幼稚園 4 シール

いつの時代もシールというものは魅力的だ
年をとっても 封筒の裏に貼るシールを探すのが楽しい
ついつい、箱いっぱいのシールを抱え込んでしまう
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みんなが幼稚園になれてくると持ち物検査が始まった

ハンカチ・ちり紙だけだったカナ?

大きな模造紙が2枚張り出された
縦に園児の名前 横にひと月分の日付が書いてある

朝登園したら先生に持ち物を見せて合格したら自分でシールを貼る
ハンカチが青 すんだら隣りのちり紙、ピンクだ
名前は五十音順で 私はほぼ真中あたり

「どこで止まってるの」
「☆ちゃん」
「またぁ、早くしないとみんなが待ってるんだから
あなた後。みんな先に貼りましょう」

結局早く登園しても シールは貼れない

一番上にしてくれればできるのに
「上にして」
「あいうえおの順番はとても大事だからダメです」
いざ、見つけた、瞬間に 横から先生が貼ってしまう

自分でシールを貼りたい

 

60年以上たった今でも根に持っている

邪魔されない今は、シール集めと貼るのが楽しい

幼稚園 3 禁所区、ピアノのうしろ 

当時の視力は0.02くらい。
人から見ればめくらかも知れない、
でも、自分はほかの人を知らない、見える世界を知らない、
自分の視力内の世界が「見える世界」
ほかの人と違うなんて思ってみたこともない

幼稚園とは 普通でない ことを身体で教え込ませるところだ
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トイレの場所がわかったら幼稚園の生活も変わった

トイレの場所がわからなかっただけだから
何ら問題があると思っていないし
先生にいじめられているという意識もまだない
いじめ そのものの存在を知らないのだから
そのころはいじけることも悪びれることもなかった。
ただ 忘れられず 記憶に深く残っていく

「めくらがきた」と迎えられた幼稚園
担当の先生も一緒にはやし立てた仲間だろう (無言で)

制服というものは 特徴を消してしまう
何日たっても 先生と生徒の区別しかつかない

鬼ごっこやかくれんぼもするようになった。
たくさんの同世代と駆け回るのは楽しい
誰が誰だか全くわからないけれどかまわない
運動は得意で走ることは特にだーい好きだ

ただただ一人、走り回っていた
要するに相手にされていないのだが
☆本人はそれにさえ気がついていない
鬼ごっこは走り回るだけで大満足で
除外されているとも知らず
つかまらないと思い込んでいるのだから問題は全くない
かくれんぼもいつも見つからないでおわる
いつも満足だ

ところが 先生はかくれんぼで私も入れるように指示した。
☆本人はもともと仲間に入っているつもりで
見つからないうちに時間が来ると思っていたから
取り立てて仲間にすることもないと思うのだが
みんなの仲間にするために、わざわざ☆を鬼にした。

10数えたら探しましょう

大きな声で10数えた
☆の声は良く響く

大勢だから いくら見えなくても見つけられるものだ
・・かくれんぼは好きな遊びだし
鬼は誰もいない障害物のない大部屋を思いっきり走る
問題がなければ実に愉快だ。

子供等はピアノの後ろだって行ってかまわない
普通に考えればあたりまえの空間だ
ところが☆は 「見えなくなるところ」
には行かないように釘を刺されている。

ピアノのうしろは禁所Sランクだ
「良い子」の☆は いいつけをまもって
姿が隠れるピアノの後ろには 行ったことがない

大勢の子供がピアノの後ろでひしめいている
☆が行ってはいけない場所に隠れるのだ
こまってしまった
いることはわかっているのに踏み込めない

「まだみつからないの?」
「だってピアノの後ろだもん」
「えっ?」
「先生が行っちゃダメだって行ったから」
「あらあら たくさん見つけられなかったね
時間だから終わりにしましょう」
禁止は解かない

☆の大負けで かくれんぼはおしまい
そのまま歌の時間になった
歌は大好きだが ピアノのうしろが気になって仕方がない
自分だけが行ってはならない場所 なぜ、

うしろに行こう
約束を破る一大決心だ
同日 放課後?みんなが帰ったあと戻って忍び込んだ
と言っても 今と違ってどこもかしこも
開けっ放しだから 普通に入ったのです !

ちょっと暗めの部屋、人がいないととてつもなく広く感ずる
すみのほうに 真っ黒いピアノがある
鍵盤の線より踏み込んだことはない
恐る恐るピアノの後ろに行ってみた。
ドキドキ 不安でならない
何しろ 約束を破るのだ

取り立てるほどのこともない 床があるだけだった

黒い影の真中に 黙って立ってみる
ひんやりした空間

寒い
さびしい
ここはいやだ

何かに追われる気がして走って帰った

幼稚園に通った残りの日々
かくれんぼや鬼ごっこはどうなったのだろう
見つけるためには 線を越えたのだろうか
やはり禁止区域だったのだろうか 記憶にない

たぶん、☆は鬼を卒業したのだろう

 

 

幼稚園 2 お便所はどこ?

父は私を一人にするときは 実際に歩いて行動範囲を規制した。
幼いころは一人で門を出ようとすら思わなかったし、
すべての用が父から定められらた範囲内でたりた。

父が教えてくれない所は知らないのだ

父は、まさか教師が何も教えずターゲットにしたことなど知らない?

ちがう、父は予想していたはずだ

エクラってなあに、の質問を無視したのと同じで

めくらの存在がが屈辱名だけだ

知っても 起こるることは自分には関係無い

知ったとしても 幼稚園がどうにかするべきで我関せず

幼稚園に文句を言うなどかっこ悪い

のである


完璧ないじめには ターゲット が必要だ
憎むに値する弱いもの
自分の立場が優位に利用できて
正当性を主張できる

めくらを嫌う教師は格好の「ターゲット」を手に入れたのである
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幼稚園に通い始めた初日から大変な事態になった
初日(入園式の翌日)だから園内をグルッと案内される
一般人と行動をともにするのは大変だ
ただただ人の後を追うだけで精一杯だった
足元以外何も見ていない、聞く余裕もない

玄関とすぐとなりの自分の組の部屋しかわからない

トイレに行きたくなった
どこかわからない
人に聞くことには抵抗がないから先生に聞く

人に物を尋ねるときははきはきと
両親から教わったとおりに
明るく 元気よく

「お便所はどこですか」
「さっき行ったでしょう。あっち」
「・・・あっち?」

もう先生はいない
言われたほうに行ってみる
どこも 来るな 近寄るな といっているようだ
足が進まない

戻ってもう一度聞く

「お便所・・
「さっき教えたでしょう あっちにあります」

ない
ない
ない

もう一度聞く
「あっちです 行ってみたの」

もう限界だった

おもらしをしたと 早帰りさせられた
それが3日続いた。

かんかんに怒った先生は5日目の朝
登園と同時に私をつかんでトイレへ連れて行く
「ここがお便所です。一番最初に教えたでしょう」
みんなちゃんと覚えたのにどうして覚えないの
3歳の子だっておもらしなんかしないです」

「だって お便所がどこにあるかわからないから」
「めくらはバカなんだから」

入園5日目にしてやっとトイレの場所がわかった
ついでに めくらに加えバカ という称号もついた

幼稚園 1 めくらってなあに

いじめというものは人間(だけでないかもしれない)
誰しもそれなりにする行いであって
節度を心得れば、仕方のないことであると思う。
問題はその節度であって、
教師・医師など、先生といわれる人たちは特に、
優位な立場を利用して「いじめ行為」を楽しむべきではない

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姉が先に小学校に行ってしまったので
父がわたしの監視役になった
病気療養中の父だから 負担だったのだろう
幼稚園に入ることになった

教会付属の幼稚園で、学区の小学校の向かい側にある
始まりが遅いので姉とは一緒に通えない

入園式は父に手をひかれて門を入った
きょろきょろと周りを見ると
左手に白い背の高い建物がある
てっぺんに十字架があるなんて知ったのは
大人になってからだろうか
教会の建物のてっぺんには必ず十字架があると知るまでは
「見る」という行いすらしないものだ

その入り口のほうには行かず 薄暗いところに向かった

「めくらが来た・・・」
いっせいに道が開く
遠巻きに子供等がはやしながら見ている中、玄関に向かった

「めくらってなに?」
父は答えない
「みんなめくらって言ってるよ」
父は何も言わない
その後もこの質問には口がなくなる

入園式が無事済んで翌日から通うことになった
延々と続く先生による生徒いじめの幕開けだ

たくましくもなるさ
とはいえ 傷も深い
性格だって ・・・

なぜ 先生たるもの、可能性を見出そうとしないのか
共に喜びあえる道を なぜ避ける
自分の目の前から消えてほしいといじめぬくより
明るい明日を探したほうが よほど気持ちいいだろう
人はなぜ そのことに気がつかないの

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メクラ で変換しても 盲 の字が出てこない
多少不便だ
私は 盲=めくら という単語に違和感がない
視覚障害者 など 字数も多い
点字にしたら11マス使うし
漢字では四字多い
画数にしたら? 数えるのが面倒だ

言葉を変えたくらいでいじめがなくなるわけがない
いじめは表を繕えば繕うほど手が込んでくる気がする
考えられないようないじめ方をされる
言葉などでごまかせるほど 単純な物事ではない

 

サコちゃん

本来ならば記憶が残らないであろう幼い頃

我が家に住み込みのお手伝いさんがいたことがある

サコちゃんと言うのだから さち子さんとかさよ子さんとかだろう

 

その「サコちゃん

時々 通りがかりに私をつねった

夜中に いきなりつねられたことも数回ある

寝込みを襲われいきなり泣き出し 訴えても

本人は「していません」というと大人はそっちを信用する

「子供」ではない ☆という「イキモノ」を信用してもらえない

 

つねられるのは☆だけで

夢だろう、とか 被害妄想だとか言われた

 

「姉はもう、大きいからやられないのだ」と思っていたが

きっと そうではなかったのだろう

 

 

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いじめには ターゲット が必要だ

憎むに値する存在で弱いもの

自分の立場が優位に利用できて

正当性を主張して当たり前に通る存在

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☆は 誰もが正当性を主張できる

いじめのに値するターゲットだったに ちがいない

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ニワトリを狩る猫

☆はネコを見たことがない
鳴き声だけがネコの姿だ
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◇ ネコ

我が家の鶏が特別美味しい というわけでもないだろうに

ネコは時々明け方やってきては、鶏を狙った。
どんなに小屋をしっかり作っても取っていく。

家には犬(スピッツ)がいた。
しかし犬はつながれているので、ネコを追い払えない。
番犬とはいえ,ほえるだけだった。
第一、犬が気がつくのが咥えて逃げるときなのだから、
それから飛び出しても間に合うわけがない。

ネコは扉から入るとは限らない
むしろ扉以外のところを探すようだ
人は猫の入り口を必死で探す

何時かも 探した
今日も 探す
この次も 探すだろう

ネコは天才だ 力持ちだし 根性もある
大きな荷物(ニワトリ)を咥えて追いかけられても離さない
と 大人たちは話す

ネコは悪者だ と教えられるまま信じた

 

ニワトリ

 私の子供時代は家に鶏がいた。

県庁所在地のど真ん中なのに、たくさん飼っていた。
父が結核で栄養豊富なタマゴを毎日食べるためである。
 


鶏は苦手だ
せっかくミミズを取って食べさせようとすると
われ先にと集団で飛びついてくる
たまらず投げ出すと 大群でミミズのほうに行ってしまう
こわい上に薄情だ いいのは姿だけじゃないか
 

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     オトリ

私はタマゴを取り行くたびに、ニワトリに襲われた。
小屋に入るときにはサっと入らなければいけない
5才くらいからやらされていた と記憶している、
 
入り方が下手だ、と何度も叱られた。
気をつけて入ったら、タマゴを探す。
どのメスも私を見ると威嚇する。
顔を向けるだけで羽を広げて、こっちへくるなという。
それでも手ぶらで帰ると叱られるから がんばる。
何とか(こわごわ)ニワトリに近づくと 今度は攻撃されて
小屋の隅に追い詰められてしまう。
必死にこらえるがたいてい身動きできない
 
そのころを見計らって 今日もか・・・と
誰か(たいてい姉)がタマゴを取りに来るのだった。
 
そう。助けにきてくれるわけではないのだ。
 
「もたもたしてるからニワトリにまで馬鹿にされる」
ニワトリが私を取り巻いているすきに
無防備なたまごをさっさと持っていく。
 
 今日も手ぶらのタマゴ鳥(取り)
 
鶏は昼間行くと「どうぞどうぞ」と立ち上がって巣を見せてくれる
今置いてきた餌のほうが気になるようだ

の辞書
 「おとり」 鶏小屋の