自転車 5 やくそくの重さ

約束とは双方が責任を持つことだ

・・・・・・・・・・・・・・・

 

ドーン!

ガチャnn!

私は補助輪で転ぶことはない ぶつかるだけだ

 

もうひとつ問題は、ブレーキをかけるひまがない

障害物を確認したら1秒後には

ドーン。

 

父が小さな自転車を選んだ理由がそこにあった。

さすが父親 よくわかっていらっしゃる。

足が地面につく高さなら 

ブレーキより足のほうが速い。

 

すぐに上手くなって補助輪を外すと

少し離れた舗装道路をかなりの早朝に走った。

 

それで満足しているうちは平和なものだ。

平和というものはいつの時代もガマン強さが必要であって

憧れに突進する☆には 耐えがたくなってくる

 

道路に誰もいない

よーし 大丈夫

 

大丈夫という言葉は 決して 信用しないほうがいい

こと自転車においては絶対確定危険語だ

 

学校から帰ってから自転車に乗るようになった

父は何も言わない。

 

純粋な心の自転車乗りは

毎日毎日 自転車が我が人生だ。

早朝も、放課後も 自転車しか心にない

 

今日も快適

・・・

いきなりハンドルを抑えられて

「ちゃんと前を見てないと危ないよ」

バイクのおじさんが突進してくる私を先に止まってまっていた。

「ごめんなさい」と言ったかな 覚えていない

運悪く何かにつけて「目が悪いんだから・ガミガミ」と

いちゃもんをつける大嫌いなオバサンの家の前だった。

「見られてないといいな」

こういうのを「嫌な予感」という」

 

前を見ていなかったわけじゃない

道路しか見てなかっただけ

そもそも ぶつかっていないし怪我もしていない。

普通なら間違いなく ハイ で一切が終わる。

 

嫌な予感ほど記憶に焼きつく、的中率も抜群アップ

夜になって ご近所オバサン連が抗議に来た

「めくらに自転車与えるなんて 非常識だ」

「ぶつけたほうが迷惑だ」などなど

散々好き勝手なことを言って帰っていった。

確かに「ぶつけたほう」と言った

「ぶつけるのは私のほうだから おかしい」

そういうのを屁理屈という?らしい

そうォ、負け惜しみとも言う 

 

そんな小言はもう日常的に慣れになれている

翌朝も当然早起きで 自転車に向かう

 

ない ない どこにも・ない

 

「約束を破ったからだ」

あたりまえのごとく父が言う。

 

返す言葉は ない。

 

・・・・・・・・・・

何年も経ってから知った

私に自転車を与えるにあたって

両親は私が死ぬことを覚悟したという。

私が自転車を持ち出すと 

救急車の音が鳴るたびドキッとした。

昼間も乗るようになると 

教員をしている母は、授業中にサイレンが聞こえるたびに

心配で心配でたまらなかった そうだ。

 

当時は心配している様子など全くなかった

 

もしも死んでいたら

死ねばまだいい 重度障害になっていたら 

両親はどれほどの後悔をしたのだろう

 

なんと勇気のある親だろう 尊敬する

少々父のやり方には思うことはあるが

 

いつのまにか三輪車もなくなっていた

父の条件を守らなかった☆はあきらめが良いのだ

父の命令は絶対である

そこらに散らばっている誰かの自転車に乗ろう、なんて思いついたこともない

 

大人の自転車、足つかないし・・

 

 

自転車 4 ☆の自転車と新しい景色

補助輪の事故?事件?から姉は私を後ろに乗せなくなった。

 

☆は三車車を飛ばし続ける

 

ワー!!!!

私の自転車が来た。

突然父が自転車をくれた。

自転車屋さんに 中古の小さな自転車が入った とかで

買って来てくれたらしい。

 

奇跡だ!

父がくれたプレゼントでこんなに驚いたものはほかにない

 

視力のない私に自転車

当時だって非常識だったろう

兄弟平等の思想というのは 奇跡だって起こすらしい

めくらに自転車 断じてありえない

すごいことだ 

 

父の条件

 

  朝早い時間しか乗らないこと

  破ったら取り上げる。

 

もちろんどんな条件だってかまわない

なんてったって憧れの自転車だ 

 

悪魔から天使になった補助輪を貰い受けて

超早起きになった

 

もともと運動神経は悪いとは思わない

が、人と違う学習が必要なのが難点

最大の弱点は距離感

自転車に乗った位置からの もろもろの距離

歩いて10歩がひとこぎで通り越してしまう

 

十字路が近いからブレーキをかける

これは普通の人のやること

☆は違う

十字路の手前で止まるためには

・・どこの家のどの区切り・・でブレーキをかける

知らない道路での応用力ゼロだ

 

 

十字路の東西に伸びた道路が

光の筋になって浮かび上がっている

気がついたら光を求めて前を見ていた

道路脇の家を見ずに自転車をこいだ

 

早起きは3文のトクというが 

早起きは 新世界の門 だった

 

足の距離からの脱却 

視覚で距離を測った

 

視野を足元から前方に広げたら

世界はぐんと広くなる

 

見える世界から見る世界へ

朝日の帯を距離の目安にした時が

自分の意志で 見る世界 へ踏み出した記念すべき瞬間だ

見える と 見る の違いを知った瞬間でもある

めげない☆は光の中で輝くことしか考えない

 

 

自転車 3 世の中で一番信用ならない単語 「大丈夫」

大丈夫という言葉ほど

いいかげんで信用ならない言葉はない

・・・・・・・・・・・・・

   それでも

 

私が小学校3年のころ

姉は自転車を買ってもらった。

 

そのころ私は三輪車で走り回っていた

えっ? 小学3年で三輪車?

と疑問に思って正解。

 

自転車をひっくり返してから

自転車で遊ぶことを親は好まい

なにしろ無鉄砲だから

それに後輪を回しつづけるのにもさすがに飽きた

三輪車は家にある

 

ちゃんと乗ってこいで遊んだ。

 

3年にもなるとそれがとてもしんどい。

それでもがんばって乗ってこいだ。

だって・それが自転車と同じだから

 

そのうち、こぐとひざが頭に届くようになり

限界と言うものを感じざるをえない

 

今度はハンドルを握り後ろに足をかけて

ケンケンの要領で走った。

スケボーにハンドルがついた感じ

これはすばらしい。

助走すると猛スピードで飛んでるようだ。

けった足を後ろに伸ばして風を切る

風で髪が後ろへなびく

もちろん その時代だ、スカートだよ 問題ない

オオ なんと気持ちよい!

 

そんなころ姉が自転車を買ってもらった。

もちろん ☆は三輪車で追いかける

姉は少し乗れるようになると私を乗せて走りたがった。

 

大きな自転車に乗りたい

大きな自転車は☆の夢

大喜びで後ろに乗る

 

自転車はしずかに走り出す

何もしなくてもまわりの景色が

後ろへ、後ろへ・・・

すばらしい

 

景色が グラっと大きく回ったと認識したころには

地面の上 

自転車とともに転がった。

 

姉は? いない。

危なくなると姉は逃げる。

自転車をほうって自分だけ飛び降りて逃げる

運転手のいない自転車は 想像通りの動きをする。

 

「今度は大丈夫」

「もう上手くなったから大丈夫」

「一人で逃げたらいけないって言われたから大丈夫」

 

何度姉抜き自転車と運命を共にしたことか、

とうとう親は補助輪を買った。

 

「ほら、これがついたから 絶対転ばないから 大丈夫」

 

補助輪は溝に落ち

姉は今まで通り逃げ

私はそれまで以上の怪我をした。 

 

それでも自転車はすばらしい

自転車 1 タイヤは回る

父は自転車を引っ張って☆をつれて歩いた

速いのである

☆は送れまいと飛ぶように走った

送れると怖いのだ

疲れて動けない☆を載せて走ってくれる

もっと速いのである

風を切り と言っても父の後ろにひっついていないと落ちる

しっかり捕まっていても首は動くのだ

高くて速くて楽しい

自転車とは実に不思議な乗り物だ。

のれるようになっても なお 

理屈を聞かされても なお 

不思議な乗り物であることに変わりはない

自転車ってどうして倒れずに走るのだろう

かなり幼いころから不思議でならなかった

止まっている自転車は支えがないと倒れる。

それなのに人が乗ると倒れないで走る。

歩くときは手で支えて押していく。

 

道路を走る自転車を見るのがすきだった。

ほとんど視力がないのだから

こいでいることも見えていたかどうか怪しいものだ。

父の背中でもこいでいるとは思ってもいない

だって幼い頃の記憶では 自転車とは すーっと通り過ぎるモノだった

 

 

不思議な乗り物 自転車が目の前にやってきた。

父は前から乗っているのだから 置き場所を変えただけ名はずなはず

でなければ時間軸が逢わない ま、その辺はどうでも良い

玄関を作り替えたら自転車が現れた

「盗まれないように」 いつも玄関の中に置いてある。

盗まれないように 玄関の方を「自転車が入る大きさ」に

直したのかもしれない

重要なのは 自転車が☆の視界の中にやってきたことだ

 

なんにでも顔を突っ込む、手も突っ込む私は

早速自転車のとりこだ

いまだに10本指がそろっていることから察するに

車輪に手を入れないようにきつく言われていたに違いない。

 

ひまさえあれば ペダルを手で回し 後輪が回るのを楽しんだ。

私を探すなら玄関に行けばよい。

それほど あきもせず ペダルをまわしつづけた。

どういうわけか前輪はびくともしない

 

ガンガンまわしてパッと放す

後輪は勢いよく回り続ける

音が、またいい 聞いているだけでうれしい

どんなに頑張っても やはり前輪は動かない

 

乗れない! これも至極当然で 背丈が足りない

      小さいから乗れない と信じていた

 

それでも乗りたい!! そうだろう そうだろう

 

思い切って ペダルに全体重をかけて

 

自転車の下敷きになった

 

どういうわけか丈夫にできていて

さほどの怪我もなく這い出して ふと見る 

 

前輪が回ってる???? 

倒すと前輪が回るんだ!

 

もう鬼のくびを取ったほど感激で

そのあとの おろかな行為につき物の

小言など聞く耳も 反省する心も 走り去っていった。

 

医大 理不尽と生きる知恵 16

 

第15話 病気を知る

医大に入院した体験は 精神的発達にも

感覚の発達にも大きな影響があった

 

等間隔の階段を目ではなく頭で駆け抜ける方法を知った

常に周りを観察し行動パターンを知ることで 

姿を消したり現れたりするタイミングを逃さない

つかまったら言うことを聞いたほうが解放が早い

自信を持って堂々と行動すること

などなど

こんなこと、入院して覚えることじゃないだろう

 

おとなになってから この体験をまともに生かせたと思う

 

病気を持った子どもの教育の重要さ 

お医者さんの姿勢 あり方 など 

医療や教育について考えるようになった

 

斜視の訓練は記憶では二回しかしていない

虻先生は私が逃げるからできないというけれど

私が上手く逃げるというよりは 

それをいいことに 先生がやめてしまったのだと思う

ほんとうに重要なときはちゃんとつかまっていたし

私が行くところなど本気を出せばわかるだろう

医大は最初から する価値のない手術であり

意味のない訓練であることを知っていたのではないか

専門医でない、しかも子ども嫌いの医者が担当し、

野放しであそばせていた

 

どの医療機関でも治せないと診断した斜視を

「我々なら治せる」と本気で思ったとしたら

斜視専門の医者が担当するのが自然であろう

 

最初の手術でも これから起こることの説明や

出来れば予行演習をし、メスと注射と差が無いと吹き込み

きちっと立ち向かわせ 

泣き出しそうになったらおなかをさすって励ます、とか

楽しいことを言って 頑張らせる とか

涙が出ても暴れなければ 先生うまくやるからね、とか

全身麻酔でなくても 我慢させる 頑張らせる 方法は

絶対にあったはずだ

信頼はあめ玉では得られないし

あめ玉は あめ玉の価値しかないことを知るべきである

 

・・・・・・・・・・・・・・・・

娘は白内障にとどまらず緑内障まで併発してしまった

8歳のとき入院した東京慈恵医大の小児病等では

6・7・8歳の子が毎日

自分がかかっている病気のビデオをみて勉強していた

 

毎日インスリンを打たなければどうなるか

腎臓が悪いとどうなるか

病気を知り 治療法を学ぶ

死に向かう道しかない子どもに対しても

激しく揺れ動く心の動揺に

今生きることの意味を看護婦さんが根気よく話し元気付けていた

聞いているだけで深い感銘を受ける

病気を知ることは一見かわいそうに思えるが 

髪の毛が抜け落ちてしまった現実がある

毎日注射される現実から逃れられない

自分の病気を理解することが

自分自身で病気と闘う心を育てる

娘の面会に行きながら 

生きることの尊さを改めて学んだ

きちっと指導するこの病院はすばらしいと思った

・・・・・・・・・・・・・・・・・

小学校のじゅん子ちゃんは 

自分の病気を知っていたから、病気と戦えた

だから いつまでも心に残り 生きてほしかった
    〈命=じゅん子ちゃん〉
私は自分の病気を「先天性白内障」と教えられていた

間違いはないが、斜視を伴っているとは知らずに育った

眼球しんとうなるものも知らなかった

他の人が見えないから目が悪い自覚もない

斜視は「ものが二重に見える病気」で私は二重には見えない

自分で鏡を見ると 使っている左眼が正面を向くわけだし、

視力がないから2センチまで近づいて見るわけで

当然右目のあたりは見えてない・・・無いに等しい

具体的に教えてもらわないと

第三者からの見た目を知ることができないし

見た目で判断されて告げられると安易に信じてしまう

 

自分の斜視を自覚したのは高校に入ってからだ

山形盲学校には全国に先駆けて斜視学級をおいた

小学1年生を中心に東北大学で手術し

盲学校で訓練をするというクラス

そのクラスの生徒と私の斜視がほぼ同じ程度だと聞かされ 

初めて斜視というものを見た

ひどいものだ

かためは白目に見える

 

「ああ、こうだからいじめられたのか」

いじめられた原因は白内障ではない

そこから生まれた「おまけの斜視」だった

十分納得できた

 

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 15

第14話 ケーキが二つ

医大には白内障の手術と思い込んでいたから

別な病室に同い年の斜視の子が入院してきても

「私は白内障」と言い切っていた

その子の担当は斜視が専門の渥美先生

なぜか担当じゃない先生の名前は覚えている

のちのちラジオの眼科相談や、福祉センターの眼科医など

福祉関係に力を入れた先生でだが

なぜかいっぺんで覚えて忘れなかった

 

渥美先生はいつもニコニコ

たまには☆にも声を掛けてくれた

なぜ、自分の担当がこの先生じゃないのか、と

当時でも とても残念に思った

 

その斜視の子の頭文字はT

☆;斜視ってどんな病気?

T;よく見ようとすると何でも二つに見えるの

☆;お菓子もふたつあるの?

T;二つに見えるよ さわると一つしかないんだけどね

 どっちにしようと顔を動かすと一つになったりするよ

ものすごく面白い病気だ

物が二つに見えることを想像して楽しんだ

 

美味しそうなケーキが二つあって 

大きいほうをとろうとすると消えてしまう

夢にまで見てしまった

 

ポケットをたたくとビスケットが二つ

なんて歌を歌うと 斜視の歌も作れそうだと思ってニヤリ

 

自分は白内障でそんな病気じゃないから

二つに見えるなんてことはない

そんなことを病室で話しているのだから

コッケイだったに違いない

 

よく考えると 考えなくても 私も斜視だ

ものが二つに見えても良いじゃないか

当時すでに「ものを見るための右目」はもっていなかった

斜死目 と言ったところかな

 

右目を意識して使うことを覚えなかった入院生活は

両親から見れば何の成果もなく終わった。

担当医から見たらどうだったんだろう

知りたいものだ

 

☆のことだ

がんばるとケーキが二つに見えるぞ

くらいでコロッと引っかかって 

右目を使う訓練をたっぷりしたかもしれない

なにしろ 目標が定まると

それがろくでもないことでも まっしぐらだ

少少あきらめもはやい気もするが

 

医大 理不尽と生きる知恵 14

第13話 両眼を使え

手術は滞りなく終わったようで行動規制がどんどんなくなった

 

これまで斜視の手術と書いてきて、実際そうなのだけれども

白内障をよくする手術、とだけ聞いていた

大人にしてみればそれで十分と思ったのだろう

手術に違いがあるじゃなし

すんでしまえばみな同じ

ドンチャン チャチャチャ チャッチャ・・・

 

手術からずいぶん経ったある日

逃げないように先生はずいぶん早く来て診察室へ

先日の握力を測った部屋で 椅子に座る

ちょっと見せて、といって、いきなりグイ

抜糸だと後から聞いた

☆;いたい

虻;こんなの痛くないだろう

☆;いたい

虻;手術より痛くないだろう

☆;手術は寝てたから痛くなかった

虻;口の減らないヤツだ

それで解放

 

最初の手術の前に 

手術は痛くも何ともない と言った

この発言はおかしいと 後から思った

言い返すなら相手の記憶に新しいうちがいい

だから そのことでは言い返していない

蒸し返しているのは蛇の方だ

 

その日、

まさか午後もくるとは思わなかったから6階で遊んでした

虻;☆ちゃんこっちに来て

☆;えっ、? しぶしぶついてい

午前中と同じ部屋に行き、同じ椅子に座るが向きが違う

目の前には黒いものがあった

のぞき窓が二つの望遠鏡のようにも見える

悲しいかな、珍しいものには目がない

虻;のぞいてみて

なにやら赤いものが見える

虻;右で見て

☆の目は右目がそっぽを向いている

それを治したのか 治らなかったのか

右で見ると左では見えない

虻;左で見て 赤いのが見えるか

☆;見える

かなり面白い。動く赤いものを追いかける

虻;今度は両目で見て

☆;??・・・??

虻;両方の目をつかうんだ

☆;??」 

何を言っているのかわからない

虻;左で見えるだろう

☆;うん 赤いのがはっきり見える

虻;右でも見えるだろう

☆;うん 右で見るのはたいへんだけど、見える

虻;両方使って見えるか

☆;・・・????  これがわからない。

生まれてからの記憶では一度も 

両方の目で 同じものを 同時に見たことがない

見る=両眼視 という観念は それを知っている人のものだ

両眼で見ると言う動作その物が理解できない

 

雲行きが怪しくなってきた

虻;物って言うのは両方の目を使ってみるものなんだ

チンプンカンプン ボケッ

虻;両方の目を使え

☆は戸惑う 

虻;手術したんだからできるだろう

手術の後 変化など全く感じていない

左で見れば右は見えない

右を無理に使えば左は見えない

ごくごくあたりまえのことで

両方使えって言われても こまる

虻;できないわけないだろう

なにをしたら良いのか、

どう筋肉を動かせば良いのか 

どう努力したら何が起こるのか

 

それ以前に 斜視という自覚がない

人間の目は両眼とも同じ方向を向いているものだ、 

とすら思っていない

自分だけ目つきが悪いなんて考える&感じる余地もない

自覚のないものをどうこう言われても 理解できない

訓練する意味も必要性も何も とにかくわからない

 

虻;しょうがないな 今日はいい

何がなんだかわからないまま終了

このときは 落ち込んでしまった (ちょっとだけ)

 

面白くもない

翌日は昼食終了と同時に逃げ出した

先生は昨日と同じ時間に来て空振り

ところが夕飯の食器の音と同時に現れたところを狙ってきた

これはどうしようもない

 

昨日と同じ 怒鳴る声が増えただけだ

意味のわからないことを何度言われてもどうしようもない

これは抵抗しているわけではない

わからないのだ

ほかのことと違う

ゲームみたいなのを覗き込むことがいやなわけがない

ただ 反抗もしていないのにやたら叱られる

 

虻;まえは何をやらせてもダメだ

  言うことを聞かない

  両方の目を使え

  どうしようもないヤツだ

   だめなヤツだ

 

極力逃げることにしよう

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 13

第12話 中身がないエレベーター

入院中は本当に良く遊んだ。

何しろ一日中ひまなのだから当然ではある

裏階段は運動場でわたしの占有領域だった

ただ、いつもそこにいると飽きるし見つかってしまう

五階のおじさんの所だって入り浸るわけには行かない

あっちこっち見て歩いた

 

病院の魅力のひとつがエレベーター

用もないのに乗ることを許されていない

階段の運動とは別にこれはこれで興味がある

飽きるほど乗って上がり下がりをしたい

どうなっているかも見てみたい

 

ある日エレベーターのドアが開いていた

へんだ

ドアが開いているのに中身がない

好奇心に火がついた

絶好の機会である

逃したら二度とない

そーっと エレベーターに近寄る

空っぽだ

さすがに怖いから 数歩前で腹ばいになり

ハイハイで空っぽのエレベーターへ

覗き込む

 

奈落の底 と言うのはこういうのだろうか

底が見えない 

ずっと下のほうに一ヶ所明るい光が差している

1階かな それとも地下かな

今度は首を回して上を見る

上も真っ暗だな

 

看護婦;なにやってるの

悲鳴が聞こえた

甲高く叫ぶだけでこっちに来ない

きっと怖いんだ

 

看護婦;こっちに来なさい

はったまま下がり すっと立って従う

この行為は叱られても仕方がない

 

エレベーターには近づかない約束をさせられた

虻先生じゃないし

悪いこととは十分承知しているので素直に約束した

それ以降ドアが開いているのに中身がないことはなかったし

エレベーターにも一人で近づかなかった

 

もう十分見てしまって用がないし ね

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 12

第11話 4号室

病院とは面白いところだ

 

眼科は動ける人が多いのでよくお洗濯をしている

洗濯場のガラスにはお札が張り付いている

今日も紙幣がペッタンコ

紙幣は洗ってしまっても破けないから助かるといって

ガラスに貼り付けて乾かす

乾くとおちるので拾って、またポケットin

当時は「こそどろ」なんていないらしい

自分のブンだけ回収する

ガラスに紙幣が3枚も4枚もくっついている景色は

ふふふーm いい眺め

お洗濯日和にはガラスに張り付いた紙幣をながめに行った

 

入院してすぐの頃 こんな事もあった

 

病院の不思議というか ??に出会った

わたしの部屋は何号室か忘れたけれども

入院初期のころ端から数えて入ったら別な部屋だった

もう一度数えてもやはり自分の部屋にはいけない

どんなに丁寧に数えても行き過ぎてしまう

誰か;病院には4号室がないんだよ

   4はシと読むでしょう 

   死号室じゃ入りたくないからね

もうビックリで面白くて不思議に思った

4は死を連想させるから病院では4号室がない

☆;(じゃ4階もない)

  4号室がダメなら4階もないだろう

  だからここは6階だけどほんとうは5階に違いない

さっそく表階段を一階まで降りて

ゆっくり確認しながら上がってみた

4階は存在する

合点が行かなかい

今でも行かない 

4が縁起が悪いなら

4階を病室じゃなくて集中検査室か何かにすればいいのに

4号室も当直室とかにして 数の混乱は避けたほうがいい

と考えたりする

そういえば4階は「シカイ」とは言わないっけ

合理不合理 迷信と現実 理解と妥協

 

世の中そんなものだとは 今は理解している。

 

医大 理不尽と生きる知恵 11

第10話 死体を求めて

姉は・天才だ

「2月30日」のように 

奇抜で 大人が想像しないようなことを思いつく

私にはとうていそんなセンスはない

のせられる☆は 言いようがない◎!◎ と自覚するのだが

尊敬している姉を懲りずに信じてしまうのである

ちなみに 姉は3才年上である

3才しか年上でない とも言う

 

姉は時々お見舞いにきてくれた

ある時 一緒に一階に下りた

姉は外に行こうとする 私は禁止されている

それに寝巻きにスリッパだ

 

姉;大丈夫だから 

  ちょっと外に出るだけで

  遠くに行くわけじゃないから

少々おどおどしていたら

姉;堂々としていれば何も言われないよ

大きな出入り口の真中を姉が行く

☆;そういうものなのか

そこで堂々と、パジャマとスリッパのままついていった

 

姉と病棟のすぐ外を少し歩いた

姉;ほら、あそこのね 

病棟の地下室を指差す

☆;うん、

  手術室のあるところ

姉;あそこの4番目の窓 わかる

☆;4番目?

姉;そう、ほとんどもぐってて 窓が少しある部屋

☆;うん、わかるよ

姉;あそこはね、解剖室でね

☆;解剖室?

姉;そう。解剖室

☆;何をするの

姉;死体を切って人間の身体がどうなってるか見るところ

☆;へえ

姉;だから死体が置いてあって

☆;たくさんあるの?

姉;ズラーっとならんでる

☆;見たい

姉;あの部屋は見えないようになってる

☆;そうか

 
姉と楽しい時間を過ごして部屋に帰った
 
あきらめられるわけがない

みたい 絶対みたい

 

日を改めて 堂々とパジャマのまま、

スリッパのまま、一人で外に出た

とがめる人はいない

 

姉と話した場所に行って地形を確かめる

そばにも近寄れそうもない

表通りも寝巻きとスリッパで堂々と歩いて

ぐるっと病院を回り 別な方角から 建物に近づいた

ここなら見えるかもしれない

 

建物の周りは変わった地形と建て方で

簡単には地下室はのぞけない

建物にそった細いコンクリの突起を眺めて

 

「いけるだろうか・・」

建物に引っ付きスリッパを脱いで 

一歩  「やばいかな」

一歩  「チットむりかな」

ルパンやラピュタの世界だ

そのころはそんなものは知らないけれど

 

早々(数歩)にあきらめて 戻ろうと思うが

行きより帰りがどうしようもない

膝が曲がると身体が壁から離れてしまう

しかし、戻らないと困る

慎重に 壁にますます引っ付いて

無事戻った 

もしかしたら奇跡かもしれない 

背中を壁につけたほうが動きはいい

でもそれじゃ窓の中はのぞけない

そんなことを学んだ・・・学ばなくていい

 

しかし 解剖室はあきらめられない

なんとしてでも見たい。

「そうだ 中から行こう」

危ない外よりも 中からのほうが楽なはず

手術室のある地下室は行きたくないけど

この際そんなことは言っていられない

 

日を選んで (休日の朝で看護婦さんが忙しい時間) 

地下に下りた

誰もいない

 

さあ 4番目

「一つ・ふたつ・三つ・・・?」

戻る

「一つ・二つ・三つ・・・ない」

4っつ目の部屋がない

4っつ目の窓は手術室の前で広いだけだ

 
だまされた! とやっと気がついた

 
それでもまだあきらめがつかない

なんとしても死体が並んでいる部屋を見たい

もしかしたら手前の部屋かも知れない

一部屋ずつのぞいてみることにした

どの部屋も机があるか 何もないかだ

 

どうしよう 戻ろうか

手術室と別の方向にも廊下があった

こっちかもしれない

 

暗い冷たい廊下に 鉄の扉が並んでいるようだ

そういう雰囲気だけかもしれない

冷たくて重い空気に 寒気を感じる

いくのを断念した

 

何の音も聞こえない地下室は人の行くところではない

もちろん運ばれてくるところでもない

やっぱりいやなところだった

誰にも会うこともなく 知られることもなく

解剖室と死体は あきらめた

 

無事でなりより !