☆の視点で父の話をしよう 3

成績だけが魅力じゃない

 

塾には非常に成績の悪い生徒もいた

父はそういう生徒にも好かれる

 

父は言う 性格の素直な生徒は成績など関係無くカワイイ

素直な生徒は伸びる

 

生徒Aは代々農家で中卒で農家を次ぐのが当たり前だった

それが中学校に入ったら高校に行きたいと言い始めた

学問など無縁でいいと思っていたから成績は下の下

父は生徒Aの素直さと熱心さと明るさに惹かれて手をかけた

最初から農業高校希望だったので余裕で合格したらしい

☆はこの生徒Aを覚えている

小学生だった☆にいつも とびっきりの笑顔で話しかけてくれた

 

☆は人の顔は区別が難しい

背の高さとか 声や肌の色 そんなので区別しているから顔を覚えない

何百人通り過ぎていった生徒たちの中でたった一人の笑顔を覚えている

 

ちなみに、☆は道路ですれ違った父に気がつくことはない。

父は必要があったり気分が良いと

「☆、お父さんだよ」と声がけしてくれる

成人してからも変わらない

 

で、父は必要がなければ声をかけない

なのに あとから☆の行動に苦言を呈する

☆は圧倒的不利に唇をかむ

父への文句は地雷である

 

父 ☆の視点で父の話をしよう 2

父が遠足をやめた理由

 

高校の数が少なく高校受験は「上に行く」という心構えから真剣に取り組まないと夢に終わる 必然的に生徒はまじめに勉強する

 

父は生徒を分け隔てなく育てる良い教師だ それは間違いない

 

 

普通に人だし我が家は進学塾だ

劣等生より優等生の方が伸びて面倒見もあるしたのしい

 

優秀な生徒は優秀な友達を連れてくる

やりがい、職業に喜び なんてモノも連れてくる

 

昼間は中学浪人、夜は現役中学生、

大勢の学生が我が家に通った

 

中学浪人は朝から夕方まで勉強ばかり、

ではない

父は行事も欠かさない

 

父がまだ若くて体力生徒に負けない頃のある年「

小岩井農場」まで「えんそく」と称して出かけた

我が家は盛岡駅に遠くない位置にあるが

えんそく である 歩科なくては意味がない

 

遠い 18キロもある

 

 

朝6時に出発し、小岩井農場に着いたのがお昼で、休んだ後小岩井駅まで1時間近く歩いて・・・汽車で帰った

 

自家用車がもちろん電話もほとんどない。信じるのは自分の足のみ

 

思い出話も何度もすることになるわけだ。

父は話がうまい

聴いているだけで小岩井牧場まで歩いて行きたくなる

 

翌年から種畜牧場(現岩手牧場)になった 

種畜牧場だって〈道路事情も悪いので〉徒歩で2時間かかる 

☆は調律師の時バスがなくて何度も歩いているからわかるのだ 遠い8キロくらい、最短は5.5キロくらいだけど二車線の国道4号線で歩道が一人やっとの狭さ。一桁国道なので大型車がバンバン走り風にあおられる難所で歩くのに適さない。

 

 

父はどんなルートを使ったか聞いておけば良かった、と思う、「えんそく」の距離を知るために。

 

「えんそく」=「遠足」とおく歩く のであってバスで「遠足」はおかしい

 

 

ピクニック=自然豊かな所に出かけて食事を取る 気分を変えての食事はおいしい 食事を取らねばピクニックにあらず 車移動もOKだそうだ。

ハイキング=テクテク歩く 食事はどうでも良い 歩くことが大事で山でなくても良い

デイキャンプ=弁当持参ではなく食材をかついで行って外で調理する

 

遠足はお弁当持参のハイキング ということになる、たぶん

 

 

父 ☆の視点で父の話をしよう 1

母から聞いた私塾の始まり

 

20代半ばで結核を煩い教職に復帰できなかった父は 中学校の教師教師の母に教えを請いに家に来る生徒こ教えることになった

最初はこたつで、足りた人数だったが 次第に生徒が増えていき

私塾を開くことにした

盛岡では私塾は未開拓 最初の私塾である

 

やると決めたら徹底する父である

東京の兄の家に泊まり込んで「私塾」なるものを視察&勉強した。

盛岡では手に入らない教材や参考書など資料を仕入れてこの地初の高校受験の進学塾を開いた

 

塾の教材はガリ切りの謄写版

☆は教材作りを見るのが好きだった

 

最初のこたつ生徒は昭和25年と言うから26年の大晦日生まれの☆は仕事としての塾の歴史と共にある

☆がこの家の性を失った少し後に塾も終わった

 

2年間学校が好きだった

☆の席は黒板が一番よく見える席 17番の席じゃない

森田先生はいう

☆さんは目が悪いので席は黒板が見えるように一番前にします

☆さんは目が悪いけれどもほかはどこも悪くありません

走ることも同じにできます

鬼ごっこもかくれんぼもみんなとできます

 

席替えがあっても☆は定位置でクラス内に疑問がない

 

☆は森田先生がいた2年間特別を感じたことがない

特別なのはあつ子さんの最初のころとじゅん子さんだけだ

2年間だけめいっぱい学校生活を楽しんだ

幼稚園の頃の疎外感を思い出すことは皆無だった

 

 

心臓弁膜症のじゅん子さん

じゅんこさんは順番通りの席にいた

目が悪いわけじゃないし 足指が足りないわけでもないから当然だ

ちっちゃな身体で全校朝礼は一番前確定

とっても優しくて☆はすぐ友達になった

 

じゅん子さんとはしょっちゅう二人で話をした

友達から特別の仲良しになった

じゅん子さんは心臓弁膜症といって身体が大きくなると死んでしまうと言う

いつも死と向かい合わせで生きていると言う

☆は「死」がわからない

じゅん子さんは「死」と向き合っている

本当は学校にも来れないらしい

けど

じゅん子さんは学校に通って友達を作っておしゃべりをしたかった

だから両親におねだりをしたのだそうだ

 

ある日 ☆は校庭を突っ走っていた

☆は元気だ 走ることが大素手だ

そして石が見えないのだ

膝は擦り傷と打撲でいつもかさぶたがあるくらい走るのが好きだ

学校の校庭は足が引っかかるほどの石がほとんどない

だから おもいっきり走っても転ばない

☆は校庭が大好きで 用もないのに走り回った

滅多にない石につまずいてすっ飛ぶほどひっくり返った

運悪くじゅん子さんが二階から見ていた

じゅん子さんは自ら走って一番に駆けつけてくれた

「☆さん大丈夫?」

ちっちゃな身体で手をさしのべてくれる

おもわず じゅん子ちゃん、走っちゃだめ」

じゅん子さんの手は うれしそうで悲しそうで とてもあたたかい

私はほっておかれ先生はじゅん子さんを保健室へ抱いていった。

その後いつまでたってもじゅん子さんは学校には来なかった

じゅん子さんに会えたのは季節が変わってから

「わたし 生きたい」

じゅん子さんは生きるために名古屋と言うとっても遠い病院に行くことを決めたと言う

そこは病院学校があって 入院しながら勉強ができるそうだ

「病気も治して 学校にも行って また☆さんと逢いたい」

それがじゅん子さんとのお別れの言葉だった

2年生の終わりに転校していった

森田先生は じゅん子さんが生きることを望んで手術を受けるために両親と別れて遠い病院へ行きます。また会える日を楽しみにしましょう

と送り出した

4年生で亡くなったと聞く

クラスの障害児は☆一人になった

 

森田先生はじゅん子さんの家にも頻繁に訪問し励ましたという

自宅療養が望ましいが、いずれ、たぶん10才を超えられない命

ならば 生きる喜びを知ってほしい

一日でも長く生きてほしいが檻の中で死ぬために生きるのではなく

希望を胸に「生」を望んでほしい

死を覚悟した7・8才なんて胸が痛む

少しでも同じ年代の輪のなかで輝いてほしい

森田先生はそう思ったそうだ

当時 先天性の心臓弁膜症は10才を超えられない

10才ころに人の身体は大きく成長するらしい

それに心臓が耐えられないと言う

諦めることをやめたじゅん子さんは☆の星だ

 

その年度で森田先生は教師を辞めた。緑内障が進んで限界だと・・

 

 

足指4本のあつ子さん

席順2

担任は森田先生=故人

男女並んで1つの机。

横4列8人縦6列+ だった たぶん。

☆は窓から2列目の一番前で17番目じゃない

前列廊下から2番目の一番前の女子も順番じゃない

 

森田先生 ☆さんは目が悪いから黒板が良く見える席です

☆は考える、目が悪い?私見えるよ

☆は「めくら」の意味をまだよくわかっていない。

「見えない」の意味も状態」もよくわかっていない

全然わかっていない

でも☆は特別が心地いい

森; あつ子さんは足の指が4本しかありません

でもほかはみんなと変わりないです

じゅん子さんは心臓が悪いので走ることができません

じゅん子さんはおやすみも多いけれど仲良くしましょう

的なことを言った

 

さあ 休み時間はあつ子さんの足が見たい

あつ子さんは靴下をはいていない

一番前だから見学スペースは十分ある

廊下側に近いのはよそのクラスからも見学客があふれるからだ

数日間 あつ子さんは見世物になった

☆はみたい みたい みたい

けど 見えない 足の指の本数なんてわからない

靴下をはいていない足は見えるのに指の本数なんてわからない

大きい学年の生徒も並んで見に来るのに☆には見えない

具体的に「周りとの違い」を教えられる

数日もすれば見学客も来なくなる

あつ子さんは平和を手に入れた

誰も足指の本数など気にしなくなり、そのうちに違いなど忘れられた

あつ子さんはとっても元気で友達もたくさんできてただの人になった

障害者位置抜け、一抜けたー クラスの障害児は二人となった

 

あつ子さんのお父さんは☆に語る

森田先生は入学前 かなり長い時間をかけてあつ子さんの両親と掛け合ったそうだ

毎日家を訪問し あつ子さんに靴下をはかずに学校に来るように諭したという

いやがって泣くあつ子さんに 一週間がまんすれば誰も気にしなくなるからがんばろうね、と、それはもう 毎日かかさず説得に来たそうだ

根負けしたあつ子さんは約束通り入学式の翌日から靴下をはかなかった

教室は休み時間のたびに学年関係無くあつ子さんの足を見に行列ができた

「足の指が4本だって、どの指がないのかな」と話声も聞こえる

あつ子さんは下を向きながら足を隠さず耐えた

☆は満足して通り過ぎる人たちを見ていた

森田先生は人だかりがなくなるまで あつ子さんの家庭訪問を続け励ました

あつ子さんんのお父さんは「いい先生と会えて良かった」と何度も言う

一生かたわで形見の狭い思いをするのかと心配したけれど、あんなに元気に裸足で走れるようになったんだからこれからも大丈夫だろう、

最初はね、さらし者にすると聞いてほんとうに怒った

なんて人が担任になるのか、と だけど熱心でね

『自分も緑内障があって視力がどんどん落ちてきて

ほかの先生たちにいやな目で見られてつらい思いをたくさんしているけれど助けてくれる人もたくさんいてね、理解しあえることが大切だとわかったんです』

と言われて ならば賭けてみるか ということになって、あつ子も折れてね

森田先生は学校でもすごく声をかけてくれて

毎日家にも来てくれて励ましてくれて もう足のことなんて気にしなくなって・・・・・

 

☆は心からうれしい

おじさんからお話を聞いたのは小学校3年生だったけど、おじさんのお話はとてもあったかくってうれしかった

あつ子さんとは4年生のクラス替えでさよならだった

☆は結局足指4本を見られなかった 残念なのは言うまでもない

☆は正直なのだ

 

おじさんはなぜ難しいお話を☆にしてくれたのだろう

きっと☆にも元気に生き抜いてほしいと願ってくれたんだろう

乗り越えたあつ子さんとはちがい、これから先に来るであろう世の中の重圧に耐えるように、乗り越えるきっかけになるように、きっと心を込めて話してくれたのだろう。

ありがとう あつ子さんのおとうさん

 

 

出席番号と背比べ

席順 1

 

学校は最初出席順に席を決めている。

出席順とは生まれ順。男女それぞれ1番から25番くらいまで

4月二日生まれがいれば未来永劫一番で4月一日生まれは最後になる。

子供だから一年の成長は目に見えていて後ろに行くほど小柄になる傾向があるが椅子なので問題ない。

しかし、立って並んだばあい頭がでこぼこに並ぶのは美しくない

そこで 全校朝礼などでは小さい順にならぶ それはかなり厳格で毎週の全校朝礼の時に担任が確認し入れ替える。

いつもちっちゃいのは一番前で背高のっぽは一番後ろ 毎週入れ替えがあっておもしろかった。

柱のきずは5月5日だけじゃたりない

日々の変化を見たくなる

 

生まれ順が一番で背が高ければボス的存在になる。加えて成績が良ければオール一番、委員長も揺るぎない。

そういう時代・社会だった

 

☆の番号は17番

この先一時19番はあったけど中学卒業までほぼ17番 学年が変わりメンバーが替わってもなぜか☆は50人クラスの17番だった

男女別番号で男女はほぼ同数 うまくいってた時代

17番は真ん中より後ろより

 

いつしか17番は自分の番号

割り算ではあまり「1」の位置

固有の17番

一番よりすてきな17番

一時期もらった19番も孤独の番号、

我一人 染まらない番号だ

などと思い入れは大きく膨らむ

17も19も素数と知ってからは素数が大好きになり延々と素数を探し求める☆。

パソコンなんてない時代、ひたすらこだわりと努力で懲りまくる

父が間違いをただしてくれると満面の笑みで喜ぶ

平均律を追い求める人を「そんなの求めてなんになる」などとバカにできない話であるが自分のことは棚に上げるものである

・・・平均律なんて終わりがないじゃん・・・

・・・素数だって終わりがないだろうが・・・

一人でけなし合う

 

唐突に並び順のことを思い出して口ずさむ

 

柱のきずはおととしの

5月5日のせいくらべ

ちまき喰べ喰べ兄さんが

はかってくれたせいのたけ

昨日くらべりゃなんのこと

やっと羽織のひものたけ

 

紐の丈、の意味がわからなかったなぁ

魚の干物?竹? わからなくても歌えるもん

着物着なかったし・・・

 

「背比べ」 柱に傷つけると叱られる、と教科書から消えた曲だ

当時は思いっきり柱に傷つけていたよね

おおらかという点でいい地代だったな

 

父の罠は☆の伸び代

1 父の罠に笑顔でかかる☆

 

 

結核療養中のお父さんはいつも家にいた

 

出かけたくても4・5才の想像を絶するお転婆を家に置き去りにできない

 

そこで

 

父  ☆、お父さんと遊ぼう

エ  うん (満面の笑み)

父  そう、一緒に同じに歩こう

 

父と手をつないで ランランラ・・・

身長174センチの父の歩幅で飛ぶ

力一杯飛ぶ

右足も左足もお父さんと一緒

手をつないで飛ぶのはすごく楽しい

日に日に距離が伸びる

 

 

 

今日はお父さんとお出かけ

喜び勇んで手をつなぐ

 

どんどん歩くお父さんに手を引かれて飛ぶ

 

お父さんの足だけを視ながら飛ぶ

 

疲れてもスピードは落ちない。

無口で必死になる

 

ぶら下がるようになってもスピードは落ちない

 

目的地に着くころにはへとへとで元気に遊ぶ力などなくなっていた

 

 

お邪魔した家でお菓子を食べた記憶がないほど疲れ切っていた。

 

 

お邪魔虫をおとなしくさせる罠に度ハマリした結果である

 

 

 

 

父の罠に懲りずにかかる☆

 

父とお出かけの帰りは別の道

 

しっかり手をつないでゆっくり歩く

 

右手に木がたくさん植えてある魅力的な場所があった

父は手前で止まる

とっても真剣な声で

 

父  ここはキツネがいて見張っているから視てはいけない。前だけ見て走って通り過ぎるように

 

父は走って通り過ぎる

 

しっかり脅された私は そこがおいなりさんだって知ったのは大人になってからで 子供時代はちらとも視ず脇を走り抜けていた

 

木があって石の狐さんがいたら ☆は入り浸るにきまっているのだ

 

当然のようにつながったよそサマのお庭たちもテリトリーになる

 

探しに来るのが面倒

 

父は自身の自由のために時間をかけて☆を罠にかけて捕縛する

 

父とのお出かけも回をかさねると☆には体力がつく

少々の遠回りくらいではへたばらない

道もすっかり覚えられてほっておいても家に帰れるくらいになってしまった

父は早めに歩いて目的地に着くと

ほら 見てごらん と ポケットからチョークを出した

訪問先の玄関先に大きな枠を描く

☆は輝く

父は チョークを 宝物のように☆に持たせた

この枠の中になら絵を描いていいよ

こすれば消えるから何度でも画ける

枠から絶対出ないように言いつける

父が碁を打って出てくるまで☆はチョークの虜だ

翌日から我が家の玄関内も外も☆のお絵かき場になった

チョークなら教室(我が家は学習塾)にいくらでもある

近い未来にチョークの箱から 一本 また一本 と 消えることになる

☆は罠をかけた父より困らせる天才である

 

父は減りの遅い蝋石を買ってくれた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しもやけのあと

☆の手足にはしもやけのあとがある

ハイハイの頃というのだから1才のふゆだろう

 

母は語った

母は毎日薪ストーブに薪をいっぱい入れて仕事に出かけた

☆はストーブの前に寝かされた

薪がなくなり部屋が冷えると☆ははって部屋の隅で丸くなった

その繰り返しで手足のしもやけは崩れたという

父は結核療養中で家にいるのにメンドウだと薪を足さない

真っ暗な部屋に帰った母は「今日もか」と部屋の隅から☆を回収し暖める

一日一回くらい暖めてもどうにもならなかった

 

父も病気で辛かったのだろう、きっと、たぶん

そんな状態だからだろう、☆は母の勤める学校の用務員室にしょっちゅう預けられたらしい

 

しもやけのあとはテカテカツルツルでちっともいやじゃない

他人は気持ち悪いとか目立つとか言うけれど

☆は意味がわからない

肌よりきれいに光って見えるんだから問題ない

学校で指摘されると☆は「見つけててくれた」と得意げだった

「コレ しもやけのあとなんだよ」

「もっと見て」の勢いだった

72才の今でも輝くワンポイントだ

 

今更ながらおもう 「いい性格してたなぁ」と

 

フと気になる

あのころ姉は何処で何していたのだろうか 寒い思いはしていなかっただろうか

 

 

☆は父にとって「忌み子」だが=しかながなく我が子=

母にとって=やっかいで手がかかるけど捨てておけない我が子=

兄弟はどうだろうか

☆は兄弟から邪魔にされた記憶がない 迷惑かけた記憶はいくらでもあるけど

 

そうだ どうせなら 名前「いみ子」もいいんじゃネ

もちろん「み」の「美」は却下 

意無子、不味子 捨己子 いいじゃない♪

☆は忘れることが苦手なひねくれ者である

 

 

 

 

 

 

母が薪を割った姿は記憶にあるのでかなり長く薪ストーブを使っていたのだろう

むぎこがし

☆の家のおばあさんとは父の母の妹に当たるらしい

あるとき☆はおばあさんに呼ばれた

麦こがしをごちそうになった

さらさらとした粉をコップに入れてお湯をそそぐ

「むぎこがし」とおそわっていただく

甘い

☆はすっかり気に入った

☆はうれしくて母に報告

「おばあさんに麦こがしという甘い飲み物のをいただいた」

母 「練ってた?」

☆ 「さらさらの粉にお湯を入れた」

母のつぶやきによると

麦こがしの入った香り付き砂糖湯らしい

姉にはむぎこがしを上げてるのにと小声

母はお見通しだった 少し悲しそうだった

姉が貰える「むぎこがし」はどんなものだろう

でも、むぎこがしは甘くておいしかった 問題ない

☆は見えないから意地悪されても相手が意地悪に努力するほどダメージはないのだ