医大 理不尽と生きる知恵 16

 

第15話 病気を知る

医大に入院した体験は 精神的発達にも

感覚の発達にも大きな影響があった

 

等間隔の階段を目ではなく頭で駆け抜ける方法を知った

常に周りを観察し行動パターンを知ることで 

姿を消したり現れたりするタイミングを逃さない

つかまったら言うことを聞いたほうが解放が早い

自信を持って堂々と行動すること

などなど

こんなこと、入院して覚えることじゃないだろう

 

おとなになってから この体験をまともに生かせたと思う

 

病気を持った子どもの教育の重要さ 

お医者さんの姿勢 あり方 など 

医療や教育について考えるようになった

 

斜視の訓練は記憶では二回しかしていない

虻先生は私が逃げるからできないというけれど

私が上手く逃げるというよりは 

それをいいことに 先生がやめてしまったのだと思う

ほんとうに重要なときはちゃんとつかまっていたし

私が行くところなど本気を出せばわかるだろう

医大は最初から する価値のない手術であり

意味のない訓練であることを知っていたのではないか

専門医でない、しかも子ども嫌いの医者が担当し、

野放しであそばせていた

 

どの医療機関でも治せないと診断した斜視を

「我々なら治せる」と本気で思ったとしたら

斜視専門の医者が担当するのが自然であろう

 

最初の手術でも これから起こることの説明や

出来れば予行演習をし、メスと注射と差が無いと吹き込み

きちっと立ち向かわせ 

泣き出しそうになったらおなかをさすって励ます、とか

楽しいことを言って 頑張らせる とか

涙が出ても暴れなければ 先生うまくやるからね、とか

全身麻酔でなくても 我慢させる 頑張らせる 方法は

絶対にあったはずだ

信頼はあめ玉では得られないし

あめ玉は あめ玉の価値しかないことを知るべきである

 

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娘は白内障にとどまらず緑内障まで併発してしまった

8歳のとき入院した東京慈恵医大の小児病等では

6・7・8歳の子が毎日

自分がかかっている病気のビデオをみて勉強していた

 

毎日インスリンを打たなければどうなるか

腎臓が悪いとどうなるか

病気を知り 治療法を学ぶ

死に向かう道しかない子どもに対しても

激しく揺れ動く心の動揺に

今生きることの意味を看護婦さんが根気よく話し元気付けていた

聞いているだけで深い感銘を受ける

病気を知ることは一見かわいそうに思えるが 

髪の毛が抜け落ちてしまった現実がある

毎日注射される現実から逃れられない

自分の病気を理解することが

自分自身で病気と闘う心を育てる

娘の面会に行きながら 

生きることの尊さを改めて学んだ

きちっと指導するこの病院はすばらしいと思った

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小学校のじゅん子ちゃんは 

自分の病気を知っていたから、病気と戦えた

だから いつまでも心に残り 生きてほしかった
    〈命=じゅん子ちゃん〉
私は自分の病気を「先天性白内障」と教えられていた

間違いはないが、斜視を伴っているとは知らずに育った

眼球しんとうなるものも知らなかった

他の人が見えないから目が悪い自覚もない

斜視は「ものが二重に見える病気」で私は二重には見えない

自分で鏡を見ると 使っている左眼が正面を向くわけだし、

視力がないから2センチまで近づいて見るわけで

当然右目のあたりは見えてない・・・無いに等しい

具体的に教えてもらわないと

第三者からの見た目を知ることができないし

見た目で判断されて告げられると安易に信じてしまう

 

自分の斜視を自覚したのは高校に入ってからだ

山形盲学校には全国に先駆けて斜視学級をおいた

小学1年生を中心に東北大学で手術し

盲学校で訓練をするというクラス

そのクラスの生徒と私の斜視がほぼ同じ程度だと聞かされ 

初めて斜視というものを見た

ひどいものだ

かためは白目に見える

 

「ああ、こうだからいじめられたのか」

いじめられた原因は白内障ではない

そこから生まれた「おまけの斜視」だった

十分納得できた

 

 

 

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