副題
車がないと病院にもいけないことをいく度もの経験から学んだ。
それでも頑張って行ったのに
・・・・・・・・・
ボキツ まずい
本文
2005年4月ある日曜日、夜8時ころ
家内業手作り製本の依頼が入った
A4版36枚500部表紙なし 5日間で
印刷機がA3に対応していないのでA4は折らずに糊付けする
一行程少ない と 喜べない
二日後には仙人は東京に行って一週間帰ってこない
この一週間空けるのが・普段なら・天国なのだ
引き受けることになったら
翌日用紙を注文しても届くのはあさって
全工程私がやらなくてはならない
印刷機はいじったことがないけれども
コピーとそれほど違いはないだろうから
やってみればわかるだろう
糊付けはジマエ楽譜を作る時の数回しかやったことがない
カットは小型裁断機はカッターより便利だから
常時使っているが、36ページでは無理だ
大型はさわったこともない
お客さんはいつもの方で 下手でも何でもいいから
本になっていればいいですから、とおっしゃる
海外にもっていくので5日後には必要なのだそうだ
総収入200万行けばいい方の生活費すらママならない事情から 受ける 以外に選択肢はない
仙人は受ける気満々
だって自分はなにもしないにのに結構な収入になる
滞在先で優雅に過ごすのだろう
私には断る勇気も権利もない
断ったら私にはその分の金銭的穴埋めもできない
どうにでもなれ! 、の勢いだ
それでも絶対にむり、350冊に減らしてもらった
火曜日は用紙が届き印刷を始める
ほかにやることは
体力をつけ 休息しておくこと 広い場所を確保することだ
水曜日 裏面印刷 夜から仕分けに入る
木曜日 仕分け作業をしながら帳合 夜中から糊付け開始
長男は県外の大学生でいない
高校生の娘が二人いるが一人は盲学校で普段はいない
炊事などは手伝ってくれるが本作りは仙人が☆の仕事として子供らにあまりさせないしおしえないから手伝って、と言いにくい
それでも見かねててつだってくれた
5日間ほとんど徹夜
寝ても一日1時間とか2時間
娘のお弁当は売店任せ
金曜日 盲学校の娘が帰ってきた
夕方 糊付けが終わる
夜 お客様から10時半にとりに来る、と電話が入った
マダマダ カットが残っている
大型カッターと言っても昔の「ガッチャンコ」とは違う
真上から切るので 一度に2冊しか入らなかった
出荷時間に間に合わせるためにあせった。
睡眠不足との戦いでもあった。
もう 一人で全部なんて無理だ
娘らにも使い方を教えて交代でカットした
そんな時、事故は起こった。
つい雑になってしまったカットの微調整
見ぬ振りをすれば良かったのに
札数に余裕がなくて修正為ざるを得なかった
裁断機の扱いミスで前に滑って手をついてしまい
ゴキッ、
それでも続ける
取りにきたお客様が残りをカットしてくれて
いちおう終わった
あまりに腫れ方がひどいので翌朝8時45分
家をでて歩いて25分の村の診療所に行った
土曜日は休みだなんて忘れていた
家の中から先生が出てきてくれて
骨折かもしれないからと日赤病院を紹介された、けど
交通機関はない。
病院までは歩いて2時間近くかかる。
しかも初めて歩く道。
とても自信がない・訳ではない 歩きたくない
やっとついたら日赤病院,財政難やら,人材不足やらで
その4月から土曜日の整形外科がなくなったという。
そこから紹介された駒ヶ根の昭和伊南病院まで電車で40分かかる。
しかも5分後に通過する電車に乗らないと
つぎは2時間後しかない。
病院から駅まで走って7分。
オマケにこの病院自体初めてで駅までの道を知らない。
それでもがんばった。教えられた道を走ると7分らしい
間に合わない。こうなったらカンに頼る。
人は車の道を教える 車がないこと自体が不自然だからだ
この山国だ、昔からの近道があるはず
そういうのは車の出口じゃないほうにある
家の間にある
もう、手 どころじゃない
目指すは駅
下へ、下へ、 どんどん下る
息もつけないほど,汗だくになって
12時少し前の電車に飛び乗った。
目的の駅で電車を降り,
さあ、病院はどこだろう
おおよその位置は知っているが道がわからない。
ぐずぐずできないと思い駅の隣りにある交番で聞いた。
迷わずいくと15分から20分でいけるのだそうだ。
ところが迷ってしまった。
さっきのカンは何処へ行った、
ココはさっきに比べれば平らだからまっすぐな近道がない
そうは言っても 平らではないから 縦横に道がない
うねうねして いつのまにか戻ってしまう
足元ばかり見る方向音痴の私は ここは苦手だ
1時間くらい歩いてようやく2時過ぎに
救急医療の受付に到着。
ほっと一息
受付に「骨折してるかもしれないと言われて・・・」、
朝から歩き通しのことを話す。
ちょっとは同情してくれると思ったのが間違いだった。
「それではこれに必要事項を書いてください」
と小さな紙と鉛筆をわされた。
伝票は印刷が薄く複写になっていてよく見えないので
普段でも書きたくない。
それを,右手が使えないのに書けと言う。
紙が小さく腕で紙を抑えると目と紙の距離が遠くなり
全く読み書きできない。
苦労に苦労して15分もかけて
やっとミミズのような字で書き上げた。
その間受付はちらちらとこちらを見るのだが,
手伝ってはくれない。
楽しんでいるのだろうか。
なにしろ朝9時前に家を出てから何も、水すら口にせず
走って歩いてである。手も痛い、心もすさんで当然だ。
それからさらに10分して診察室に呼ばれた。
外科の先生で,レントゲンを取ったり何やかやで
1時間くらいかかって、折れてないと告げられた。
ただし,整形外科にもう一度見てもらいなさい、
月曜日の予約を取っておきます,と、時間を指定し,
「直接整形外科に行くように」指示された。
もう時間は4時を回っている。
朝は急いで出てきたから朝食をほとんど食べていない。
その上水も飲まずにこの時間,
病院を出る前に貧血を起こしぶっ倒れてしまった。
先ほどの救急医療のベッドに寝かされて1時間くらい。
何とか持ち直して駅まで20分歩き,電車が30分、
駅から1時間20分歩いて家にたどり着いた。
もう8時だった。
歩いて1時間半は車だと7分分しかかからない。
最初に行った日赤病院は 車だと家から15分
次に行った病院はちょうど反対側で 家から車で25分
都会と違い,車は足。乗れない人はつらい。
タクシー代を払えないのもつらい
みじめさを痛感した一日でもあった。
家に着いて、やっと食事にありつき
痛み止めを飲んで 後 知るか
次回 ひび? 骨折→整形外科編