1、前書き 母から聞いた話
☆の家と父
☆の家は先々代に男子がおらず、一時子供がいない親戚が入った。
☆の父は先々代の長女の息子である。
☆の父の家は上に女子2人、下に男子6人系8人の子供がいた。今なら大家族だ。
上の二人の女子はオーソドックスではあるがクリスチャン的な名前をつけられ、五男六男の育て親になる。
長男は家の跡継ぎ、次男は長男が死んだときの予備。
この二人は名字との相性がいいように名付けられた。
三男は母の家の跡継ぎ、四男は三男の予備。
この二人は母親の旧性にあわせて名付けられた。
五男六男は不本意に生まれた一卵性の双子で名前すらつけられず番号である。
五男はさほど気にしていないようであったが、六男は生まれの不公平を大人になっても嘆いていた。
父の家はプロテスタントのクリスチャンで全員洗礼を受けている。
次男三男が戦争で亡くなり、長男と四男がそれぞれ予定された家を継いだ。
長男は大変熱心なクリスチャンで伴侶は牧師の娘である。
ユネスコなどの活動に大いに貢献した。
次女はオルガンを弾き、子供が巣立った後50才で教会のパイプオルガンの奏者試験を受け、正式なオルガニストとして日曜学校で弾いた。☆と交流がある
☆の父親は、ド田舎の中学校ではあるがダントツトップで4年で卒業、夢を追って東京へ出た。
夢は国を動かす政治家。目指すは一橋大学。
長男の家で一年間勉強するも一橋大学に入れなかった。
生活のために給料が貰えて勉強できる東京第一師範に入り、教師になった。
東京の中学で教師デビュー。戦後すぐなのですべての教科を担当。国語が専門だが体育も音楽も教えた。
合唱コンクールにも出たそうだ。
その中学で☆の母と出会い、結婚、23才で母親の実家を次ぐために盛岡市に移った。
政治への熱は冷めることなく、東京にいる間に著名な政治家と友好関係を築いていたが家を継いだ後まもなく結核にかかり長い療養生活を余儀なくされ、生涯政治家になることはなかった。
☆は結核療養中の子供である。
☆の父は「お家」を背負ったためか汚点が大嫌いだ。
父に取って最大の汚点は☆の誕生なのだ、と☆は思う。
「お家」に障害者はふさわしくない
ことごとく☆の存在を嫌った。
ただ、教師であり、聖人君主の教育を受け、人には公平でなければならず、☆を嫌うという差別意識が悪であり、
それがまた、やりきれないことであったにちがいない。
どうしようもなく目に入る☆を嫌った
もっと違う目で☆を観てくれたら、☆の人生はこんなにも歪まなかったろうに。
人とは哀れである