遠くを視よう

3年の担任は☆が学校にいても邪魔にするわけではない

同級生は1・2年の時にすっかり仲良くなっているから問題なく仲良しで優しい。

冬が来て学校の出席率が多くなるまで外の世界を楽しんだ

 

音楽のある日の授業で、先生はいう

「緑の木を見ると目が良くなる」

そう言って全員で校庭にでて 校庭脇の木の層を眺めた

木はたくさんあった方がいいらしい

家に帰って親に聞くと 目が疲れたら自然を見て疲れを取ることで病気を治すのではない、近視の人には良いけれど☆には効かないらしいと言った

 

でも先生が目が良くなると言ったのだから試すくらいはいいだろう

校庭脇の木々を見てもつまらない

けど、じっと見る

つまらない

じっと見続ける

なにせ時間はたっぷりある

木々は実につまらない

家の裏へ行って田んぼの向かいをじっと見る

ずら~っと家が並んでいる 家だと知っているから家なのである

何日も見続けるとそれぞれの家がわかってくる

まず なが~い一軒ではないことが明確にわかる

ある家の端っこには黄色いモノがある

別の家の真ん中には黒い穴見たいのがある

もっと端っこはおうちが小さい

反対側の端っこはぐちゃぐちゃしてる

真正面のおうちはいつも通り抜けている家だ よく見ると毎度すり抜ける隙間が見える、家の間が明るい

だんだん窓も見えてくる

通り抜けできそうな所を見つけては実際に言ってみる

柵があったり 縁側の真ん前だったり 気がひける状態だ

 

でも、「視て発見すること」はおもしろいし役に立つ

あっちこっちの「遠く」を観察する日々が続いた

 

神社の境内は横板が長い、とか

じゃらじゃらのリボンは何色だ、とか

じゃらじゃらには穴がある とか

八百屋の店先の赤いのは何だろうと リンゴに違いない

気にすることのなかった細かいことで「見ること遊び」をした

黒いあぜ道は田んぼの土でお天気の日はいいけど雨の日はぬるぬるだから気をつけよう

土色のあぜ道はただの土の道

草ボウボウのあぜ道は石や穴ぼこだから良く足下を見て歩こう とか

とんがった屋根は目印になる など

二学期の☆の授業時間は

=結果論で=見える、感じる世界から自ら関わる世界へ進む自主トレだった 

当たり前に無自である 

本人は有り余る時間を好きに使っただけである

汽車の窓から顔を出してはいけないよ

小学5年の時夜汽車に乗って静岡へ行った

 

どこかの駅で暇になる

5才下の弟が一緒で母は弟を視ている

 

待ち合わせだろうか、汽車は動かない

 

ヒマ

外は真っ暗

 

ヒマ

ちょっと窓の外を見る

窓から首を出して見る

遠くにとっても明るい光があった

ものすごく明るくてワクワクする

小さかった光はどんどん大きくなる

まぶしい程の光は

ふーっと見えなくなった

首を引っ込める

刹那? とたん? 

一秒もたたずして 言いようのない音と共に突風に襲われる

 

声も出ない

唖然である

 

間をおいて 納得する

ああ、あの光は隣の線路を走り抜けた汽車の明かりか・・・

母に見られていなかったことに安心する

 

3年の時の吸い込まれる風もすごかった

 

汽車って・・・・接し方で危ないものだと改めて思い知る

 

密かに自分を戒める

 夜は汽車の窓から顔を出すのはやめよう

 

サボりの指導 6 汽車の力

どんどん遠くまで行くようになる

だって 同じ所は危険だし

 

家から給食までの時間に歩けるところは全部歩いた

 

そんなある日線路を見つけた

山田線の単線線路

山田線は一時間に一本くらい

音が聞こえなければ大丈夫

 

大丈夫は危険な言葉なまず

自転車の大丈夫は姉の言葉であって自分で自分に使うのは抵抗がないらしい

 

線路に耳をつけても音がしない

駅からそう遠くないから走ってない

馬鹿なはずの☆はそういうことに頭が働く

線路は続くよ何処までも ラララ・・・

ご機嫌に歩く

 

線路の石はなんで茶色いのかな

線路の板は等間隔で飛び飛び快適だな

 

側溝があって線路が浮いている

「路傍の石」が頭に浮かぶ

おそるおそる踏み出す

下は水、落ちたくない

一点集中で数歩進んだところで

汽車の音

 

考えずに飛んだ

下ではなく 斜め前の草むらに

何とか水に落ちずに草の中に転がれた

とたんに汽車が来る

汽車の下が見えるかな、なんて思ってたらものすごい力で吸い込まれた

その辺の草をにぎり締め

身体全体土にへばりつかせて必死に耐える

浮きそうになると草をもっと強く、足を踏ん張って地面から離れないようにがんばる

汽車が走り去っても起き上がれなかった

 

 

側溝の線路を渡るときは 線路に耳をくっつけて安全を確認してから渡ろう

なんて自分に言い聞かせても

次からは;不安定な;線路の上は避けた

 

克服したいと思わなかった案件である

サボりの指導 5 迷子は焦るものだ

長町からどんどん離れていった

なんせ疲れ知らずの☆ちゃん

お散歩もどんどん早足になる

道は途切れず田んぼも一面見渡す限り

 

空気はこやしのにおいがするからあまりよろしくないけど

 

・・・!!!

・・・???

どこ

 

さっぱりわからない

給食には行かないと叱られる

じっと止まって考えた

 

肥やしのにおいの所まで行けばわかる

鼻をクンクン

クンクン

焦る 焦った気持ち、覚えてる

 

無事に給食に間に合った

 

 

サボりの指導 4 のどかに散歩

長町を卒業すると行くところがないので長町から先へ行ってみた

 

田園地帯が広がって実にのどかで誰もいない(☆の近くには)

のんびりあぜ道を歩く

我が家の裏にある田んぼのあぜ道はシーソーくらいの幅しかなくて良く落ちるのだが そこはもうちょっと広くて何とか歩けた

 

気持ちよい

どこからか肥やしのにおいする

鼻には突くけれどそれほど不快ではない なんだかのどかだ

 

いい気分で散歩していたら太陽は真上にある

一直線に家に帰ってランドセルを縁の下から引っ張り出して学校へ行く

ぎりぎりセーフ

息を切らし汗だくで飛び込んでも先生はなにも言わないい

ほかの生徒もいつも通りだ

サボりの指導 3 ながまち{長町}で等間隔を身体に刻む

ながまち(長町)で等間隔を身体に刻む

 

家の近くに長町というまっすぐでなが~い通りがあった

先が見えないほど(☆には)まっすぐでひたすら長い

道路はコンクリの正方形の板がはめ込まれていてとってもよい

母に言わせると ただのコンクリを並べただけで舗装じゃないのだそうだ

そんなことはちっともかまわない

道路が全部マス目上になっている

しかも白い 美しいのだ

大のお気に入りスポットだった

学校に行かない☆はそこではねる

一マスおきに着地するようにしっかり見てはねる

何しろ何処までも続くのだから真剣にはねる

コレが意外に難しい

ちょっと気をそらしても疲れてきても真ん中に着地できなくて次は外してしまう

マスターするまで☆は諦めないのだ

誰も声をかけてこなかったから相当の日数居座った

 

医大の階段と長町で等間隔マスターである

 

 

 

サボりの指導 2 遊園地はあぶない

学校へ行かなくて良い

学校へ来てほしくない

 

よく理解していないのかわかっているのか

朝ランドセルを背負って元気よく家を出る

学校まで行き一年生の教室の脇から木の陰に行く

以前転んでも誰も助けに来なかったから底なら誰にも見つからないだろう

医大で培った隠れテクニックが生きる

すぐ飽きるのでこっそり学校を出て遊戯のある公園(遊園地)に行き遊びまくった。

ブランコも天まで大ぶり

鉄棒は逆上がりは入学前にできていたけどそこから何回でも回転できるようになった

念願の鉄棒の上に座るのもなんとかなった

ジャングルジムは完璧把握

シーソーは一人では無理

滑り台は階段を使わず簡単に上がれるようになった

雲底は大得意に

 

 

遊園地は午前中の居場所になった

世の中そう甘くない

「こんにちは」

・・・「こんにちは」

「私は指導員というのだけれども、最近ランドセルを背負った女の子が遊びに来ていると聞いてきたんだけどあなたかしら」

・・・(これは関わってはいけない)

逃げた

「待って」と聞こえて待てるか

 

 

翌日から遊園地はさけた

ランドセルもいけないらしい

 

朝家を出てこっそり戻り 縁の下にランドセルを隠して出かけることにした。

毎日外にいると太陽の位置でお昼がわかる 給食に併せて家に帰りランドセルと背負って丁度良く入れるようになった

そろそろ給食かな、と学校へ戻りベルを待って教室へ行く

誰も何も言わないからそのまま席について放課後までいる

それが普通になった

 

 

 

 

克服できなかった遊びが二つある

一つは上り棒

木登りは得意なのに上り棒はちっとも上に行けない

それでもしがみついていた

 

当時は足も使うなんて想像もしなかった 当然上へは行けない

他の人がどうやって上るかを見てるつもりで見えていない

手を持ち替えてる所と身体が上がっていくところしか視なかった

大人になって「未来少年コナン」のアニメを視て 「あぁ、足も使うのか」などと知ってももう上り棒はやらない

独学は限界があると何十回目かの理解にうなずくのである

 

もう一つはシーソーの端から端まで駆け抜ける

男の子が良くやっているのに私は落ちる

ゆっくりでも足を外す

未来永劫未だに板の上は歩けないままである

理由は極簡単で 片眼なのにそのことを品人が知らないから である

顔が横向きなのにも気がついていない

片目が因っているのも意識外

医大で目の状態の説明も受けていないし「タメ」とか言われてもちんぷんかんぷんで ただの悪口だと思っていた

より目じゃないから「タメ」ではないのだけれども状態の認識が全くなかった

片目で細い板の上を歩くのは大変なのだ

これも指導してくれる人がいたらある程度克服できたと思う

高学年では担任にいやと言うほど歩かされて見世物になっていじめられた。

そのためにできない記憶もバッチリなのだ

 

 

 

 

 

 

学校では私が休んでいることにはなっていないのだから捕まったらどうなっていたのだろうか

今にしてみれば疑問たっぷりである

 

 

サボりの指導 1 あなたはお客さん 

3年生 新しい担任

 

小学校入学時の担任は視力が落ちたから(緑内障)とやめてしまった。

通常1=3年・4~6年は同じ担任なはずが3年は別な担任がやってきた。

 

この担任(熊谷先生=男)最初の挨拶で言ってくれた

「星さんはお客さんなので授業は来なくていいですよ」給食から来てね」

「目の悪い人は音楽は良くできるから音楽のある日=週二回=は朝から来るように」

クラスの皆さんも☆さんがいなくても気にしないように」

 

星は学校のお客さんなんだ

って、なぜに☆はすんなり理解するのか

未だ(72才)に理解不能であるが、そのときは学校に来なくていい、毎日遊べる、とそりゃ、喜んだ。

担任は個別に呼び出して

給食には必ず来ること

朝はランドセルを背負って今まで通り家を出ること

親には内緒にすること

音楽はきっちり勉強すること

などなど注意は怠らない。

この時点で☆をバカだとは思っていないのだろう ただ、☆がいては面倒なのだ

星、小学3年生8才で新世界「自由」を取得?した

ってか この担任なに考えてんだろう

幼稚園の担任も最悪だったけど

この熊谷先生もド外れ相当だ 

ただ、☆の行動力はこの時期に育っている。後々盲学校に入ったときにこの時期が有益だったと知った。

熊谷先生は学校教員としては評価ゼロでも☆との出会いに関しては良かったと思う。

盲ちょっと普通の勉強も教えてくれれば良かったのに。3年生の漢字とか算数とかスポッと抜けたから あとで大変だった。 

 

この担任は音楽専門で なぜか音楽は厳しかった

鍵盤ハーモニカも普通のハーモニカも

クラスの模範演奏をさせるなど評価してくれたし 楽器の扱い方も丁寧に教えてくれた。

そして うっかり音楽もサボるとすごく怒られた。

ただ、授業に出ないから一般教科丸抜け、通信簿は最初から予定していたのか音楽5 その他1 と言う具合。

担任は通信簿に1をつける生徒を明確に確保するらしいと後で知った

星は丁度良い存在だった

下手に良い成績を取ると「1」がいなくなる %で5段階評価とは「1」の確保が大変らしい

だから授業を受けさせない

 

 

先生!それ、ダメだから  

なんて今更だ

 

うん 当時は気にせず おおらかだったなぁ

 

父の「☆=盲目=はバカ」という思いが照明されたに違いない。

これは大いなるマイナスかな

 

星は一年間 療養中で家にいる父にバレることなくサボり続けた

 

母はうすうす感づいていたらしいが中学の教師で日中のことは父に任せているから口出しできない。

「☆、学校にちゃんと行っているの」と聞いてくれれば ☆は正直&悪いと思ってないから答えたに違いないが

そういう聞き方はしなかった。

故に ☆は自由を満喫し、とっても賢くなったのだ

 

自転車 8 再び大丈夫

引き続きカテゴリー「仙人」

 

仙人は「ヨーガ」の先生を始めた

東京練馬の奥でヨガ教室を世話してくれた人がいた

住まいは茨城 常磐線である

しかもその教室の生徒さんは数人

一人で行きゃいいのに仙人は☆を同伴させる

 

仙人の年収 年間定期代30万を入れて110万のくせして

毎回会場費だけで5000円の赤字だった

毎週である

もちろん☆のお給料から補填する。

その勤めも「女の本当の幸せは家に居ることだ」と 

すでに辞表を出させられていた。

 

本日は自転車の話である 

わき見運転は 命にかかわる

 

 

ヨーガ教室の日は=(ヨガ)ではないのだそうだ=

行きは勤め先赤坂から新宿に出て西武線に乗って会場まで行く

帰りは西武線→中央線→山手線→常磐線 佐貫駅下車

佐貫を降りるころは日が変わる時間になる

 

カーブはあっても角のないレース場のような道

車道に降りて自転車用の白い線のセンターよりを仙人のバイクを追って走った

この位置は左右に余裕たっぷりでつまずくことはない

ただただ先方のバイクのライトと白い線を見つめ必死でこぐ 

 

バイクが止まった

 

仙人;「もっと速く走れないかな」

星;「精一杯こいでいる」

仙人;ちょっと待って こうすればいい

すばらしいアイディアに大喜びでのようす

バイクからロープをはずして持ってくる

星・・・ギョッ

仙人;引っ張れば速くなる

;危ないじゃない

仙人;大丈夫 ゆっくり走るから

星;大丈夫なわけない

 

大丈夫 には 「自分は」とつけるべきだ

仙人は自転車とバイクをつなぎさっさと戻る

星は不安を覚えるより一点集中 

仙人の「すばらしいアイディア」に口を挟んでもむなしい時間が過ぎるだけ

 

センターよりを走るバイクに引っ張られ

白い線の見えなくなった舗装道路を懐中電灯が当たる部分にすべての力を注いだ

矢のように飛ぶごま塩のような道

わずかな凸凹で宙を飛ぶ

飛んだら落ちる

落ちたらひっくり返らないようにバランスをとる

そんな暇などない

ベルトコンベアは ふらっと来ても泊まらない

止まってといっても聞こえない

=ブレーキをかけたらひっくり返る=

コレは凍った道を走る自動車の鉄則だ

父に聞いた言葉がよぎってブレーキは掛けない

ただただ必死に体制を立てていた

 

やっとバイクが止まる

菱;「無理だ」

仙人;そんなことはない 

  もっとゆっくり走るから

星;引っ張られる自転車に乗ったことあるの

仙人;あるわけないだろう 

大丈夫だから

 

引っ張るのだって初めてだ、が正解だろうが!

バイクはちょっとスピードを落として動き出した

何も変わらない

 

一生分の集中力を使い果たした 

と思ったほどの永遠の時間

実際はほんのちょっとなのだろう

だって 生きているから

 

バイクが止まり仙人が降りてきた

ロープをはずしながら

仙人;ゆっくり走るのがたいへんだ

星;さようですか=声には出せない

 

あの時死んでしまえばよかった

結婚早々視覚障害者を自転車に乗せ

バイクで引っ張って死亡させた

前代未聞のあきれた行為

しかも 理由が ただ早く家に帰りたいから

自転車はバイクより遅いから

引っ張れば速く走ると思ったから

 

 

慣れればできるように なるわけ内だろうが!

その日限りで絶対拒否の行為は仙人が「家に帰る時間の短縮」を助けることはなかった

 

無傷で終わったために反省することもない

反省する根拠がまったくない

人の命をおもちゃにしたとは思っていないのだから

 

似たようなことが繰り返される

 死ねばよかった

 指も腕も足もひとつも掛けていないけど

 今でも 時々思う

 命と引き換えにでも

 「ザマァミロ」と訴えたい

 

その思いが29年たった今でもくすぶっている=初めてブログに書いたとき

42年たった今でもおなじである

あのとき死んでいれば良かった

自転車 6 自転車の車輪は光と闇

カテゴリーが「仙人」ですが「自転車」から切り離したくないのでこちらにも上げます

 

 

私は道路わきの線に沿って

迷うことなくスタスタ歩く

溝に落ちないために とか

真中に出ることがないように とか

安全のために 道路の線を見ながら

端っこをあたりまえの人が歩くスピードで歩く

 

右目が見えないから右を歩く

これが不思議らしい

右は道路わきを歩けば問題ない

たまに歩道に置いてある

いろいろなものにぶつかることをのぞけば だが

 

見える左で動いてくるものをよける

右が外側ではどうしても動作が遅くなる

 

角まで行ったら必要最低限のものを見る

常に耳を済ませ 車の音で距離を測り

人の声や物音ででいろいろなことを知る

 

山国にいて山を見ず

商店街を歩いてもウインドウをのぞかない

目的地に続く足元だけを見る

まさか歩道にドテンと車が置いてあるなどそうそうないはず 

と 信じているのに

歩道上の正面衝突を 何度すれば気がすむのか

運転手は空だし メガネは曲がるし 低い鼻が高くなる(晴れる)

 

人と歩くときは しとやかに 前に出ず人の背中と足元を見て歩く

背中が下がれば下り 上がればのぼり

背中がはねれば 障害物あり

平行して歩いて初めて

視力のなさに気がつく人も多い。

 

だって・・つまづくもん。

時には階段から落ちるもん。

 

ガツーン 

ドン

キー!!!

 

人生55年

道路の端っこを歩いてきたにもかかわらず

何十回と自転車にぶつかってきた。

大げさな数字ではない。

三桁かも知れないほどだ。

とにかく自転車は道の端っこを

音もなくやってきてぶつかる

ほとんどが

「すみません」と言ってそのまま走り去る。

時には 

「バカヤロウ、どこ見て歩いてる」 と怒鳴られ

あっけにとられて思わず立ち止まり

悪いのはそっちだろう と気がついたころには、もういない

   これは東京に多い

 

自転車は「ぶつけても」怪我をしない

「ぶつけても」痛くない 

ぶつけられた人のことなど 気にしない

 

竜ヶ崎市にいたころ

すっかり日の落ちた交差点の歩道上で

無灯火の自転車に引かれた。

真横から近づく音が聞こえたときには

暗い世界が回った。

「どうも」と女性の声だけが残る。

これは「ひき逃げ」 ?!

歩道上で無灯火 しかも目一杯フルスピード。

肩と足にけっこうな怪我をしてしまった。

 

伊那谷に引っ越してから

自転車にはぶつからなくなった

なぜかって? 

 

そりゃぁ

あまりの傾斜に自転車が非合理的だから

 

歩くのも「しんどい」のぼり坂を真剣な顔で 

夢中でこいでる中学生に出会うと

ガンバレ と思う

 

自転車は嫌いじゃない