父の罠は☆の伸び代

1 父の罠に笑顔でかかる☆

 

 

結核療養中のお父さんはいつも家にいた

 

出かけたくても4・5才の想像を絶するお転婆を家に置き去りにできない

 

そこで

 

父  ☆、お父さんと遊ぼう

エ  うん (満面の笑み)

父  そう、一緒に同じに歩こう

 

父と手をつないで ランランラ・・・

身長174センチの父の歩幅で飛ぶ

力一杯飛ぶ

右足も左足もお父さんと一緒

手をつないで飛ぶのはすごく楽しい

日に日に距離が伸びる

 

 

 

今日はお父さんとお出かけ

喜び勇んで手をつなぐ

 

どんどん歩くお父さんに手を引かれて飛ぶ

 

お父さんの足だけを視ながら飛ぶ

 

疲れてもスピードは落ちない。

無口で必死になる

 

ぶら下がるようになってもスピードは落ちない

 

目的地に着くころにはへとへとで元気に遊ぶ力などなくなっていた

 

 

お邪魔した家でお菓子を食べた記憶がないほど疲れ切っていた。

 

 

お邪魔虫をおとなしくさせる罠に度ハマリした結果である

 

 

 

 

父の罠に懲りずにかかる☆

 

父とお出かけの帰りは別の道

 

しっかり手をつないでゆっくり歩く

 

右手に木がたくさん植えてある魅力的な場所があった

父は手前で止まる

とっても真剣な声で

 

父  ここはキツネがいて見張っているから視てはいけない。前だけ見て走って通り過ぎるように

 

父は走って通り過ぎる

 

しっかり脅された私は そこがおいなりさんだって知ったのは大人になってからで 子供時代はちらとも視ず脇を走り抜けていた

 

木があって石の狐さんがいたら ☆は入り浸るにきまっているのだ

 

当然のようにつながったよそサマのお庭たちもテリトリーになる

 

探しに来るのが面倒

 

父は自身の自由のために時間をかけて☆を罠にかけて捕縛する

 

父とのお出かけも回をかさねると☆には体力がつく

少々の遠回りくらいではへたばらない

道もすっかり覚えられてほっておいても家に帰れるくらいになってしまった

父は早めに歩いて目的地に着くと

ほら 見てごらん と ポケットからチョークを出した

訪問先の玄関先に大きな枠を描く

☆は輝く

父は チョークを 宝物のように☆に持たせた

この枠の中になら絵を描いていいよ

こすれば消えるから何度でも画ける

枠から絶対出ないように言いつける

父が碁を打って出てくるまで☆はチョークの虜だ

翌日から我が家の玄関内も外も☆のお絵かき場になった

チョークなら教室(我が家は学習塾)にいくらでもある

近い未来にチョークの箱から 一本 また一本 と 消えることになる

☆は罠をかけた父より困らせる天才である

 

父は減りの遅い蝋石を買ってくれた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幼稚園 6 父の魔法1 紙の不思議

楽しくない思い出ばかりの幼稚園で
たった一度だけ 良かったことがある

正確には幼稚園が良かったのではない
・・・・・・・・・・

七夕飾りを作る日がきた
いろんな飾りをつくったらしい

そのころには心も抵抗しなくなっていた。
しなさいといわれたことをするだけ
みんなが笹を囲んで飾っていても
☆には関係ない 大きなささを見て
それだけですごいと思うようになっていた
さわってみたいと思うことも 近づくことも
自分のすることではない
ただ部屋の隅に立っていればいい
うらやましいという思いの記憶すらない

部屋には大きな笹がざわざわしていた
子供たちはその下で遊んでいる
遠めに眺めながら、家で飾ることを考えていた

幼稚園が☆に求め、教育したことは
目立たないこと 邪魔にならないこと
自分が邪魔な存在だと自覚すること

色とりどりの 山のような色紙
☆は黄色が好きだ けど 関係ない

教わったことは
与えられた青い色紙で輪をつなげなる方法と
与えられた青と桃色の三角を交互に糊付けする
それが☆のすること
☆の短冊は先生がつけたのだろう

そもそも☆の短冊は存在しないのかもしれない

だって自分で飾らないのだから

それでも飾り作りは楽しい
紙が立体になるのはたいへん面白かった

家に帰って父に紙をもらった
父は学習塾をしていたので西洋紙ならいくらでもある

そして父は

☆がおとなしく夢中になることはとても丁寧に教える

長方形の西洋紙の一端を三角に折り、
はみ出したところを切ると正方形になる
すばらしい! これならいくらでも折り紙がつくれる
父の仕事は丁寧で仕上がりがきれいだ
さっそく☆も挑戦する
上手くはいかないがうれしい

その紙をさらに小さくし 輪を作った
父はつなげないでどんどん輪を作る
輪はふわふわはねながら山になっていく
もう見るのに夢中だ

次に別な紙で山になった紙をつなげ始めた
なんと効率の良いこと
一緒になってつなげた

父は☆が軌道に乗ると 正方形を作った紙の
残りの部分を細く切り、ひねって輪を作った

魔法だ !
紙の輪は生きているようだ すばらしい !
それもつないでながーい飾りができた

父は新しい紙を取り出し
魔法を見せてくれるという

父;ここに紙が一枚
☆;かみがいちまい
父;これを真四角に切る
☆;うんうん
父;これを三角に折る
☆;さんかくにおる
父;もう一回三角に折る
☆;もういっかいさんかくにおる
父;またまた三角に折る
☆;ちっちゃくなりました
父;さて ハサミでチョン
☆;ちょん
父;こちらもチョン
☆;ちょん
父;この辺も
☆;ちょん
父;最後に 魔法の息をかけて ふーッ
☆;ふーっ

もったいぶって丁寧に開いた父の手からは
母が編むレースのような美しい模様が出てきた

すっかり魔法にかかった☆は とりこである
真四角を作るために三角にエネルギーを注ぎ
美しい模様にするために ハサミを使いこなすべく
一生懸命練習した

魔法の 「ふーっ」 もちろん忘れない

父が三角を選んで、なおかつ
面白おかしくしたのには理由があるわけで
後からおもえば見えてくる

西洋紙を使う以上 正方形はジマエになる
☆が紙遊びをしたいというたびにいちいち
やらされてはたまったものではない
それに飾りでは色紙がほしくなる、間違いない
おまけに立体のゴミが山とでる
この遊びなら家にある紙で足りるし、いちおう芸術作品だ

父の魔法にたやすくかかり
そっくり吸収した姉にも引っかかり

それで楽しかった

七夕飾りはどうなった??

幼稚園 2 お便所はどこ?

父は私を一人にするときは 実際に歩いて行動範囲を規制した。
幼いころは一人で門を出ようとすら思わなかったし、
すべての用が父から定められらた範囲内でたりた。

父が教えてくれない所は知らないのだ

父は、まさか教師が何も教えずターゲットにしたことなど知らない?

ちがう、父は予想していたはずだ

エクラってなあに、の質問を無視したのと同じで

めくらの存在がが屈辱名だけだ

知っても 起こるることは自分には関係無い

知ったとしても 幼稚園がどうにかするべきで我関せず

幼稚園に文句を言うなどかっこ悪い

のである


完璧ないじめには ターゲット が必要だ
憎むに値する弱いもの
自分の立場が優位に利用できて
正当性を主張できる

めくらを嫌う教師は格好の「ターゲット」を手に入れたのである
・・・・・・・・・・・・

   

幼稚園に通い始めた初日から大変な事態になった
初日(入園式の翌日)だから園内をグルッと案内される
一般人と行動をともにするのは大変だ
ただただ人の後を追うだけで精一杯だった
足元以外何も見ていない、聞く余裕もない

玄関とすぐとなりの自分の組の部屋しかわからない

トイレに行きたくなった
どこかわからない
人に聞くことには抵抗がないから先生に聞く

人に物を尋ねるときははきはきと
両親から教わったとおりに
明るく 元気よく

「お便所はどこですか」
「さっき行ったでしょう。あっち」
「・・・あっち?」

もう先生はいない
言われたほうに行ってみる
どこも 来るな 近寄るな といっているようだ
足が進まない

戻ってもう一度聞く

「お便所・・
「さっき教えたでしょう あっちにあります」

ない
ない
ない

もう一度聞く
「あっちです 行ってみたの」

もう限界だった

おもらしをしたと 早帰りさせられた
それが3日続いた。

かんかんに怒った先生は5日目の朝
登園と同時に私をつかんでトイレへ連れて行く
「ここがお便所です。一番最初に教えたでしょう」
みんなちゃんと覚えたのにどうして覚えないの
3歳の子だっておもらしなんかしないです」

「だって お便所がどこにあるかわからないから」
「めくらはバカなんだから」

入園5日目にしてやっとトイレの場所がわかった
ついでに めくらに加えバカ という称号もついた

幼稚園 1 めくらってなあに

いじめというものは人間(だけでないかもしれない)
誰しもそれなりにする行いであって
節度を心得れば、仕方のないことであると思う。
問題はその節度であって、
教師・医師など、先生といわれる人たちは特に、
優位な立場を利用して「いじめ行為」を楽しむべきではない

・・・・・・・・

姉が先に小学校に行ってしまったので
父がわたしの監視役になった
病気療養中の父だから 負担だったのだろう
幼稚園に入ることになった

教会付属の幼稚園で、学区の小学校の向かい側にある
始まりが遅いので姉とは一緒に通えない

入園式は父に手をひかれて門を入った
きょろきょろと周りを見ると
左手に白い背の高い建物がある
てっぺんに十字架があるなんて知ったのは
大人になってからだろうか
教会の建物のてっぺんには必ず十字架があると知るまでは
「見る」という行いすらしないものだ

その入り口のほうには行かず 薄暗いところに向かった

「めくらが来た・・・」
いっせいに道が開く
遠巻きに子供等がはやしながら見ている中、玄関に向かった

「めくらってなに?」
父は答えない
「みんなめくらって言ってるよ」
父は何も言わない
その後もこの質問には口がなくなる

入園式が無事済んで翌日から通うことになった
延々と続く先生による生徒いじめの幕開けだ

たくましくもなるさ
とはいえ 傷も深い
性格だって ・・・

なぜ 先生たるもの、可能性を見出そうとしないのか
共に喜びあえる道を なぜ避ける
自分の目の前から消えてほしいといじめぬくより
明るい明日を探したほうが よほど気持ちいいだろう
人はなぜ そのことに気がつかないの

・・・・・・・・・・・・・

メクラ で変換しても 盲 の字が出てこない
多少不便だ
私は 盲=めくら という単語に違和感がない
視覚障害者 など 字数も多い
点字にしたら11マス使うし
漢字では四字多い
画数にしたら? 数えるのが面倒だ

言葉を変えたくらいでいじめがなくなるわけがない
いじめは表を繕えば繕うほど手が込んでくる気がする
考えられないようないじめ方をされる
言葉などでごまかせるほど 単純な物事ではない

 

お家の恥姫と理想の檻姫の反乱 

生まれ持った運命

 

実人生は悔いしかないけど 夢の向こうだけでも我を捨てない

その思いを載せて書いたブログタイトルが

「星の歌に夢を乗せて」

思いを書いて☆は輝く・・・

いつかきっと・・・

 

そう思えたことがむなしいくらい

諦めが上回る

 

お家にとって

見た目の悪さは罪なのだろう

父は☆を認めてはくれない

生まれた事が「☆の」罪なのだから父は悪くない ということだろう

たぶん母はそうとう攻められたのであろうね そこかしこで感じた

母は優しい人だったけれども☆が荷物であったことは伝わった

それでも 二人は教師であるし非常識ではない人たちだった

対等に扱う姿勢はいつもあったし

なんとかしようとそれぞれに頑張ったのだと思う

それがわかっているから恨みはない

ほんとうに・・・☆は・・・いい子なんだよねぇ

でも 兄弟格差は能力に応じて、とか

それでも・・・ ☆は・・・兄弟が好きなんだよねぇ

 

二十歳過ぎに母が声をかけてきた

東京の大手会社が障害者枠で社員を募集してるから受けてみたら

東京か、独り立ちすれば輝けるかも♪ 

見事大手会社に入社した

障害者の道を開く、なんて大きな夢を持って頑張った

会社も大いに応援してくれた いい会社だった

そんなの夢も仙人に狩りとられ

あっけなく終わってしまった

 

 

仙人ののためだけにに生きることを強要され

誰にも自分のことも家族のこともあまり語れなかった

 

だから 思い出が劣化しないまま今に至る

思い出は暴走気味かもしれない

だって 今に至ってもなお悔しい

「私は何のために生まれて

何のために生きてきたのか

 

何時だったか母が言った

あなたの人生人と違うから自伝を書くといい

笑いながら思いつきで言ったのだろう

 

母はいいタイミングで道を開いてくれる

うん、お母さん好きだよ♪

 

 

そうだな

苦しみも 悲しみも 悔しさも

喜びも 感動も

子供らにも伝えられなかったから

書いてみようか

 

やって見たらたのしい

 

のブログに載せたらアクセス数が一日3桁からたまに4桁になった

のブログ終了後グーブログでもコメントが届いたりした

それはそれで楽しいけれど

自分勝手に何かしたいと欲がでた

 

・・・・ざまあ・・・・したい

 

息子がホームページを作ってくれた

自伝とゲームと諸々と

 

 

遠慮せず

公ブログに載せにくい事も

書いちゃおう

 

 

読まれたら「ざまあ」か「地雷」かは未知である

開き直って

前向いて

ちょっと舌を出して

笑っちゃおう 

 

 

さあ

いま始まる

☆の遅い

反 抗 期

 

 

 

 

 

「ほし=☆」が生まれた家 2

 

  父が跡取りに入った家の先代  母から聞いた話

子供がいない一台限りの跡継ぎ、財産地位を守る、と言う条件で一時入った人は責任がないことをいいことに、いろいろやってくれた。

貴重な物品を売り払い、親戚を呼んで土地を半分分け与えた。一度火事もだしたらしい。

 

☆の両親は市内の学校の教師になってこの家にはいった。

先代と先代から土地をもらって住み着いた先代の奥方の親戚たちは☆の父が若くて反論できないのを良いことに給料を給料日に袋ごと要求した。現金支給だから根こそぎである。

そのために母の給料だけで生活したという。

切り詰めて生活すると「まだ残っているはず」といくらでも要求する。☆の父は要求されるままに差し出し、母ともめることになる。

それだけではなく☆の出産のために貯金したお産費用も要求したために、とうとう堪忍袋の緒が切れたそうだ。

父の母親の実家の分家たち=「長女の息子を跡取りに」と決めた親戚=に「家」を放棄し東京に帰りたい」と訴えたことで権威ある分家たちが動き、給料を根こそぎ取られることはなくなった。

その後先代が亡くなり、☆の小学校入学式の日に先代の伴侶も亡くなった。

☆は先代のことは全く覚えていない。

「ほし=☆」が生まれた家 1

1、前書き 母から聞いた話

☆の家と父 

 

☆の家は先々代に男子がおらず、一時子供がいない親戚が入った。

☆の父は先々代の長女の息子である。

 

☆の父の家は上に女子2人、下に男子6人系8人の子供がいた。今なら大家族だ。

上の二人の女子はオーソドックスではあるがクリスチャン的な名前をつけられ、五男六男の育て親になる。

長男は家の跡継ぎ、次男は長男が死んだときの予備。

この二人は名字との相性がいいように名付けられた。

三男は母の家の跡継ぎ、四男は三男の予備。

この二人は母親の旧性にあわせて名付けられた。

五男六男は不本意に生まれた一卵性の双子で名前すらつけられず番号である。

五男はさほど気にしていないようであったが、六男は生まれの不公平を大人になっても嘆いていた。

 

父の家はプロテスタントのクリスチャンで全員洗礼を受けている。

次男三男が戦争で亡くなり、長男と四男がそれぞれ予定された家を継いだ。

長男は大変熱心なクリスチャンで伴侶は牧師の娘である。

ユネスコなどの活動に大いに貢献した。

次女はオルガンを弾き、子供が巣立った後50才で教会のパイプオルガンの奏者試験を受け、正式なオルガニストとして日曜学校で弾いた。☆と交流がある

☆の父親は、ド田舎の中学校ではあるがダントツトップで4年で卒業、夢を追って東京へ出た。

夢は国を動かす政治家。目指すは一橋大学。

長男の家で一年間勉強するも一橋大学に入れなかった。

生活のために給料が貰えて勉強できる東京第一師範に入り、教師になった。

 

東京の中学で教師デビュー。戦後すぐなのですべての教科を担当。国語が専門だが体育も音楽も教えた。

合唱コンクールにも出たそうだ。

その中学で☆の母と出会い、結婚、23才で母親の実家を次ぐために盛岡市に移った。

政治への熱は冷めることなく、東京にいる間に著名な政治家と友好関係を築いていたが家を継いだ後まもなく結核にかかり長い療養生活を余儀なくされ、生涯政治家になることはなかった。

☆は結核療養中の子供である。

 

☆の父は「お家」を背負ったためか汚点が大嫌いだ。

父に取って最大の汚点は☆の誕生なのだ、と☆は思う。

 

「お家」に障害者はふさわしくない

ことごとく☆の存在を嫌った。

ただ、教師であり、聖人君主の教育を受け、人には公平でなければならず、☆を嫌うという差別意識が悪であり、

それがまた、やりきれないことであったにちがいない。

どうしようもなく目に入る☆を嫌った

もっと違う目で☆を観てくれたら、☆の人生はこんなにも歪まなかったろうに。

 

人とは哀れである