自転車 5 やくそくの重さ

約束とは双方が責任を持つことだ

・・・・・・・・・・・・・・・

 

ドーン!

ガチャnn!

私は補助輪で転ぶことはない ぶつかるだけだ

 

もうひとつ問題は、ブレーキをかけるひまがない

障害物を確認したら1秒後には

ドーン。

 

父が小さな自転車を選んだ理由がそこにあった。

さすが父親 よくわかっていらっしゃる。

足が地面につく高さなら 

ブレーキより足のほうが速い。

 

すぐに上手くなって補助輪を外すと

少し離れた舗装道路をかなりの早朝に走った。

 

それで満足しているうちは平和なものだ。

平和というものはいつの時代もガマン強さが必要であって

憧れに突進する☆には 耐えがたくなってくる

 

道路に誰もいない

よーし 大丈夫

 

大丈夫という言葉は 決して 信用しないほうがいい

こと自転車においては絶対確定危険語だ

 

学校から帰ってから自転車に乗るようになった

父は何も言わない。

 

純粋な心の自転車乗りは

毎日毎日 自転車が我が人生だ。

早朝も、放課後も 自転車しか心にない

 

今日も快適

・・・

いきなりハンドルを抑えられて

「ちゃんと前を見てないと危ないよ」

バイクのおじさんが突進してくる私を先に止まってまっていた。

「ごめんなさい」と言ったかな 覚えていない

運悪く何かにつけて「目が悪いんだから・ガミガミ」と

いちゃもんをつける大嫌いなオバサンの家の前だった。

「見られてないといいな」

こういうのを「嫌な予感」という」

 

前を見ていなかったわけじゃない

道路しか見てなかっただけ

そもそも ぶつかっていないし怪我もしていない。

普通なら間違いなく ハイ で一切が終わる。

 

嫌な予感ほど記憶に焼きつく、的中率も抜群アップ

夜になって ご近所オバサン連が抗議に来た

「めくらに自転車与えるなんて 非常識だ」

「ぶつけたほうが迷惑だ」などなど

散々好き勝手なことを言って帰っていった。

確かに「ぶつけたほう」と言った

「ぶつけるのは私のほうだから おかしい」

そういうのを屁理屈という?らしい

そうォ、負け惜しみとも言う 

 

そんな小言はもう日常的に慣れになれている

翌朝も当然早起きで 自転車に向かう

 

ない ない どこにも・ない

 

「約束を破ったからだ」

あたりまえのごとく父が言う。

 

返す言葉は ない。

 

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何年も経ってから知った

私に自転車を与えるにあたって

両親は私が死ぬことを覚悟したという。

私が自転車を持ち出すと 

救急車の音が鳴るたびドキッとした。

昼間も乗るようになると 

教員をしている母は、授業中にサイレンが聞こえるたびに

心配で心配でたまらなかった そうだ。

 

当時は心配している様子など全くなかった

 

もしも死んでいたら

死ねばまだいい 重度障害になっていたら 

両親はどれほどの後悔をしたのだろう

 

なんと勇気のある親だろう 尊敬する

少々父のやり方には思うことはあるが

 

いつのまにか三輪車もなくなっていた

父の条件を守らなかった☆はあきらめが良いのだ

父の命令は絶対である

そこらに散らばっている誰かの自転車に乗ろう、なんて思いついたこともない

 

大人の自転車、足つかないし・・

 

 

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