ニワトリを狩る猫

☆はネコを見たことがない
鳴き声だけがネコの姿だ
・・・・・・・・・・・
◇ ネコ

我が家の鶏が特別美味しい というわけでもないだろうに

ネコは時々明け方やってきては、鶏を狙った。
どんなに小屋をしっかり作っても取っていく。

家には犬(スピッツ)がいた。
しかし犬はつながれているので、ネコを追い払えない。
番犬とはいえ,ほえるだけだった。
第一、犬が気がつくのが咥えて逃げるときなのだから、
それから飛び出しても間に合うわけがない。

ネコは扉から入るとは限らない
むしろ扉以外のところを探すようだ
人は猫の入り口を必死で探す

何時かも 探した
今日も 探す
この次も 探すだろう

ネコは天才だ 力持ちだし 根性もある
大きな荷物(ニワトリ)を咥えて追いかけられても離さない
と 大人たちは話す

ネコは悪者だ と教えられるまま信じた

 

ニワトリ

 私の子供時代は家に鶏がいた。

県庁所在地のど真ん中なのに、たくさん飼っていた。
父が結核で栄養豊富なタマゴを毎日食べるためである。
 


鶏は苦手だ
せっかくミミズを取って食べさせようとすると
われ先にと集団で飛びついてくる
たまらず投げ出すと 大群でミミズのほうに行ってしまう
こわい上に薄情だ いいのは姿だけじゃないか
 

・・・・・・・・・・・・・

     オトリ

私はタマゴを取り行くたびに、ニワトリに襲われた。
小屋に入るときにはサっと入らなければいけない
5才くらいからやらされていた と記憶している、
 
入り方が下手だ、と何度も叱られた。
気をつけて入ったら、タマゴを探す。
どのメスも私を見ると威嚇する。
顔を向けるだけで羽を広げて、こっちへくるなという。
それでも手ぶらで帰ると叱られるから がんばる。
何とか(こわごわ)ニワトリに近づくと 今度は攻撃されて
小屋の隅に追い詰められてしまう。
必死にこらえるがたいてい身動きできない
 
そのころを見計らって 今日もか・・・と
誰か(たいてい姉)がタマゴを取りに来るのだった。
 
そう。助けにきてくれるわけではないのだ。
 
「もたもたしてるからニワトリにまで馬鹿にされる」
ニワトリが私を取り巻いているすきに
無防備なたまごをさっさと持っていく。
 
 今日も手ぶらのタマゴ鳥(取り)
 
鶏は昼間行くと「どうぞどうぞ」と立ち上がって巣を見せてくれる
今置いてきた餌のほうが気になるようだ

の辞書
 「おとり」 鶏小屋の

誰にも犯させない信念

わたくし☆は先天性白内障の視覚障害者だ

当時の医学では成功の部類で医者にも感謝している

 

今の常識を当てはめないでほしい

「白内障なんて病気じゃない」

「治しもしないで障害者でいたいんだろう」

 

派手に傷つくのだ 

 

障害者でいたいなど思ったことなど全くない

どうしようもないから現実に生きているわけで

死のうと思ったことなどいくらでもある

死ねない理由があるから生き続けていた

 

その理由もなくなって何時死んでも良い

心底そう思う

 

身体が言うことを聞かなくなったら自死一択だ

散々迷惑をかけてきた私は これ以上人の世話にはなりたくない

 

自死できる状態で衰えたい

ピンコロ崇拝者である

 

自死できたら喜んでもらいたい

褒めてくれてもよいよ

 

「良い終わり方だったね」と

お家の恥姫と理想の檻姫の反乱 

生まれ持った運命

 

実人生は悔いしかないけど 夢の向こうだけでも我を捨てない

その思いを載せて書いたブログタイトルが

「星の歌に夢を乗せて」

思いを書いて☆は輝く・・・

いつかきっと・・・

 

そう思えたことがむなしいくらい

諦めが上回る

 

お家にとって

見た目の悪さは罪なのだろう

父は☆を認めてはくれない

生まれた事が「☆の」罪なのだから父は悪くない ということだろう

たぶん母はそうとう攻められたのであろうね そこかしこで感じた

母は優しい人だったけれども☆が荷物であったことは伝わった

それでも 二人は教師であるし非常識ではない人たちだった

対等に扱う姿勢はいつもあったし

なんとかしようとそれぞれに頑張ったのだと思う

それがわかっているから恨みはない

ほんとうに・・・☆は・・・いい子なんだよねぇ

でも 兄弟格差は能力に応じて、とか

それでも・・・ ☆は・・・兄弟が好きなんだよねぇ

 

二十歳過ぎに母が声をかけてきた

東京の大手会社が障害者枠で社員を募集してるから受けてみたら

東京か、独り立ちすれば輝けるかも♪ 

見事大手会社に入社した

障害者の道を開く、なんて大きな夢を持って頑張った

会社も大いに応援してくれた いい会社だった

そんなの夢も仙人に狩りとられ

あっけなく終わってしまった

 

 

仙人ののためだけにに生きることを強要され

誰にも自分のことも家族のこともあまり語れなかった

 

だから 思い出が劣化しないまま今に至る

思い出は暴走気味かもしれない

だって 今に至ってもなお悔しい

「私は何のために生まれて

何のために生きてきたのか

 

何時だったか母が言った

あなたの人生人と違うから自伝を書くといい

笑いながら思いつきで言ったのだろう

 

母はいいタイミングで道を開いてくれる

うん、お母さん好きだよ♪

 

 

そうだな

苦しみも 悲しみも 悔しさも

喜びも 感動も

子供らにも伝えられなかったから

書いてみようか

 

やって見たらたのしい

 

のブログに載せたらアクセス数が一日3桁からたまに4桁になった

のブログ終了後グーブログでもコメントが届いたりした

それはそれで楽しいけれど

自分勝手に何かしたいと欲がでた

 

・・・・ざまあ・・・・したい

 

息子がホームページを作ってくれた

自伝とゲームと諸々と

 

 

遠慮せず

公ブログに載せにくい事も

書いちゃおう

 

 

読まれたら「ざまあ」か「地雷」かは未知である

開き直って

前向いて

ちょっと舌を出して

笑っちゃおう 

 

 

さあ

いま始まる

☆の遅い

反 抗 期

 

 

 

 

 

「ほし=☆」が生まれた家 2

 

  父が跡取りに入った家の先代  母から聞いた話

子供がいない一台限りの跡継ぎ、財産地位を守る、と言う条件で一時入った人は責任がないことをいいことに、いろいろやってくれた。

貴重な物品を売り払い、親戚を呼んで土地を半分分け与えた。一度火事もだしたらしい。

 

☆の両親は市内の学校の教師になってこの家にはいった。

先代と先代から土地をもらって住み着いた先代の奥方の親戚たちは☆の父が若くて反論できないのを良いことに給料を給料日に袋ごと要求した。現金支給だから根こそぎである。

そのために母の給料だけで生活したという。

切り詰めて生活すると「まだ残っているはず」といくらでも要求する。☆の父は要求されるままに差し出し、母ともめることになる。

それだけではなく☆の出産のために貯金したお産費用も要求したために、とうとう堪忍袋の緒が切れたそうだ。

父の母親の実家の分家たち=「長女の息子を跡取りに」と決めた親戚=に「家」を放棄し東京に帰りたい」と訴えたことで権威ある分家たちが動き、給料を根こそぎ取られることはなくなった。

その後先代が亡くなり、☆の小学校入学式の日に先代の伴侶も亡くなった。

☆は先代のことは全く覚えていない。

「ほし=☆」が生まれた家 1

1、前書き 母から聞いた話

☆の家と父 

 

☆の家は先々代に男子がおらず、一時子供がいない親戚が入った。

☆の父は先々代の長女の息子である。

 

☆の父の家は上に女子2人、下に男子6人系8人の子供がいた。今なら大家族だ。

上の二人の女子はオーソドックスではあるがクリスチャン的な名前をつけられ、五男六男の育て親になる。

長男は家の跡継ぎ、次男は長男が死んだときの予備。

この二人は名字との相性がいいように名付けられた。

三男は母の家の跡継ぎ、四男は三男の予備。

この二人は母親の旧性にあわせて名付けられた。

五男六男は不本意に生まれた一卵性の双子で名前すらつけられず番号である。

五男はさほど気にしていないようであったが、六男は生まれの不公平を大人になっても嘆いていた。

 

父の家はプロテスタントのクリスチャンで全員洗礼を受けている。

次男三男が戦争で亡くなり、長男と四男がそれぞれ予定された家を継いだ。

長男は大変熱心なクリスチャンで伴侶は牧師の娘である。

ユネスコなどの活動に大いに貢献した。

次女はオルガンを弾き、子供が巣立った後50才で教会のパイプオルガンの奏者試験を受け、正式なオルガニストとして日曜学校で弾いた。☆と交流がある

☆の父親は、ド田舎の中学校ではあるがダントツトップで4年で卒業、夢を追って東京へ出た。

夢は国を動かす政治家。目指すは一橋大学。

長男の家で一年間勉強するも一橋大学に入れなかった。

生活のために給料が貰えて勉強できる東京第一師範に入り、教師になった。

 

東京の中学で教師デビュー。戦後すぐなのですべての教科を担当。国語が専門だが体育も音楽も教えた。

合唱コンクールにも出たそうだ。

その中学で☆の母と出会い、結婚、23才で母親の実家を次ぐために盛岡市に移った。

政治への熱は冷めることなく、東京にいる間に著名な政治家と友好関係を築いていたが家を継いだ後まもなく結核にかかり長い療養生活を余儀なくされ、生涯政治家になることはなかった。

☆は結核療養中の子供である。

 

☆の父は「お家」を背負ったためか汚点が大嫌いだ。

父に取って最大の汚点は☆の誕生なのだ、と☆は思う。

 

「お家」に障害者はふさわしくない

ことごとく☆の存在を嫌った。

ただ、教師であり、聖人君主の教育を受け、人には公平でなければならず、☆を嫌うという差別意識が悪であり、

それがまた、やりきれないことであったにちがいない。

どうしようもなく目に入る☆を嫌った

もっと違う目で☆を観てくれたら、☆の人生はこんなにも歪まなかったろうに。

 

人とは哀れである