学校のお客様 3 ながまち{長町}で等間隔を身体に刻む

家の近くに長町というまっすぐでなが~い通りがあった

先が見えないほど(☆には)まっすぐでひたすら長い

道路はコンクリの正方形の板がはめ込まれていてとってもよい

母に言わせると ただのコンクリを並べただけで舗装じゃないのだそうだ

そんなことはちっともかまわない

道路が全部マス目上になっている

しかも白い 美しいのだ

大のお気に入りスポットだった

学校に行かない☆はそこではねる

一マスおきに着地するようにしっかり見てはねる

何しろ何処までも続くのだから真剣にはねる

コレが意外に難しい

ちょっと気をそらしても疲れてきても真ん中に着地できなくて次は外してしまう

マスターするまで☆は諦めないのだ

誰も声をかけてこなかったから相当の日数居座った

 

医大の階段と長町で等間隔マスターである

 

 

 

学校のお客様 2 遊園地はあぶない

学校へ行かなくて良い

学校へ来てほしくない

 

よく理解していないのかわかっているのか

朝ランドセルを背負って元気よく家を出る

学校まで行き一年生の教室の脇から木の陰に行く

以前転んでも誰も助けに来なかったからそこなら誰にも見つからないだろう

医大で培った隠れテクニックが生きる

すぐ飽きるのでこっそり学校を出て遊具のある公園(遊園地)に行き遊びまくった。

ブランコも天まで大ぶり

鉄棒は逆上がりは入学前にできていたけどそこから何回でも回転できるようになった

念願の鉄棒の上に座るのもなんとかなった

ジャングルジムは完璧把握

シーソーは一人では無理

滑り台は階段を使わず簡単に上がれるようになった

雲底は大得意に

 

 

遊園地は午前中の居場所になった

 

世の中そう甘くない

「こんにちは」

・・・「こんにちは」

「私は指導員というのだけれども、最近ランドセルを背負った女の子が遊びに来ていると聞いてきたんだけどあなたかしら」

・・・(これは関わってはいけない)

逃げた

「待って」と聞こえて待てるか

 

 

翌日から遊園地はさけた

ランドセルもいけないらしい

 

朝家を出てこっそり戻り 縁の下にランドセルを隠して出かけることにした。

毎日外にいると太陽の位置でお昼がわかる 給食に併せて家に帰りランドセルと背負って丁度良く入れるようになった

そろそろ給食かな、と学校へ戻りベルを待って教室へ行く

誰も何も言わないからそのまま席について放課後までいる

それが普通になった

 

 

 

 

克服できなかった遊びが二つある

一つは上り棒

木登りは得意なのに上り棒はちっとも上に行けない

それでもしがみついていた

 

当時は足も使うなんて想像もしなかった 当然上へは行けない

他の人がどうやって上るかを見てるつもりで見えていない

手を持ち替えてる所と身体が上がっていくところしか視なかった

大人になって「未来少年コナン」のアニメを視て 「あぁ、足も使うのか」などと知ってももう上り棒はやらない

独学は限界があると何十回目かの理解にうなずくのである

 

もう一つはシーソーの端から端まで駆け抜ける

男の子が良くやっているのに私は落ちる

ゆっくりでも足を外す

未来永劫未だに板の上は歩けないままである

理由は極簡単で 片眼なのにそのことを本人が知らないからである

 

 

お昼からは学校へ行っていたから休んでいることにはなっていない

もし指導員に捕まったらどうなっていたのだろうか

今にしてみれば疑問たっぷりである

当然先生は校長に怒られたんだろうな

一年間捕まらなかったのは ☆が優秀なのか

あるいは先生が上手かったのか

大っ嫌いな神様のいたずらか

 

学校のお客様 1 新しい担任は斜め上

☆は3年生になった

 

小学校入学時の担任は視力が落ちたから(緑内障)とやめてしまった。

通常1=3年・4~6年は同じ担任なはずが3年は別な担任がやってきた。

 

この担任(熊谷先生=男)最初の挨拶で言ってくれた

「☆さんはお客さんなので授業は来なくていいですよ」給食から来てね」

「目の悪い人は音楽は良くできるから音楽のある日=週二回=は朝から来るように」

クラスの皆さんも☆さんがいなくても気にしないように」

 

☆は学校のお客さんなんだ

って、なぜに☆はすんなり理解するのか

未だ(72才)に理解不能であるが、そのときは学校に来なくていい、毎日遊べる、とそりゃ、喜んだ。

担任は個別に呼び出して

給食には必ず来ること

朝はランドセルを背負って今まで通り家を出ること

親には内緒にすること

音楽はきっちり勉強すること

などなど注意は怠らない。

この時点で☆をバカだとは思っていないのだろう ただ、☆がいては面倒なのだ

☆、小学3年生8才で新世界「自由」を取得?した

ってか この担任なに考えてんだろう

幼稚園の担任も最悪だったけど

この熊谷先生もド外れ相当だ 

ただ、☆の行動力はこの時期に育っている。後々盲学校に入ったときにこの時期が有益だったと知った。

熊谷先生は学校教員としては評価ゼロでも☆との出会いに関しては良かったと思う。

もうちょっと普通の勉強も教えてくれれば良かったのに。3年生の漢字とか算数とかスポッと抜けたから あとで大変だった。 

 

この担任は音楽専門で なぜか音楽は厳しかった

鍵盤ハーモニカも普通のハーモニカも

クラスの模範演奏をさせるなど評価してくれたし 楽器の扱い方も丁寧に教えてくれた。

☆は声がいいらしく歌も独唱をしたことがある

そして うっかり音楽もサボるとすごく怒られた。

ただ、授業に出ないから一般教科丸抜け、通信簿は最初から予定していたのか音楽5 その他1 と言う具合。

担任は通信簿に1をつける生徒を明確に確保するらしいと後で知った

星は丁度良い存在だった

下手に良い成績を取ると「1」がいなくなる %で5段階評価とは「1」の確保が大変らしい

だから授業を受けさせない

 

 

先生!それ、ダメだから  

なんて今更だ

 

うん 当時は気にせず おおらかだったなぁ

 

父の「☆=盲目=はバカ」という思いが照明されたに違いない。

これは大いなるマイナスかな

熊谷先生は☆をバカとは思っていなかったようだ

音楽などほかの生徒より厳しかったから

☆は一年間 療養中で家にいる父にバレることなくサボり続けた

 

母はうすうす感づいていたらしいが中学の教師で日中のことは父に任せているから口出しできない。

「☆、学校にちゃんと行っているの」と聞いてくれれば ☆は正直&悪いと思ってないから答えたに違いないが

そういう聞き方はしなかった。

故に ☆は自由を満喫し、とっても賢くなったのだ

 

3K ゴキブリ3 やめてよね

起き上がり朝の支度を始める

我が家は洗面所がないので台所へ行き歯磨きを

歯ブラシを手にいざ口へ

・・・・・・・・・・・・

なんか黒いのが見えた気がする

 ・・・・・・・・・・・・・

落ち着こう で 息をのむ

 

歯ブラシのブラシ部分に大きく黒いのがくっついて動いている

刺さって逃げられないらしい

じっくり見始めて 逃げる前に捨てることにした

いらない袋に入れてゴミバコへ

 

さわやかな朝は何処へ行った

 

見えて良かった

気づいて良かった

視力があるしあわせに心底感謝

 

 

今年は娘がいなかったから2月のゴキ退治サボったんだよなぁ と 大反省

夜のゴキブリ退治を再開し朝一番にほうきとちりとりを手に回収したゴキの数を数えるのである

 

もちろん歯ブラシは確認の上使う

一年たってもまだ歯ブラシは確認しないと気が済まない

二年たっても変わらず

3年たって気を引き締めなおすのである

3K ゴキブリ 1

本歌

ポケットの中にはビスケットが1つ

ポケットを叩くとビスケットは二つ

替え歌

台所に大きなゴキブリ発見

殺虫剤かけたらゴキブリ二つ

 

 

異様に長いゴキブリを発見

あまりの長さにガン見した

そばまで寄っても動かない

ぜーんぜん動かない

何だろう・・?

どう見ても、何度見てもゴキブリの色

そこで殺虫剤をかけてみる

するとあっという間に二つに割れて逃げる

集中すると無言の☆、両方殺虫剤の餌食である

すぐ、当たり前に、ガスモレ警報器のスイッチを切る

それからゆっくり

☆は大量発生の前段階だと理解して 少しの間棒立ちである

ゴキブリのアレ初めて見た

ガン見したね、ん した

観察したね、ん した

感想は?  無

 

 

あれから何年たっただろう

台所の流しでなが~いゴキブリ発見

最中は 動けない逃げられない と知りゆっくりしっかり退治した

大量増殖を阻止して満足

今回は二度目なので観察はせず速退治

 

自転車 7 再び自転車

訳あって結婚なんてしてしまって

 

新居は龍ヶ崎というところ

 

常磐線佐貫の駅を降りると ニュータウンの道路が・・・

 

それはそれはまっすぐ ドーッと続いていました

 

第一次募集くらいの時でニュータウンにはほとんど人がいない

 

つまり道路はしっかり人がいないと言う理想の静けさ&歩きやすさなのです

 

家は突き当りからさらに農道を先へ進んだところにありました

 

駅から4キロほどでしょうか

 

最初のころは50ccのバイクに二人乗りでした

 

二人乗りがいけないなどは知りません

 

だって、 もともと免許が取れないのですから知る必要がありません。

 

あっという間につかまりました。

 

「3000円も罰金取られた、とか言ってましたっけ。

 

 

その後すぐに自転車を持ってきました

小型の足のつくやつ

 

☆;自転車は乗っちゃいけないから

仙人;いいか悪いかは自分が見ればわかる

 

☆は自転車に乗れる

何年たったって ちょっと乗れば思い出す

しかし、そういう問題じゃない

 

仙人;判断は自分がする

仙人;大丈夫だ 

 

ソリャ 運転はできますよ

自転車大好きですよ

でも、そういう問題じゃない

 

仙人;自分の判断に間違いはない

仙人の祖母は全盲だった。

盲人のことはよくわかっていると自称している

耳たこほど繰り返される

たしかそのおばあさま仙人が5・6才の時に亡くなっているはず

「祖母が盲目だった」と言うことが仙人の強みらしい

 

翌日から自転車の通勤が始まった

ニュータウンはまだまだ人が少なく 道路だけが立派で

歩道はわが自転車のために存在した。

 

駅の近くは人が増え(当たり前)

5メートルも先の自転車を見つけて

ワッ ぶつかる と急ブレーキをかけ滑ってひっくり返る ピエロの真似事以外は何事も起こらなかった

どんどん運転がうまくなった

 

 

佐貫の駅前って当時広い砂利地帯だった

何度も砂利につまずいて滑って前方に焦って 擦り傷が耐えなかった

そのような微々たること3千円の罰金に比べたらどうでも良いことだ

バイク免許の更新=50ccからの格上げは「面倒」だと即効却下された

車にひかれてさよならも近いかも知れない、と思ったし

授業中も救急車の音が気になってくれた母の思いが暖かい

仙人は「世の中に必要のない☆の存在」を消しさる使命でも抱えて現れたヒーローなのだろうか

☆は 「仙人の所にいる」ことは諦めても 「生きること」 を諦めていない

 

 

 

自転車 5 やくそくの重さ

約束とは双方が責任を持つことだ

・・・・・・・・・・・・・・・

 

ドーン!

ガチャnn!

私は補助輪で転ぶことはない ぶつかるだけだ

 

もうひとつ問題は、ブレーキをかけるひまがない

障害物を確認したら1秒後には

ドーン。

 

父が小さな自転車を選んだ理由がそこにあった。

さすが父親 よくわかっていらっしゃる。

足が地面につく高さなら 

ブレーキより足のほうが速い。

 

すぐに上手くなって補助輪を外すと

少し離れた舗装道路をかなりの早朝に走った。

 

それで満足しているうちは平和なものだ。

平和というものはいつの時代もガマン強さが必要であって

憧れに突進する☆には 耐えがたくなってくる

 

道路に誰もいない

よーし 大丈夫

 

大丈夫という言葉は 決して 信用しないほうがいい

こと自転車においては絶対確定危険語だ

 

学校から帰ってから自転車に乗るようになった

父は何も言わない。

 

純粋な心の自転車乗りは

毎日毎日 自転車が我が人生だ。

早朝も、放課後も 自転車しか心にない

 

今日も快適

・・・

いきなりハンドルを抑えられて

「ちゃんと前を見てないと危ないよ」

バイクのおじさんが突進してくる私を先に止まってまっていた。

「ごめんなさい」と言ったかな 覚えていない

運悪く何かにつけて「目が悪いんだから・ガミガミ」と

いちゃもんをつける大嫌いなオバサンの家の前だった。

「見られてないといいな」

こういうのを「嫌な予感」という」

 

前を見ていなかったわけじゃない

道路しか見てなかっただけ

そもそも ぶつかっていないし怪我もしていない。

普通なら間違いなく ハイ で一切が終わる。

 

嫌な予感ほど記憶に焼きつく、的中率も抜群アップ

夜になって ご近所オバサン連が抗議に来た

「めくらに自転車与えるなんて 非常識だ」

「ぶつけたほうが迷惑だ」などなど

散々好き勝手なことを言って帰っていった。

確かに「ぶつけたほう」と言った

「ぶつけるのは私のほうだから おかしい」

そういうのを屁理屈という?らしい

そうォ、負け惜しみとも言う 

 

そんな小言はもう日常的に慣れになれている

翌朝も当然早起きで 自転車に向かう

 

ない ない どこにも・ない

 

「約束を破ったからだ」

あたりまえのごとく父が言う。

 

返す言葉は ない。

 

・・・・・・・・・・

何年も経ってから知った

私に自転車を与えるにあたって

母は私が死ぬことを覚悟したという。

私が自転車を持ち出すと 

救急車の音が鳴るたびドキッとした。

昼間も乗るようになると 

教員をしている母は、授業中にサイレンが聞こえるたびに

心配で心配でたまらなかった そうだ。

 

当時は心配している様子など全くなかった

 

もしも死んでいたら

死ねばまだいい 重度障害になっていたら 

母はどれほどの後悔をしたのだろう

父はどうだったろう

約束を守り切れないことなどお見通しだろうから

最悪を願ってはいなかった、と信じたい

結果はどうであれ

なんと勇気のある親だろう 尊敬する

 

いつのまにか三輪車もなくなっていた

父の条件を守らなかった☆はあきらめが良いのだ

父の命令は絶対である

そこらに散らばっている誰かの自転車に乗ろう、なんて思いついたこともない

 

自転車にスイスイ乗れるようになったことが重要なのである

大人の自転車、足つかないし・・

 

 

自転車 8 再び大丈夫

仙人は「ヨーガ」の先生を始めた

東京練馬の奥でヨガ教室を世話してくれた人がいた

住まいは茨城 常磐線である

しかもその教室の生徒さんは数人

一人で行きゃいいのに仙人は☆を同伴させる

 

仙人の年収 年間定期代30万を入れて110万のくせして

毎回会場費だけで5000円の赤字だった

毎週である

もちろん☆のお給料から補填する。

その勤めも「女の本当の幸せは家に居ることだ」と 

すでに辞表を出させられていた。

 

本日は自転車の話である 

わき見運転は 命にかかわる

 

 

ヨーガ教室の日は=(ヨガ)ではないのだそうだ=

行きは勤め先赤坂から新宿に出て西武線に乗って会場まで行く

帰りは西武線→中央線→山手線→常磐線 佐貫駅下車

佐貫を降りるころは日が変わる時間になる

 

カーブはあっても角のないレース場のような道

車道に降りて自転車用の白い線のセンターよりを仙人のバイクを追って走った

この位置は左右に余裕たっぷりでつまずくことはない

ただただ先方のバイクのライトと白い線を見つめ必死でこぐ 

 

バイクが止まった

 

仙人;「もっと速く走れないかな」

☆;「精一杯こいでいる」

仙人;ちょっと待って こうすればいい

すばらしいアイディアに大喜びでのようす

バイクからロープをはずして持ってくる

☆・・・ギョッ

仙人;引っ張れば速くなる

☆;危ないじゃない

仙人;大丈夫 ゆっくり走るから

☆;大丈夫なわけない

 

大丈夫 には 「自分は」と つけるべきだ

仙人は自転車とバイクをつなぎさっさと戻る

☆は不安を覚えるより一点集中 

仙人の「すばらしいアイディア」に口を挟んでもむなしい時間が過ぎるだけ

 

センターよりを走るバイクに引っ張られ

白い線の見えなくなった舗装道路を懐中電灯が当たる部分にすべての力を注いだ

矢のように飛ぶごま塩のような道

わずかな凸凹で宙を飛ぶ

飛んだら落ちる

落ちたらひっくり返らないようにバランスをとる

そんな暇などない

ベルトコンベアは ふらっと来ても泊まらない

止まってといっても聞こえない

=ブレーキをかけたらひっくり返る=

コレは凍った道を走る自動車の鉄則だ

父に聞いた言葉がよぎってブレーキは掛けない

ただただ必死に体制を立てていた

 

やっとバイクが止まる

☆;「無理だ」

仙人;そんなことはない 

  もっとゆっくり走るから

☆;引っ張られる自転車に乗ったことあるの

仙人;あるわけないだろう 

大丈夫だから

 

引っ張るのだって初めてだ、が正解だろうが!

バイクはちょっとスピードを落として動き出した

何も変わらない

 

一生分の集中力を使い果たした 

と思ったほどの永遠の時間

実際はほんのちょっとなのだろう

だって 生きているから

 

バイクが止まり仙人が降りてきた

ロープをはずしながら

仙人;ゆっくり走るのがたいへんだ

☆;さようですか=声には出せない

 

あの時死んでしまえばよかった

結婚早々視覚障害者を自転車に乗せ

バイクで引っ張って死亡させた

前代未聞のあきれた行為

しかも 理由が ただ早く家に帰りたいから

自転車はバイクより遅いから

引っ張れば速く走ると思ったから

 

 

慣れればできるように なるわけないだろうが!

その日限りで絶対拒否の行為は仙人が「家に帰る時間の短縮」を助けることはなかった

 

無傷で終わったために反省することもない

反省する根拠がまったくない

人の命をおもちゃにしたとは思っていないのだから

 

似たようなことが繰り返される

 死ねばよかった

 指も腕も足もひとつも掛けていないけど

 今でも 時々思う

 命と引き換えにでも

 「ザマァミロ」と訴えたい

 

その思いが29年たった今でもくすぶっている=初めてブログに書いたとき

42年たった今でもおなじである

あのとき死んでいれば良かった

自転車 6 自転車は光と闇

私は道路わきの線に沿って

迷うことなくスタスタ歩く

溝に落ちないために とか

真中に出ることがないように とか

安全のために 道路の線を見ながら

端っこをあたりまえの人が歩くスピードで歩く

 

右目が見えないから右を歩く

これが不思議らしい

右は道路わきを歩けば問題ない

たまに歩道に置いてある

いろいろなものにぶつかることをのぞけば だが

 

見える左で動いてくるものをよける

右が外側ではどうしても動作が遅くなる

 

角まで行ったら必要最低限のものを見る

常に耳を済ませ 車の音で距離を測り

人の声や物音ででいろいろなことを知る

 

山国にいて山を見ず

商店街を歩いてもウインドウをのぞかない

目的地に続く足元だけを見る

まさか歩道にドテンと車が置いてある訳がない 

と 信じているのに・・・信じたいのに

歩道上の正面衝突を 何度すれば気がすむのか

運転手は空だし メガネは曲がるし 低い鼻が高くなる(はれる)

 

人と歩くときは しとやかに 前に出ず人の背中と足元を見て歩く

背中が下がれば下り 上がればのぼり

背中がはねれば 障害物あり

平行して歩いて初めて

視力のなさに気がつく人も多い。

 

だって・・つまづくもん。

時には階段から落ちるもん。

 

ガツーン 

ドン

キー!!!

 

人生55年

道路の端っこを歩いてきたにもかかわらず

何十回と自転車にぶつかってきた。

大げさな数字ではない。

三桁かも知れないほどだ。

とにかく自転車は道の端っこを

音もなくやってきてぶつかる

ほとんどが

「すみません」と言ってそのまま走り去る。

時には 

「バカヤロウ、どこ見て歩いてる」 と怒鳴られ

あっけにとられて思わず立ち止まり

悪いのはそっちだろう と気がついたころには、もういない

   これは東京に多い

 

自転車は「ぶつけても」怪我をしない

「ぶつけても」痛くない 

ぶつけられた人のことなど 気にしない

 

竜ヶ崎市にいたころ

すっかり日の落ちた交差点の歩道上で

無灯火の自転車に引かれた。

真横から近づく音が聞こえたときには

暗い世界が回った。

「どうも」と女性の声だけが残る。

これは「ひき逃げ」 ?!

歩道上で無灯火 しかも目一杯フルスピード。

肩と足にけっこうな怪我をしてしまった。

 

伊那谷に引っ越してから

自転車にはぶつからなくなった

なぜかって? 

 

そりゃぁ

あまりの傾斜に自転車が非合理的だから

 

歩くのも「しんどい」のぼり坂を真剣な顔で 

夢中でこいでる中学生に出会うと

ガンバレ と思う

 

自転車は嫌いじゃない

自転車 4 ☆の自転車と新しい景色

補助輪の事故?事件?から姉は私を後ろに乗せなくなった。

 

☆は三車車を飛ばし続ける

 

ワー!!!!

私の自転車が来た。

突然父が自転車をくれた。

自転車屋さんに 中古の小さな自転車が入った とかで

買って来てくれたらしい。

 

奇跡だ!

父がくれたプレゼントでこんなに驚いたものはほかにない

 

視力のない私に自転車

当時だって非常識だったろう

兄弟平等の思想というのは 奇跡だって起こすらしい

めくらに自転車 断じてありえない

すごいことだ 

 

父の条件

 

  朝早い時間しか乗らないこと

  破ったら取り上げる。

 

もちろんどんな条件だってかまわない

なんてったって憧れの自転車だ 

 

悪魔から天使になった補助輪を貰い受けて

超早起きになった

 

もともと運動神経は悪いとは思わない

が、人と違う学習が必要なのが難点

最大の弱点は距離感

自転車に乗った位置からの もろもろの距離

歩いて10歩がひとこぎで通り越してしまう

 

十字路が近いからブレーキをかける

これは普通の人のやること

☆は違う

十字路の手前で止まるためには

・・どこの家のどの区切り・・でブレーキをかける

知らない道路での応用力ゼロだ

 

 

十字路の東西に伸びた道路が

光の筋になって浮かび上がっている

気がついたら光を求めて前を見ていた

道路脇の家を見ずに自転車をこいだ

正しく「光の中へ」進んで止まる

日の出の時間は誰も来ない 自信がある

四つ角のど真ん中で朝日に向かって笑う

 

早起きは3文のトクというが 

早起きは 新世界の門 だった

 

足と記憶の距離からの脱却 

視覚で距離を測留事を知った

 

目線を足元から前方に広げたら

世界はぐんと広くなる

 

見える世界から見る世界へ

朝日の帯を距離の目安にした時が

自分の意志で 見る世界 へ踏み出した記念すべき瞬間だ

見える と 見る の違いを知った瞬間でもある

めげない☆は光の中で輝くことしか考えない