接する心得も学んでいた

しかし、正直 身内は別だ

決して口に出さず、面と向かっては態度にも出さず

でも、どうしても受け入れたくない

そんな親の気持ちはしっかり当人につたわるのことだって

きっと承知の上でも どうにもならないのだろう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今の私は思う

障害を持って生まれてしまったら

親の人生において

自分が「いらない存在」であることを

知り 受け止め

たとえ我慢やあきらめが見え見えで育ててくれていても

同時に存在する 優しさや希望が

「人」として 生きてほしいと「願う心」を感じ取り

生きる糧 と受け入れ

自身も「人」であるために頑張る

いつか本当の理解を得

喜びと共に「私の子だ」 と言ってもらえるように頑張る

それが 先天性身体障害 の本質だと

 

だから、世話してもらうのが当たり前だ、

と言う人間を見るとむかっとするわけだが それは別の話だ

 

障害物競走は 身体に障害を持たない人が

わざわざ目で見えるような障害を設置し

人より先に克服することを目指して「走る」

それを 遊びの一つで として楽しむ

私は 毎日生きることが障害物競走だった

私にとっての障害物は 「周りの人すべて」である

「人」「人間」といいランクに並ぶように

「人間として認めてもらえるラインが引かれたゴール」 へ

ひたすら走る

成長と共に その感覚は植物が育つように成長し

社会が広がれば広がるほど その必要性を実感

前へ進むほど風あたりは強く 障害物は高くそびえ立つ

同時に ほんとうの優しさからの励ましも知った

「問題事」さえ無ければ 「気にならない存在」という隙間も意識した

闇に染まるか

光を求めるか

生きるか

終わりにするか

分かれ道は数歩ごとに現れる

「人」の何倍も頑張って成果が上がると

「人」は成果を元の基準としてしか見ない

「普通に歩ける」=見える

本が読めるから=見える

日々「人」と同じラインに立つため

どれほどの物事をあきらめて生きているか

そんなことは 「判断基準のマニュアル」に存在しない

健常者が「できない」のは「しかたがない」なのでも

私ができないと「できないふりをしてずるい」と白い目で見る

損以外の何もない

これを不公平という

 

やっぱり 生まれてくるべきでなかった

そう 思うこともたびたびある

その都度

真剣に向き合ってくれた「昔の人」を思い出し

ひたすらに頑張った頃に 心を戻して

また 今日も 生きてゆく、

居直るのである

負けてたまるか

 

この医大のシリーズは

まだまだ つらい世の中に気がつく前で

実にのびのびとしている

私にとって この時期の記憶は大事な財産で

今でも 生きるための栄養剤になっている

雪合戦と火お越し

☆の家の裏には広い田んぼがあった

こんな所になぜ田んぼ、と言う程市内のど真ん中,住宅一等地だ

 

戦後のベビーブームで子供があふれ、収容しきれなくなった生徒を分散するために新しい小学校ができ学区が分かれた境目に田んぼがあった。

つまり田んぼの向こう、我が家の裏は学校が違う

高学年は昨日まで同じ学校の生徒だったから顔見知りである

 

冬が来て田んぼは真っ白に染まり子供の遊び場になると休日は雪合戦が行われる

 

近所の小学生全員かと思うほど集まってそれはもう盛大な雪合戦だ

 

広い田んぼに雪はいくらでもあり

どこにも誰にも迷惑がかからない

 

☆は楽しくてしょうがない

 

敵味方は学校で分かれる

実にシンプルで昨日の友は今日の敵なのである

高学年が前に出てずらーっと並んでバリケードを張りながら攻撃する

低学年は後ろの安全地帯でせっせと雪玉作りに精を出す

向こうの学校の生徒が隙間を狙って無防備に雪玉作りに夢中な☆たちを狙って雪玉を飛ばす

堅くて痛い

☆は負けじと堅い雪玉を作るのに専念する

☆は凝り性だ

どうすれば堅くなるか、

どうすればまん丸になるか

どうすればお兄さんたちが喜ぶか

 

もしかしたら 同じ低学年も雪合戦に参加していたのかも知れない

☆は周りが見えないから雪玉作りを命ぜられ黙々と雪玉を作り決められた場所におく

☆の作った雪玉はすぐに使ってくれるから☆はせっせと よそ見もせずに 雪玉を作る

 

言われたことをタダひたすら繰り返す

その姿は「知能指数の低い子供」の行動であり 他者に「バカ」と言う認定をされてゆく。

☆の知ったことではない

☆は清らかにバカなのだ

盲のバカには上級生はとても優しいのだ

 

☆は雪玉を作るのがうまくなった

研究にいそしみ遅いからあまり役には立たなかったと思うが・・・

 

時間が来るとさっと終わる

勝ち負けはない、たぶん

 

当時のこたつには棚つきで 洗濯物が干せるようになっていた

雪で固まったマフラーを取ってこたつの中に入れる

 

 

☆!!

???

雪を取ってからこたつに入れなさい

火が消えてしまう

こたつの布団を上げるとほわほわと湯気が出ている

 

うん、すてきだ

 

雪は溶けると水になる

水は上空にとどまっていない

☆は少し勉強した

だって・・マフラーに凍り付いた雪なんて☆にはとれない

仕方がないじゃないか

☆は密かに反省しない

 

 

☆は火お越しを教わった

コレがまた楽しいのだ

筒を持ってフーフー

吹くたびに炭が赤く光る

ちっとも制裁になってない

 

大人はいいように☆を使い

☆は楽しく懲りまくって大人の意図などつゆほども知らない

 

☆は体験学習が大好きで平和である

福島県泉村 昔話の景色

福島県泉村 昔話の景色

 

福島県泉村へは常磐線でいく
東北線の仙台から海のほうにぐ~~っと折れていく
鎌倉生まれの母から見ればド田舎のようだ

そこに父の実家がある

 

小学校1年の夏休みは父の実家で過ごした

〈父は、父の母方の跡取りである〉

父方の総会のような行事が祖父の家で行われた

親兄弟の親睦会なのだろう
地理的都合&交通事情などもあっで

到着して用事がすんだらすぐ帰ると言うわけに行かない一週間くらい父の兄弟およびその家族数十人が滞在した

 

初体験満載の夏休み

☆の子守約の姉は泉駅から家までの道を
「正規の通路」「近道」「景色のいい遠回り」
と幾通りか教えてくれた
ある限りの道をしっかり教えておけばほおっておける
「突き当たったらどっちへ曲がる」
とか、何本目・橋のところから のように教わる
駅から左に離れなければ家は見つかる
基本的に私は上を見ない

ひたすら足下を見て歩く 

視力があろうがなかろうがそれで家に帰れる

迷子になったらその辺の家で聞いて駅に行けばよい

泉駅までの道を覚えると出歩くようになった。
姉の信頼が強いのと田舎では迷子の心配もないのだろう
ほっとかれたのがには幸いした。

家を出たらいったん駅まで行く
最初からあっちこっち歩いたら帰れなくなる
駅を出てまっすぐ進むと右手に中学校がある
泉中学校 父たちの母校らしい
そこを右に曲がって進むと川があった。
川の向こうには緑が広がっている

じっと見ていると緑は山のようだ

姉と一緒の時に「あそこにに釣をしている人がいる」

と教わった

人がいると教えられて人を探す。
流れの真中にも人らしいものがいるのをみつける


どうやってたっているのだろう
水の上にたっているようにしか見えない 

釣りを知らないからじっと動かないのが不思議でならない
待てど暮らせど動く様子がない
釣り竿が見えないから ただただ居る〈ある〉だけだ

 

「朝早く川に行くとすごくきれいだよ」
見つかると叱られるから そっと抜け出すんだよ
教えてくれたのは当然姉だ
食事の時間には戻ってないと叱られるよ
と注意事項もくっつく

さっそく次の日実行だ
祖父はとてつもなく早起きで抜け出すころには起きていた
見つからないようにそっと出て川へ向かう

川は静かだった
駅から川に来たときの位置から左はじきに曲がって何もない
橋がひとつあったけど 限定で通行止めなので景色の一部
右は明るく川はくねくねどこまでも続いている
早朝だからかもやに包まれてすべてがボーっとかすむ
ぼやけた灰色の世界
暗いわけではない 
足元がぼやけるほどではなく
川から向こう岸がもやに包まれている
山はかすんで輪郭がぼやけ空との境がはっきりしない
釣り人は動かずすべてが絵だった
大きな絵本の中に自分を置いて山の空気を吸う

何を思うでもなく ただぼやけた世界を眺めるだけ
それがすばらしくいい時間だ

飽きてくると家に帰る
そのころになると大人は朝食の支度で忙しく働いていた。
小さくなって家に入り、今起きた顔で挨拶する
・・そうか!このころからこんなこと覚えてたんだ・・
すっかり早朝の散歩がが気に入って滞在中の日課になった

今でも昔話の山村の絵はこの景色が土台になる
やっぱり本物は焼きつき方が違う 
動かない景色でも生きている、と感じるから

体育の水泳は川で

小学校にプールはない

何処の小学校にもプールはない

夏の水泳教室は二時間続きで川へ行く

 

雫石川は北上川に合流するまで水が飲めるほどきれいな川だった、むかし。

学校から歩いて10分の所に雫石川の終点がある

雫石川・北上川・中津川が合流し北上川となって宮城県の海までながれていく

雫石川の終点は採石場になるまで川底は滑らかな小石でなだらかだった

学区内で学校からも近く景色も良く プールよりずっと気持ちよかった

 

水泳の準備は教室で荷物の確認

身体を拭くタオルと換えのパンツ

 

ズボンじゃないよ

下着のパンツ 女児はズロースというか、快適工房のゆったりでしっかり木綿のババパンツ

ショーツ成る横文字品が存在しなかった時代だからね、

下着のパンツとズボンのパンツではアクセントが違うとか?発音したのを聞いたことないから文字上一緒で不便きわまりない、

日本語がいい

パンツ 日本語知らない 昔はなかったからね 

 

タオルも良くてバスタオル、なければ普通のタオルでOK

 

話を戻そう

 

パンツとタオルと浮き輪を手提げに入れて一クラス50人、学年ごとだったりするから250人 テクテク10分で川に着く。

服を脱いで朝からはいているパンツ姿で注意事項を(たぶん)たくさん聞く

準備体操をしてやっと川で遊ぶ。

先生の合図で川から出て服を着て学校へ帰る。

???ええと

パンツはいつ履き替えたんだろう

とんと記憶がない

ただの河原で250人も着替えるんだからね

壮観?

上級生はどうしたんだろうね

 

 

二年生になって

採石場になって危険だから遊泳禁止。

だから、勝手に行って川で泳がないように、と釘を刺された。

小学校にプールができて川の水泳は一年だけだった。

 

友達と=堂々=川で水遊びをした。

父に歌を教わる

父が東京で教師をしているときに合唱コンクールの指導もしたそうだ

戦後なので専任教師がいなかっただろうが

クリスチャンの家庭に育った父はオルガンで賛美歌を弾けるのだ

母もバイエルは卒業してるんだよね

教師ってマルチだね

ただ、残念なことに家にはオルガンがなかった

 

☆は歌うのが好きだ

聞き覚えの歌をピーチクパーチクやってるのを見て父は歌を教えてくれた

 

故郷

 

うさぎ追いし かの山

 

歌い出しが うさぎ である

父は丁寧に教えてくれた

3番まで全部覚えても うさぎ が出てくるのは最初だけ

それでも良く歌った

 

故郷は父の故郷を歌ったみたいな歌だ

うさぎ から始まるから喜んで歌うだろうと選ばれたのかも知れない

 

 

ウサギは追われ狩られるる身

当たり前の 食料 である

 

ちなみに おいしいらしい

 

 

 

待ちぼうけ

 

父は歌を教える前にお話をしてくれた

うさぎが木の根にぶつかって死ぬところなど身振りを添えて。

☆は単純大喜びで聞き入る

 

そして歌を教える

快活なリズムに乗って物語が紡がれていく

間奏も歌の一部、と言うより間奏がとくに好きだった

 

働き者の農夫が 勝手に飛び込んで切り株に当たって勝手に死んで棚ぼたのウサギを食べてよほどうれしかったのだろう

待てばウサギが食べてもらいにやってくる、と 怠けて落ちぶれる歌。

 

ウサギは来るかも知れないけれど畑を耕してはくれないよね

 

☆が学ぶべきことは

前も見ずに勢いよく突っ込んで自滅するウサギのほう

前を向いて よく見て 歩きましょう

そうすれば 農夫は怠け者にならなかった

 

悪いのは勝手に餌になった うさぎ である

 

父は何を教えるか!

☆はなんの怪訝もなく覚える

 

 

 

兎のダンス

 

ソソラ ソラソラ うさぎのダンス

タラッタ ラッタラッタ ・・・・

調子良いんだよなぁ

脚でけりけり ピョコピョコ 踊る

耳にはちまき ラッタラッタ・・

 

耳にリボンなら可愛いけどはちまき

踊りと言ったら盆踊りなんだ 時代を感じる

なんて思うのは大人になってから

 

 

あわて床屋

 

時間がない、と焦る兎が カニのとこやに耳を切られる話

絵本では兎の片耳はなくなっている

残酷物語だ

 

☆は学ぶ

落ちつかない兎が悪い

カニは被害者だ

 

目が悪い☆は車にひかれても文句は言えないのである

 

父はスキップも教えてくれた

 

タラッタ ラッタラッタ

ピョコピョコおどる

兎が跳んででて

ころり転げた木の根っこ

チョッキン チョッキン チョッキンな

 

☆は近所中スキップでサイレンのごとく歌いながら踊り回る

 

 

どこかのおばさんが

歌上手だね、と褒めてくれた

☆はますます元気

 

 

父はたくさんの童謡唱歌を教えてくれた

意図するところは☆の知ったことではない

毎日近所中に美声を聞かせた

 

 

 

父 従順な聖女を育てよう いなばのしろうさぎ

いなばのしろうさぎ

 

物語が教えたいことは何?

 

絵本を開くと川の前に白いウサギが立っていた

この絵本には神様の話は書かれていない

向こう岸に行きたいウサギがワニをだまして橋を作り渡っていくが あと少しというところで得意になってだましたことを言ってしまう

そして怒ったワニに全身の毛をむしられる=皮を剥かれる=

通りがかった神様に海につかり乾かすように言われて=傷口塩=ひどくなる

素声大黒様が現れて真水で洗いがまの葉の上で休むように教わり回復する

 

 

初めて読んでもらったときとっさに言ってしまった

 

渡ってから言えばいいのに

 

☆は5才くらい

 

父は☆の意見に答えただろうか

記憶がない

 

神様を信じる心なぞ育つわけもない

 

大人になってテレビで知った

ワニって陸を走るの速い

 

物語のワニは実はサメだった

渡る前に食べられるだろうに

 

☆は清く正しくとは育ちそうもない

父 従順な聖女を育てよう かちかち山

父は☆が食いつくウサギを餌に本を読む

 

 

かちかち山

 

 

かちかち山は父と掛け合いで楽しんだ

全部暗記でラジオ劇場である

 

悪いことをしたら徹底的に罰を受ける

ウサギは死刑執行役 灰色っぽいピンクのウサギだったと思う

罪人には何をしても良く 残酷であればなお良く

執行役は賞賛されるのである

実はウサギにあまり記憶がない

なぜなら☆はタヌキ役だった

 

ボウボウ

アッチッチッチ

イタイ イタイ

アップップ

ごめんなさい

死ぬ

 

最後はウサギが腰に手を当て偉そうに笑っておじいさんに報告に行く

めでたしめでたし

 

父は笑い☆は死ぬ