仙人物語3 仙人は廃屋を愛する 1

廃屋はは手入れをしなくていい・・・・・まじか

住めなくなったら次へ移れば良い・・・・なるほど

探せばいくらでもある・・・・・・・・・誰が探す? 

家賃が安いのが嬉しい・・・・・・・怠け者の心理だ 

 

 

仙人物語2  序章2

仙人は雲の上の「人類」らしい

生きる「理」が私には理解しがたい
人の世界に住み
仙人が欲する「モノ」しか存在に意味がなく
思考は私の斜めはるか天を行く

 天動説の地であり

 地動説の太陽である

 すべてが己のためにある

あまりに崇高すぎて私は理解したくない
 

 

 

こういうのを超絶傲慢ともいう気がするが
言わぬが である

仙人物語1 序章1

凡人とはどういう存在なのか
聴かれても生憎答えなど持ち合わせていない

でも
    
仙人よりは自分の方が凡人であると思ってしまうのは仕方がないだろう

非凡が素晴らしいと言う人は
非凡都はなにか に答えられるのだろうか

非凡にもいろいろあるだろうから
一概には言えない・・か

 

己が非凡であることを誇りに生きるより
輝く星を目指して努力す凡人のほうが価値があると
私は思うのである

   ☆=私=エミエドットワールド

自転車 7 再び自転車

訳あって結婚なんてしてしまって

 

新居は龍ヶ崎というところ

 

常磐線佐貫の駅を降りると ニュータウンの道路が・・・

 

それはそれはまっすぐ ドーッと続いていました

 

第一次募集くらいの時でニュータウンにはほとんど人がいない

 

つまり道路はしっかり人がいないと言う理想の静けさ&歩きやすさなのです

 

家は突き当りからさらに農道を先へ進んだところにありました

 

駅から4キロほどでしょうか

 

最初のころは50ccのバイクに二人乗りでした

 

二人乗りがいけないなどは知りません

 

だって、 もともと免許が取れないのですから知る必要がありません。

 

あっという間につかまりました。

 

「3000円も罰金取られた、とか言ってましたっけ。

 

 

その後すぐに自転車を持ってきました

小型の足のつくやつ

 

☆;自転車は乗っちゃいけないから

仙人;いいか悪いかは自分が見ればわかる

 

☆は自転車に乗れる

何年たったって ちょっと乗れば思い出す

しかし、そういう問題じゃない

 

仙人;判断は自分がする

仙人;大丈夫だ 

 

ソリャ 運転はできますよ

自転車大好きですよ

でも、そういう問題じゃない

 

仙人;自分の判断に間違いはない

仙人の祖母は全盲だった。

盲人のことはよくわかっていると自称している

耳たこほど繰り返される

たしかそのおばあさま仙人が5・6才の時に亡くなっているはず

「祖母が盲目だった」と言うことが仙人の強みらしい

 

翌日から自転車の通勤が始まった

ニュータウンはまだまだ人が少なく 道路だけが立派で

歩道はわが自転車のために存在した。

 

駅の近くは人が増え(当たり前)

5メートルも先の自転車を見つけて

ワッ ぶつかる と急ブレーキをかけ滑ってひっくり返る ピエロの真似事以外は何事も起こらなかった

どんどん運転がうまくなった

 

 

佐貫の駅前って当時広い砂利地帯だった

何度も砂利につまずいて滑って前方に焦って 擦り傷が耐えなかった

そのような微々たること3千円の罰金に比べたらどうでも良いことだ

バイク免許の更新=50ccからの格上げは「面倒」だと即効却下された

車にひかれてさよならも近いかも知れない、と思ったし

授業中も救急車の音が気になってくれた母の思いが暖かい

仙人は「世の中に必要のない☆の存在」を消しさる使命でも抱えて現れたヒーローなのだろうか

☆は 「仙人の所にいる」ことは諦めても 「生きること」 を諦めていない

 

 

 

自転車 5 やくそくの重さ

約束とは双方が責任を持つことだ

・・・・・・・・・・・・・・・

 

ドーン!

ガチャnn!

私は補助輪で転ぶことはない ぶつかるだけだ

 

もうひとつ問題は、ブレーキをかけるひまがない

障害物を確認したら1秒後には

ドーン。

 

父が小さな自転車を選んだ理由がそこにあった。

さすが父親 よくわかっていらっしゃる。

足が地面につく高さなら 

ブレーキより足のほうが速い。

 

すぐに上手くなって補助輪を外すと

少し離れた舗装道路をかなりの早朝に走った。

 

それで満足しているうちは平和なものだ。

平和というものはいつの時代もガマン強さが必要であって

憧れに突進する☆には 耐えがたくなってくる

 

道路に誰もいない

よーし 大丈夫

 

大丈夫という言葉は 決して 信用しないほうがいい

こと自転車においては絶対確定危険語だ

 

学校から帰ってから自転車に乗るようになった

父は何も言わない。

 

純粋な心の自転車乗りは

毎日毎日 自転車が我が人生だ。

早朝も、放課後も 自転車しか心にない

 

今日も快適

・・・

いきなりハンドルを抑えられて

「ちゃんと前を見てないと危ないよ」

バイクのおじさんが突進してくる私を先に止まってまっていた。

「ごめんなさい」と言ったかな 覚えていない

運悪く何かにつけて「目が悪いんだから・ガミガミ」と

いちゃもんをつける大嫌いなオバサンの家の前だった。

「見られてないといいな」

こういうのを「嫌な予感」という」

 

前を見ていなかったわけじゃない

道路しか見てなかっただけ

そもそも ぶつかっていないし怪我もしていない。

普通なら間違いなく ハイ で一切が終わる。

 

嫌な予感ほど記憶に焼きつく、的中率も抜群アップ

夜になって ご近所オバサン連が抗議に来た

「めくらに自転車与えるなんて 非常識だ」

「ぶつけたほうが迷惑だ」などなど

散々好き勝手なことを言って帰っていった。

確かに「ぶつけたほう」と言った

「ぶつけるのは私のほうだから おかしい」

そういうのを屁理屈という?らしい

そうォ、負け惜しみとも言う 

 

そんな小言はもう日常的に慣れになれている

翌朝も当然早起きで 自転車に向かう

 

ない ない どこにも・ない

 

「約束を破ったからだ」

あたりまえのごとく父が言う。

 

返す言葉は ない。

 

・・・・・・・・・・

何年も経ってから知った

私に自転車を与えるにあたって

母は私が死ぬことを覚悟したという。

私が自転車を持ち出すと 

救急車の音が鳴るたびドキッとした。

昼間も乗るようになると 

教員をしている母は、授業中にサイレンが聞こえるたびに

心配で心配でたまらなかった そうだ。

 

当時は心配している様子など全くなかった

 

もしも死んでいたら

死ねばまだいい 重度障害になっていたら 

母はどれほどの後悔をしたのだろう

父はどうだったろう

約束を守り切れないことなどお見通しだろうから

最悪を願ってはいなかった、と信じたい

結果はどうであれ

なんと勇気のある親だろう 尊敬する

 

いつのまにか三輪車もなくなっていた

父の条件を守らなかった☆はあきらめが良いのだ

父の命令は絶対である

そこらに散らばっている誰かの自転車に乗ろう、なんて思いついたこともない

 

自転車にスイスイ乗れるようになったことが重要なのである

大人の自転車、足つかないし・・

 

 

自転車 8 再び大丈夫

仙人は「ヨーガ」の先生を始めた

東京練馬の奥でヨガ教室を世話してくれた人がいた

住まいは茨城 常磐線である

しかもその教室の生徒さんは数人

一人で行きゃいいのに仙人は☆を同伴させる

 

仙人の年収 年間定期代30万を入れて110万のくせして

毎回会場費だけで5000円の赤字だった

毎週である

もちろん☆のお給料から補填する。

その勤めも「女の本当の幸せは家に居ることだ」と 

すでに辞表を出させられていた。

 

本日は自転車の話である 

わき見運転は 命にかかわる

 

 

ヨーガ教室の日は=(ヨガ)ではないのだそうだ=

行きは勤め先赤坂から新宿に出て西武線に乗って会場まで行く

帰りは西武線→中央線→山手線→常磐線 佐貫駅下車

佐貫を降りるころは日が変わる時間になる

 

カーブはあっても角のないレース場のような道

車道に降りて自転車用の白い線のセンターよりを仙人のバイクを追って走った

この位置は左右に余裕たっぷりでつまずくことはない

ただただ先方のバイクのライトと白い線を見つめ必死でこぐ 

 

バイクが止まった

 

仙人;「もっと速く走れないかな」

☆;「精一杯こいでいる」

仙人;ちょっと待って こうすればいい

すばらしいアイディアに大喜びでのようす

バイクからロープをはずして持ってくる

☆・・・ギョッ

仙人;引っ張れば速くなる

☆;危ないじゃない

仙人;大丈夫 ゆっくり走るから

☆;大丈夫なわけない

 

大丈夫 には 「自分は」と つけるべきだ

仙人は自転車とバイクをつなぎさっさと戻る

☆は不安を覚えるより一点集中 

仙人の「すばらしいアイディア」に口を挟んでもむなしい時間が過ぎるだけ

 

センターよりを走るバイクに引っ張られ

白い線の見えなくなった舗装道路を懐中電灯が当たる部分にすべての力を注いだ

矢のように飛ぶごま塩のような道

わずかな凸凹で宙を飛ぶ

飛んだら落ちる

落ちたらひっくり返らないようにバランスをとる

そんな暇などない

ベルトコンベアは ふらっと来ても泊まらない

止まってといっても聞こえない

=ブレーキをかけたらひっくり返る=

コレは凍った道を走る自動車の鉄則だ

父に聞いた言葉がよぎってブレーキは掛けない

ただただ必死に体制を立てていた

 

やっとバイクが止まる

☆;「無理だ」

仙人;そんなことはない 

  もっとゆっくり走るから

☆;引っ張られる自転車に乗ったことあるの

仙人;あるわけないだろう 

大丈夫だから

 

引っ張るのだって初めてだ、が正解だろうが!

バイクはちょっとスピードを落として動き出した

何も変わらない

 

一生分の集中力を使い果たした 

と思ったほどの永遠の時間

実際はほんのちょっとなのだろう

だって 生きているから

 

バイクが止まり仙人が降りてきた

ロープをはずしながら

仙人;ゆっくり走るのがたいへんだ

☆;さようですか=声には出せない

 

あの時死んでしまえばよかった

結婚早々視覚障害者を自転車に乗せ

バイクで引っ張って死亡させた

前代未聞のあきれた行為

しかも 理由が ただ早く家に帰りたいから

自転車はバイクより遅いから

引っ張れば速く走ると思ったから

 

 

慣れればできるように なるわけないだろうが!

その日限りで絶対拒否の行為は仙人が「家に帰る時間の短縮」を助けることはなかった

 

無傷で終わったために反省することもない

反省する根拠がまったくない

人の命をおもちゃにしたとは思っていないのだから

 

似たようなことが繰り返される

 死ねばよかった

 指も腕も足もひとつも掛けていないけど

 今でも 時々思う

 命と引き換えにでも

 「ザマァミロ」と訴えたい

 

その思いが29年たった今でもくすぶっている=初めてブログに書いたとき

42年たった今でもおなじである

あのとき死んでいれば良かった

自転車 6 自転車は光と闇

私は道路わきの線に沿って

迷うことなくスタスタ歩く

溝に落ちないために とか

真中に出ることがないように とか

安全のために 道路の線を見ながら

端っこをあたりまえの人が歩くスピードで歩く

 

右目が見えないから右を歩く

これが不思議らしい

右は道路わきを歩けば問題ない

たまに歩道に置いてある

いろいろなものにぶつかることをのぞけば だが

 

見える左で動いてくるものをよける

右が外側ではどうしても動作が遅くなる

 

角まで行ったら必要最低限のものを見る

常に耳を済ませ 車の音で距離を測り

人の声や物音ででいろいろなことを知る

 

山国にいて山を見ず

商店街を歩いてもウインドウをのぞかない

目的地に続く足元だけを見る

まさか歩道にドテンと車が置いてある訳がない 

と 信じているのに・・・信じたいのに

歩道上の正面衝突を 何度すれば気がすむのか

運転手は空だし メガネは曲がるし 低い鼻が高くなる(はれる)

 

人と歩くときは しとやかに 前に出ず人の背中と足元を見て歩く

背中が下がれば下り 上がればのぼり

背中がはねれば 障害物あり

平行して歩いて初めて

視力のなさに気がつく人も多い。

 

だって・・つまづくもん。

時には階段から落ちるもん。

 

ガツーン 

ドン

キー!!!

 

人生55年

道路の端っこを歩いてきたにもかかわらず

何十回と自転車にぶつかってきた。

大げさな数字ではない。

三桁かも知れないほどだ。

とにかく自転車は道の端っこを

音もなくやってきてぶつかる

ほとんどが

「すみません」と言ってそのまま走り去る。

時には 

「バカヤロウ、どこ見て歩いてる」 と怒鳴られ

あっけにとられて思わず立ち止まり

悪いのはそっちだろう と気がついたころには、もういない

   これは東京に多い

 

自転車は「ぶつけても」怪我をしない

「ぶつけても」痛くない 

ぶつけられた人のことなど 気にしない

 

竜ヶ崎市にいたころ

すっかり日の落ちた交差点の歩道上で

無灯火の自転車に引かれた。

真横から近づく音が聞こえたときには

暗い世界が回った。

「どうも」と女性の声だけが残る。

これは「ひき逃げ」 ?!

歩道上で無灯火 しかも目一杯フルスピード。

肩と足にけっこうな怪我をしてしまった。

 

伊那谷に引っ越してから

自転車にはぶつからなくなった

なぜかって? 

 

そりゃぁ

あまりの傾斜に自転車が非合理的だから

 

歩くのも「しんどい」のぼり坂を真剣な顔で 

夢中でこいでる中学生に出会うと

ガンバレ と思う

 

自転車は嫌いじゃない

自転車 4 ☆の自転車と新しい景色

補助輪の事故?事件?から姉は私を後ろに乗せなくなった。

 

☆は三車車を飛ばし続ける

 

ワー!!!!

私の自転車が来た。

突然父が自転車をくれた。

自転車屋さんに 中古の小さな自転車が入った とかで

買って来てくれたらしい。

 

奇跡だ!

父がくれたプレゼントでこんなに驚いたものはほかにない

 

視力のない私に自転車

当時だって非常識だったろう

兄弟平等の思想というのは 奇跡だって起こすらしい

めくらに自転車 断じてありえない

すごいことだ 

 

父の条件

 

  朝早い時間しか乗らないこと

  破ったら取り上げる。

 

もちろんどんな条件だってかまわない

なんてったって憧れの自転車だ 

 

悪魔から天使になった補助輪を貰い受けて

超早起きになった

 

もともと運動神経は悪いとは思わない

が、人と違う学習が必要なのが難点

最大の弱点は距離感

自転車に乗った位置からの もろもろの距離

歩いて10歩がひとこぎで通り越してしまう

 

十字路が近いからブレーキをかける

これは普通の人のやること

☆は違う

十字路の手前で止まるためには

・・どこの家のどの区切り・・でブレーキをかける

知らない道路での応用力ゼロだ

 

 

十字路の東西に伸びた道路が

光の筋になって浮かび上がっている

気がついたら光を求めて前を見ていた

道路脇の家を見ずに自転車をこいだ

正しく「光の中へ」進んで止まる

日の出の時間は誰も来ない 自信がある

四つ角のど真ん中で朝日に向かって笑う

 

早起きは3文のトクというが 

早起きは 新世界の門 だった

 

足と記憶の距離からの脱却 

視覚で距離を測留事を知った

 

目線を足元から前方に広げたら

世界はぐんと広くなる

 

見える世界から見る世界へ

朝日の帯を距離の目安にした時が

自分の意志で 見る世界 へ踏み出した記念すべき瞬間だ

見える と 見る の違いを知った瞬間でもある

めげない☆は光の中で輝くことしか考えない

 

 

自転車 3 世の中で一番信用ならない単語 「大丈夫」

大丈夫という言葉ほど

いいかげんで信用ならない言葉はない

・・・・・・・・・・・・・

   それでも

 

私が小学校3年のころ

姉は自転車を買ってもらった。

 

そのころ私は三輪車で走り回っていた

えっ? 小学3年で三輪車?

と疑問に思って正解。

 

自転車をひっくり返してから

自転車で遊ぶことを親は好まい

なにしろ無鉄砲だから

それに後輪を回しつづけるのにもさすがに飽きた

三輪車は家にある

 

ちゃんと乗ってこいで遊んだ。

 

3年にもなるとそれがとてもしんどい。

それでもがんばって乗ってこいだ。

だって・それが自転車と同じだから

 

そのうち、こぐとひざが頭に届くようになり

限界と言うものを感じざるをえない

 

今度はハンドルを握り後ろに足をかけて

ケンケンの要領で走った。

スケボーにハンドルがついた感じ

これはすばらしい。

助走すると猛スピードで飛んでるようだ。

けった足を後ろに伸ばして風を切る

風で髪が後ろへなびく

もちろん その時代だ、スカートだよ 問題ない

オオ なんと気持ちよい!

 

そんなころ姉が自転車を買ってもらった。

もちろん ☆は三輪車で追いかける

姉は少し乗れるようになると私を乗せて走りたがった。

 

大きな自転車に乗りたい

大きな自転車は☆の夢

大喜びで後ろに乗る

 

自転車はしずかに走り出す

何もしなくてもまわりの景色が

後ろへ、後ろへ・・・

すばらしい

 

景色が グラっと大きく回ったと認識したころには

地面の上 

自転車とともに転がった。

 

姉は? いない。

危なくなると姉は逃げる。

自転車をほうって自分だけ飛び降りて逃げる

運転手のいない自転車は 想像通りの動きをする。

 

「今度は大丈夫」

「もう上手くなったから大丈夫」

「一人で逃げたらいけないって言われたから大丈夫」

 

何度姉抜き自転車と運命を共にしたことか、

とうとう親は補助輪を買った。

 

「ほら、これがついたから 絶対転ばないから 大丈夫」

 

補助輪は溝に落ち

姉は今まで通り逃げ

私はそれまで以上の怪我をした。 

 

それでも自転車はすばらしい

自転車 2 衝突

だいたい自転車というものは音がない

ぶつけられる痛みを知らずにすむ乗り物だ

・・・・・・・・・・・

   

最初の自転車事故は幼稚園に入ってすぐ。

 

幼稚園の通園は結核療養中の父が付き添ったが

道を覚えてからは一人で通った。

自力通園を初めてまもなくだったと思われる

 

もうすぐ国道 と言うところで

遅刻寸前らしい通勤途中の自転車に引かれた。

 

 

歩いていていきなり空が見えた。

くもり空の白い空

次の瞬間 

痛い!

動けない!

わーーー

 

泣き声が響き渡ったのだろうねぇ

大勢の人が集まってきたのを覚えている。

ぶつけた男の人が

「大丈夫?」と聞いたのも覚えている、が

痛くて返事はしなかったはず。

 

とにかく私は家に連れて行かれ

父の背中に乗り換えて近くの外科に行った。

ひざの裏側に怪我をして数日間歩行禁止。

翌日からは父の自転車で快適通院である。

 

父の自転車は心地よい

この快適な記憶が「あれこれ」に勝ってしまう

後々の 「大丈夫」 だって 自転車の風には勝てないのだ 

 

 

父は正当に外堀を埋めるのが上手い

母は気遣ってくれるが父の思惑に乗っかる=それが生きる知恵だと言う

両方の手腕を手に入れれる、と☆は密かに思う=こう思ったのが何歳だったかは覚えていない