幼稚園はめくらのあり方を教えるところ

 

はじめに

☆の部屋は 「☆の目」で見た 「☆の耳」で聞いた 「☆の心」が感じた
「☆の思い出」であり「☆の思い」で 基点が☆ 
言い換えると自己中の部屋です

幼稚園という新しい世界で 今で言う「いじめ」にあっていた
それとは知らずに過ごした日々の回想
深く傷ついていった様子
のびのびと過ごす様子
二つの心が同時に育つ様子をご覧ください
また 一つ一つのお話は短いので
いじめについての私の考えも書きました

いじめ と言う行為は
上から下へ 下へ 下へ 下へ・・・つきることなく伝わっていく
生き物である以上ある程度は仕方がないと理解しています

学校において登校拒否は自らの意志で表せる数少ない逃げる方法だと思う
だいたい それくらいしか思いつかない
お休みが長引くと先生は 
にこにこ顔にあめ玉を持って現れる
「優しくするから 
みんなも待っているから 
「でておいで」
と言われて すんなり信じられるだろうか 
そんなことは無いだろう
あめ玉が魅力だから ではなく
もちろん、先生を信じてでもなく
もしかしたら
明るい未来への道があるかもしれない、と
期待するから 

もういちど 
もう一度だけ
こんどこそ と 勇気を出して出て行く
そんなものじゃないだろうか 

私は 幼稚園の年齢でありながら
あめ玉に屈せず 二度と行かない、と貫いた
意識はないけれど 深く傷ついていたに違いない

ま、いやだったら逃げる 
を教えるのも 学校(幼稚園を含む)なんだなぁ♪と知った

 

これは創作ではありません

はっきり覚えているのです

 

 

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1,めくらってなあに

副題=幼稚園はあからさまに正直なところ

姉が先に小学校に行ってしまったので
病気療養中の父がわたしのおもり役になった
姉は私の世話をするために幼稚園へは行けなかった
☆は・父が困るから・幼稚園に入ることになった
知らない人の集団 つまり社会への第一歩 だった

幼稚園は「プロテスタント教会付属」の幼稚園で、
学区の小学校の向かい側にあった
始まりが遅いので姉とは一緒に通えない
入園式は父に手をひかれて門を入った

きょろきょろと周りを見ると
左手に白くて背の高い建物がある

てっぺんに十字架がある
なんて知ったのは大人になってからだろうか   
教会の建物のてっぺんには必ず十字架があると知るまでは
「見る」という行いすらしないものだ

その入り口のほうには行かず 薄暗いところに向かった

「めくらが来た・・・」
いっせいに道が開く

遠巻きに子供等がはやしながら見ている中、玄関に向かった

「めくらってなに?」
父は答えない
「みんなめくらって言ってるよ」
父は何も言わない
その後もこの質問には口がなくなる

入園式が無事すんで翌日から通うことになった
「先生と言う名の大人」によるいじめの幕開けだった

未だに疑問に思っていることがある
門を入って父に手を惹かれて歩いているだけでどうしてメクラ、とわかるのだろう
私の歩く速度は昔から遅くない
父と歩くときは父の歩幅に合わせて飛ぶように歩いた
どんなに思い出しても 
父や姉と歩くとき 不安そうには歩いていなかったはずだ
それなのに 近づくと逃げるように道をあけ
「メクラが来た」と はやし立てた、
とにかく 時代劇の殿様のお通り=~ ごとく 
さっと目の前の子供たちが左右に飛んでった
どうしても腑に落ちない

考えすぎで、先生の策略 ? まさかね と 思いたいが

事前教育の徹底だろう

悪意のある教育

だって幼稚園だよ 学齢前だよ 

子供全員が道を空けて「めくら」とはやし立てるのは不自然じゃないだろうか

もう 人生の七不思議 のひとつだ 

進むと道が開ける「花道」を歩いたのは人生72年この時だけだ

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2 おべんじょはどこ

副題=あっちじゃわからない

幼稚園に通い始めた初日から大変な事態になりました
初日(入園式の翌日)だから園内をグルッと案内される
一般人と行動をともにするのは大変だ
ただただ人の後を追うだけで精一杯だった
足元以外何も見ていない、聞く余裕もない
一所懸命に黒い廊下を歩いた
玄関と隣接する自分の組の部屋だけはわかる

トイレに行きたくなった
どこかわからない
人に聞くことには抵抗がないから先生に聞く
人に物を尋ねるときははきはきと
父から教わったとおりに
明るく 元気よく にっこりと
「お便所はどこですか」
「さっき行ったでしょう。あっち」
「・・・あっち?」
言われたほうに行ってみる
どこも 来るな 近寄るな といっているようだ
足が進まない
戻ってもう一度聞く
「お便所・・
「さっき教えたでしょう あっちにあります」
ない
ない
ない

もう一度聞く
「あっちです 行ってみたの」
もう限界だった
おもらしをしたと 早帰りさせられた
それが毎日続いた。
かんかんに怒った先生は5日目の朝
登園と同時に私をつかんでトイレへ連れて行く
「ここがお便所です。一番最初に教えたでしょう」
みんなちゃんと覚えたのにどうして覚えないの
3歳の子だっておもらしなんかしないです」
「だって お便所がどこにあるかわからないから」
「めくらはバカなんだから」

入園5日目にしてやっとトイレの場所がわかった
ついでに めくらに加えバカ という称号もついた

それにしたって
毎日お漏らしされたらいやでしょうに
毎日 毎回場所を聞かれて「あっち」しか答えない
保母の資格を持った「先生」でしょ?
いわゆる「信じられない」行為だ
優しさのかけらもない
意図的いじめ、と思う方が正しいと 今でも思う

幼稚園は家から歩いて10分以上もかかるのに
数日目から一人で通いました
それがバカのすることだろうか

「バカ」とは

「自分にとって邪魔な存在」

という意味もあらしい
きっと 消えてほしいんですよ、世の中から

 

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いつの時代もシールというものは魅力的だ
年をとっても 封筒の裏に貼るシールを探すのが楽しい
ついつい、箱いっぱいのシールを抱え込んでしまう

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3、シール

副題 自分で貼りたい

みんなが幼稚園になれてくると持ち物検査が始まった
ハンカチ・ちり紙だけだった、たぶん。
大きな模造紙が2枚張り出された
縦に園児の名前 横にひと月分の日付が書いてある
朝登園したらまっすぐいって 自分でシールを貼る
ハンカチが青 すんだら隣りのちり紙、ピンクだ
名前は五十音順で 私はほぼ真中あたり
「どこで止まってるの」
「☆ちゃん」
「またぁ、早くしないとみんなが待ってるんだから
あなた後。みんな先に貼りましょう」
結局早く登園しても シールは貼れない
いつのまにか先生が貼ってしまう
一番上にしてくれればできるのに
「上にして」
「あいうえおの順番はとても大事だからダメです」
いざ、見つけた、瞬間に横から先生が貼ってしまう
たったの一度も貼ったことがない
どれほど恨めしかったか
それは これを書く段階でも
「いざ」の瞬間に伸びてくる手を思い出すのだから
恨めし度合いがわかるというものだ

自分でシールを貼りたい
だから邪魔されない今は、楽しんでいる
自分だけ与えられないものへのあこがれと執着

☆は、あこがれと執着をかてに力強く生きてゆく

 

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当時の視力は0.02くらい。今同様左目でしかものを見ない
人から見ればめくらかも知れない、
でも、自分はほかの人を知らない、見える世界を知らない、
自分の視力内の世界が「見える世界」
ほかの人と違うなんて思ってみたこともない
幼稚園とは
普通でないことを
身体で覚え込ませるところだ

4,ピアノのうしろ

副題 決まりの悪用にも従え

トイレの場所がわかったら幼稚園の生活も変わった
トイレの場所がわからなかっただけだから
☆は何ら問題があると思っていないし
先生にいじめられているという意識もまだない
いじめそのものの存在を知らないのだから
そのころはいじけることも悪びれることもない
ただ 忘れられず 記憶に深く残っていく

「めくらがきた」と迎えられた幼稚園
担当先生も一緒にはやし立てた仲間だろう(無言で〉

制服というものは 特徴を消してしまう
何日たっても 先生と生徒の区別しかつかない
鬼ごっこやかくれんぼもするようになった。
たくさんの同世代と駆け回るのは楽しい
誰が誰だか全くわからないけれどかまわない
運動は得意で走ることは特にだーい好きだ
ただただ一人、走り回っていた
要するに相手にされていないのだが
☆本人はそれにさえ気がついていない
鬼ごっこは走り回るだけで大満足で
除外されているとも知らず
つかまらないと思い込んでいるのだから問題は全くない

かくれんぼもいつも見つからないでおわる
いつも満足だ
ところがある日、先生は
かくれんぼで私も入れるように指示した。
☆本人はもともと仲間に入っているつもりで
見つからないうちに時間が来ると思っていたから
取り立てて仲間にすることもないと思うのだが
みんなの仲間にするために、
わざわざ☆を鬼にした。
10数えたら探しましょう
大きな声で10数えた
☆の声は良く響く
教室内で大勢だから
いくら見えなくても見つけられるものだ
・・かくれんぼは好きな遊びだし・・
鬼は誰もいない障害物のない大部屋を思いっきり走る
問題がなければ実に愉快だ。
子供等はピアノの後ろだって行ってかまわない
普通に考えればあたりまえの空間だ

☆だけは「見えなくなるところ」に行かないように釘を刺されている
ピアノの後ろは行ってはならない場所の一つだった
「良い子」の☆は いいつけをまもって
姿が隠れるピアノの後ろには行ったことがない
大勢の子供がピアノの後ろでひしめいている
☆が行ってはいけない場所に全員まとまって群れている
こまってしまった
いることはわかっているのに踏み込めない
「まだみつからないの?」
「だってピアノの後ろだもん」
「えっ?」
「先生が行っちゃダメだって行ったから」
「あらあら たくさん見つけられなかったね」
と大声で楽しそうに手をたたく
時間だから終わりにしましょう」
禁止は解かない
☆の大負けでかくれんぼはおしまい
余った時間はそのまま歌の時間になった

歌は大好きだがピアノのうしろが気になって落ち着かない
自分だけが行ってはならない場所
なぜ?
うしろに行こう
約束を破る一大決心だ
同日放課後?
みんなが帰ったあと戻って忍び込んだ
今と違ってどこもかしこも開けっ放しだから
普通に入ったのです!
ちょっと暗めの部屋、
人がいないととてつもなく広く感ずる
すみのほうに 真っ黒いピアノがある
鍵盤の線より踏み込んだことはない
恐る恐るピアノの後ろに行ってみた。
ドキドキ 不安でならない
何しろ 約束を破るのだ
取り立てるほどのこともない、床があるだけだった
黒い影の真中に 黙って立ってみる
ひんやりした空間
寒い
さびしい
ここはいやだ
何かに追われる気がして走って帰った

幼稚園に通った残りの日々
かくれんぼや鬼ごっこはどうなったのだろう
見つけるためには線を越えたのだろうか
やはり禁止区域だったのだろうか 記憶がない 

たぶん、かくれんぼの鬼はやっていないのだろう

ピアノの後ろへ行けば 約束を破った、と叱られただろう
行けなければ笑いものにする
どっちにしても先生の思い通りになる
権力を持つもののいじめ方だ

かなり大きくなってから 
学校帰りにかってに入って、ピアノの後ろへ行ったことがある
そこは 冷たく寒かった
が、怖くはなかった

調律師としてこの幼稚園に仕事で行ったことがある
気は進まないけど 仕方がない
私が通った部屋のピアノを調律した
懐かしさはないけれどピアノの後ろへも行ってみた
何でここが怖かったんだろう と不思議に思う
黒かった床はきれいで 明るい木目に変わっていた
張り替えたのだろう 
暗さを感じない
もちろん 寒くもない

そして
部屋はちっちゃい
かけずり回るほど広くない

調律の後園長先生に呼ばれた 
かなりのおばあちゃんだから私の先生ではなさそうだ
お茶をいただいた
先生は私を懐かしい、と言う
私は 話を合わせながら思った
何を懐かしい、と言っているのだろうか
私がこの場所で起こしたことが懐かしいのだろうか
いじめられた日々を知っているのだろうか
「あの頃は 担当が至らなくてごめんなさいね」
とでも言われたら にこやかに
「いえいえ、いいんです・・」と答えたろうし
その後の;思い出;のあり方も違ったかもしれない
しかし懐かしい以上の言葉はなかった
家に帰って母に報告すると
「園長さんは穏やかな人で、あなたの担当ではない」
どうであれ、☆の思い出は
「仁王幼稚園」と言う名前と共にある
幼稚園を ぜんぜん 全く 
不思議なくらいうらんでいない
幼稚園生活を懐かしく思わないのと
担当の先生を通した幼稚園と
教会という場所が
嫌いになったまま な だけだ

同級生たちは いじめ方 をしっかり教えられたのだろうなぁ

幼児教育に限らず教育者は質が良くないといけないねぇ
大学に入れないから保母になる、なんてもってのほかだ

 

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キリスト教の幼稚園だったので日曜学校がある
入園してすぐに行くわけではなく
これもなれてから なのだろう
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5、教会は地獄

副題=日曜学校

初めて日曜学校に行った日
姉が休みだというのに私は出かけた

その日は総柄のワンピースを着ていた
スモックの下からひらひら見える
すてきで気に入った
いつものように玄関を入り部屋に行く

全員並ばされて
まだ足を踏み入れたことのない、
暗い廊下に連れて行かれた。
暗いところでは足元が見えない
おまけに床ではなく渡り廊下でスノコがひいてある
平らとわかっていればいくらでも歩けるのだが
スノコは経験がない
乗って安全だという認識もない
どのくらい足を上げたら上手く乗れるかがわからない
どのくらい飛んだらいいのかわからない
こわい
行列はまた☆でストップしてしまう
叱られて こわごわ なんとかすのこに乗った
少し行くとスノコが切れて次のスノコに移らなくてはならない
また止まる
また叱られる
数回繰り返してやっとスノコになれてきた
暗いスノコの通路がやっと終わる

教会に入る入り口はとても高さがあるように見えた
すのこから階段へ飛び移り 何段か上がって教会に入る
私の記憶の中では
みんな腰ほどもある高さにピョンピョン飛び移って消えていった
消えていくところが高いだけなのだけれど
暗くて階段は見えない
消えていく明るい教会の光だけが目に映っていたのだろう

先生は先に立って教会に入っていった
園児はピョンピョン 先生の跡を追いかけ入っていく
うしろの園児たちが追い越して消えていく
とうとう おいていかれた
どうにも怖くて前に行けない
スノコからの距離も高さもわからない
暗い廊下に たった一人残って座り込む

敷居が高い? 意味が違う・ヨネ!

担任が来て、引っ張られて教会に入った
記憶では 手を引っ張られ
引きずられるように高い段を3段上がった、
次から次と新しいことで
いちいち通り過ぎたことにぐずぐずしていられない

教会は美しかった
暗い廊下から一歩入ると そこは明るく
白っぽい床に赤いじゅうたんが長くのびて
椅子がたくさん並んでいた
その椅子に大勢の人が座っていた
天井は高く 上まで窓がある
正面(祭壇)は見えないけれども なにやらまぶしく美しい

美しい!♪!

上部のガラスはセロファンを貼ったように
いろいろな色がついている
美しさに見とれていると現実につかまれた
強く引っ張られ 椅子に座らされる
何にでも興味があって
先ほどの敷居の高さは もうどうでも良かった

☆は常に 今 だけで忙しい

延々と続くどうでもいい時間を
色のついたガラスや赤いじゅうたんを眺め
美しさを楽しんだ

園児の名前が次々と呼ばれ
呼ばれた園児は前に行き 何かをする
それを一人でしなければならない
とたんに不安になった
その不安は今でも震えるほど覚えている
その後の屈辱とともに忘れられない思い出だ
名前が呼ばれて 立った
どこに行ったらいいかわからない

ただただ 立つ

もう一度呼ばれる
動けない

前に来るようにいわれて 前のほうに行く
美しい赤いじゅうたんの上を歩いているのに
そのじゅうたんはどす黒く先がない
イスのないところまで出た
たった一人立って 何をしたらいいかわからない

ただただ時間が流れる
叱られる時間を待っている

祭壇は 相変わらず見える距離ではない
ただピカピカ光っている

どっちをみても誰も 声を くれない

手を合わせて膝を突きなさい

とうとうどこからか男の人の声がした
いわれるままやったのだろう
衣が近づいてきた
他人の映像のような記憶だ
何が行われたのか知らない
何の言葉も記憶にない
どす黒いじゅうたんと縁取りの黄色い線
金ぴかの衣と明るい祭壇

石のような世界が自分をいらないと言っている

そのうちに席に戻るようにいわれた

自分の席がどこにあるかわからない
うしろを振り返り 一歩すすんでは 止まる

もしかしたら ここ?
誰も何も言わない

じゃ ここかもしれない
シーン

次かもしれない
・・・・・

一列ごとに止まっては誰かが止めてくれるのを期待した

期待は外れ 誰も声を掛けてくれない

教会はバカ広く
冷たい

地獄だ
二度と来ない

協会には大人もたくさん来ていた
どの列にも人がいる

一列ごとに止まっては待つ
また止まっては待つ

いくら繰り返しても まだ誰も声をかけてくれない
うしろのドアが見えてきた

例のごとく担任が 待ってましたと、かどうかは定かでないが
悪態をつきながら引っ張りに来た
「自分の席くらいちゃんと覚えなさい
私が恥ずかしい思いをさせられます」

イスの列まで連れて行き さっさと戻ってしまった
この列の何処に座ったらいい?
再び現れた先生、今度は はっきりと声に出して
「どうしようもない生徒を持つと恥ずかしいわ」
大勢の前で馬鹿にされ 引っ張られて席につく
自分の席も覚えられない バカな生徒を持たされ
恥じをかかされる生徒にうんざりなのだ
それっきり二度と教会には行かなかった

その後も日曜日は家を出た
日曜日は幼稚園に行かなければならない
幼稚園までは行っても教会には入っていない
外で遊んで時間をつぶして 人が並んで出てきたら家に帰る
そのころから親に内緒でサボることをしていた
知れたところで教会には行かなかっただろうけど

白い教会は美しい地獄だ
決して足を踏み入れる所じゃない

日曜日の午前中
☆は幼稚園で遊具を独り占め
家族は☆の居場所がわかって世話をしないですむ
幼稚園は手のかかる生徒が来なくて幸い
すべて丸く収まっていた
だから とがめられなかったのだろう

と 後から悟った

 

6、自転車にひかれる

副題=それでも自転車は輝いて☆をさそう

最初の自転車事故は幼稚園に入ってイースターの前
教会が大嫌いになった後

だいたい自転車というものは音がない
ぶつけられる痛みを乗る人間は考慮しない

 

もうすぐ国道 と言うところで
遅刻寸前らしい通勤途中の自転車に引かれた

幼稚園の通園は最初は結核療養中の父が付き添ったが
小学校の向かいなのですぐ道を覚えて一人で通った

☆は 教えられた道を進み
教えられたところで耳を澄まして道路を渡り
教えられたくらい建物と距離を保って歩き
教えられた角度で曲がる
☆の外歩きは教えられたものしか頭にない
歩くときはきょろきょろすることを禁じられている
足元だけを見て歩く
・・・父の教えだから・・・守る・・・・

歩いていていきなり空が見えた。
くもり空、薄い灰色白い空
次の瞬間
痛い!
動けない!
わーーー
泣き声が響き渡ったのだろう
大勢の人が集まってきたのを覚えている。
ぶつけた男の人が
大丈夫?」と聞いたのも覚えている、が
痛くて返事はしなかったはず。
とにかく私は家に連れて行かれ
父の背中に乗り換えて近くの外科に行った。
ひざの裏側に怪我をして数日間歩行禁止。
翌日からは父の自転車で快適通院である。
このときの父の自転車の快適な記憶が
後々の 大丈夫」につながり
何度もだまされることになったのだ
たぶん
怪我は治るものだ
治ったら痛さはわすれるものだ

☆は自転車を嫌いにならなかった

むしろ ☆も乗りたい♪

 

怪我は膝の裏のみ つまり後ろからひかれた

にもかかわらず

ぶつけた方が同情されることを

ぶつけられることが悪い、と思い込まされていったことを

理不尽を理不尽とおもわないようにを教え込まれたことを

後々知るのである

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
二度と幼稚園には行かないと誓ったくらい嫌いな幼稚園にも
そうそう悪くない思い出もある
毎月キンダーブックが届き、ボロボロになるまで見た
七夕の飾りは家に帰ってから良かった
イースターのタマゴも愉快な思い出だ

7、神様のタマゴ

副題 神様はうそつき

自転車にはねられて休んでいたある日
父;☆、幼稚園に行かないか
☆;幼稚園は行かない
父;タマゴがもらえるよ
☆;タマゴならウチにたくさんある
父;ウチの卵は白いけど 色のついたタマゴがもらえるよ
☆;どんな色
父;赤や青や桃色
☆の頭は色とりどりの卵でいっぱいになる
しかし、それが日曜学校だと知って
☆;教会は行かない
父;教会は行かなくていい、
タマゴを貰ったら帰ってくればいい
☆;じゃあ、行く

☆はさかなだ タマゴに釣られるあわれなさかなだ
父は当たり前に上手だ

教会行事がすんだ頃幼稚園に到着するように☆を行かせたのだろう

いざ行った幼稚園
怪我治療中の生徒には 先生はやさしいと相場が決まっている
誰と話した記憶もなく 何をしたかも覚えていない
ちょっと見えた籠にはいろんな色のタマゴがあった
かごの中のタマゴと窓から見える曇り空以外、幼稚園の様々な人やこと、の記憶がない
赤い卵や黄色いタマゴをゆっくり見たかったけど
渡された青いタマゴをもらってさっさと帰った

ま、青いタマゴで かなり満足
青いタマゴはゆで卵だそうだ
手の中で転がしては色を楽しむ

しばらく眺めては 手の中で転がす
痛むから食べなさいといわれたって
なかなか決心がつかない
青いタマゴは 何度見ても変わることはない
見あきるほど眺めて やっと食べる決心がついた
・・・・・・・・
普通のタマゴだ
神様はうそつきだ
・・・・・・・・・
中まで真っ青だったら きもちわるいだろ・・

それは大人の 常識

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8、七夕、父の魔法

副題 紙の不思議

父はなんだかんだとうまいことを言って私を追い出す
夏休みまでは そこそこ通った

いつの頃からか☆の心は抵抗しなくなっていた
しなさいといわれたことをするだけ
シールも貼りにいかない
駆け回った記憶も 歌を歌ったことも覚えていない

七夕飾りを作る日がきた

 

色とりどりの 山のような色紙
☆は黄色が好きだ けど 関係ない
どうせ絶対黄色はもらえない

教わったことは
与えられた青い色紙で輪をつなげなる方法と
与えられた青と桃色の三角を交互に糊付けする
それが☆のすること

いろんな飾りをつくったらしい
みんなが笹を囲んで飾っていても
☆には関係ない 大きなササを見て
それだけですごいと思うようになっていた
さわってみたいと思うことも 近づくことも
自分のすることではない

ただ部屋の隅に立っていればいい
うらやましいという思いの記憶すらない
部屋には大きな笹がざわざわしていた
子供たちはその下で駆け回って遊んでいる
遠めに眺めながら、家で飾ることを考えていた

午前中いっぱい求刑を挟んで立ちんぼ

誰からも声すらかけて貰えない

☆はいないのだ

幼稚園が☆に求め、教育したことは
目立たないこと 邪魔にならないこと
自分が邪魔な存在だと自覚すること

 

☆の短冊は先生が書いてつけたのだろう
もしかしたら省かれたかもしれない
それでも飾り作りは楽しい
紙が立体になるのはたいへん面白かった

 

家に帰って父に紙をもらった
父は学習塾をしていたので西洋紙ならいくらでもある
長方形の西洋紙の一端を三角に折り、
はみ出したところを切ると正方形になる
すばらしい! これならいくらでも折り紙がつくれる
父の仕事は丁寧で仕上がりがきれいだ
さっそく☆も挑戦する
上手くはいかないがうれしい

その紙をさらに小さくし 輪を作った
父は鎖に糊付けしないでどんどん輪を作る
輪はふわふわはねながら山になっていく
もう見るのに夢中だ

次に別な紙で山になった紙をつなげ始めた
なんと効率の良いこと
一緒になってつなげた

父は☆が軌道に乗ると 正方形を作った紙の
残りの部分を細く切り、ひねって輪を作った

魔法だ !

紙の輪は生きているようだ

すばらしい !

それもつないでながーい飾りができた

父は新しい紙を取り出し
魔法を見せてくれるという

父;ここに紙が一枚
☆;かみがいちまい
父;これを真四角に切る
☆;うんうん
父;これを三角に折る
☆;さんかくにおる
父;もう一回三角に折る
☆;もういっかいさんかくにおる
父;またまた三角に折る
☆;ちっちゃくなりました
父;さて ハサミでチョン
☆;ちょん
父;こちらもチョン
☆;ちょん
父;この辺も
☆;ちょん
父;最後に 魔法の息をかけて ふーッ
☆;ふーっ

もったいぶって丁寧に開いた父の手からは
母が編むレースのような美しい模様が出てきた
すっかり魔法にかかった☆は とりこである
真四角を作るために三角にエネルギーを注ぎ
美しい模様にするために ハサミを使いこなすべく
一生懸命練習した 感覚的に一所懸命ではない
私の場合 こういうことには全勢力を使う
魔法の 「ふーっ」 もちろん忘れない
父が私に、長方形を正方形にする方法をきちっと丁寧に教え
なおかつ たっぷりと時間をかけて
面白おかしくして私を喜ばせたのには理由があるわけで
後からおもえば見えてくる

西洋紙を使う以上 正方形はジマエになる
☆が紙遊びをしたいというたびに
いちいちやらされてはたまったものではない
それに飾りでは色紙がほしくなる、間違いない
おまけに立体のゴミが山とでる
この遊びなら家にある紙で足りるし、いちおう芸術作品だ

父の魔法にたやすくかかり
父譲りのそっくり魔法テクニックを吸収し
罠にかかったことなど気がつかず
姉にも手玉に取られ
それでとっても楽しかった

七夕飾りはどうなった??

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8、いかない

副題 約束は大人の罠

七夕を最後に幼稚園に通った記憶はない
夏休みが終わっても行かなかった
父は毎朝「幼稚園に行かないか」と誘う
たぶん、あの手この手でいかせようとしたに違いない
☆は「いかない」の一言
父はそれ以上に無理は言わない

まぁ 自然の成り行きというもので
わざわざみじめになるような環境に行きたいわけがない

幼稚園の担任は 一人でも生徒が減っては困のか
毎月「キンダーブック」をもって集金にやってくる
母がやめます というと父を呼び出し
やめないように交渉する
父はそのうち面倒になったのか、
家にいられては困るからやめさせたくないのか
子どもの知るところではないがやめないことに収まる
毎月バカ高の「キンダーブック」が届く

毎月繰り返す やめる やめない も
いいかげん担任だってイヤになったのだろうか
年の暮れが近い頃、担任は☆と直接話がしたいと言って動かない
当然☆は会いたくないから断る
それでも頑張って帰らない

いつまでも居座る先生にとうとう母が折れた
母;先生が会いたいと言って帰らないから出て行きなさい
☆;会いたくない
母;出て行って自分ではっきり決めなさい
そうしないといつまでも帰らないよ。
母は☆の味方だ(と思い込む)、よし。
先生;幼稚園にいらっしゃい
☆;・・・・・
先生;幼稚園はたのしいから
☆;・・・・・
先生;明日来ますね
☆;いかない
先生;どうして、明日は○○があって・・・
☆;いかない
先生;くればたのしいから
☆;もういかない
先生;ね、待っているから 来るって約束して
☆;やだ
行くという約束だけはどうしてもするわけに行かない
それだけははっきり断らないと
「約束したでしょう」と うそつきだといわれる
約束を破ると神様がどうのこうの
神様はいじめることしかしない
軽はずみな約束がどういう結果を生むか
教えたのはあなたでしょう
明日も来る と約束させて
毎日毎朝シールが貼れないと叱る
下校時の約束と 朝のお叱り
約束さえしなければ 行かなくてもよい
約束さえしなければ 叱られることもない
さかなじゃない 餌なんかで釣られるものか
先生とは ぜったい 約束しない

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9、卒園

ほとんど行かない幼稚園でも卒園できた
そりゃ、 授業料を払えば卒園だろう

行きたくもない幼稚園へ父と行くことになった
どうそそのかされたか記憶にない
嬉しい記憶もない
父なら 興味をそそるような誘い方をしても良さそうなのに
さすがに☆が飛びつくような餌は思いつかなかったのだろう

「今日だけ行ったら2度と行きなさいと言わない」とか
しぶしぶでも行くようには言ったに違いない
ごねた記憶はないから・・こんなことだろうと想像する

洋服はスモックのせいふくだから 着飾った記憶も無い

何ヶ月ぶりかで幼稚園へ行った
椅子にすわらされた
私の席は 正面に向かって右側の一番端だった
後のことは覚えていない

名前を呼ばれて卒業諸処を受け取る ことはしてない ☆だけ座ったままで終わった

なぜ?とおもったけど別に不思議ではない

幼稚園とはそういうところだ

全員手に紙の筒を持っている姿は覚えている

卒園証書なるものを見せびらかした記憶も無い
☆だったらもらったものは見せびらかすはずなのに
家に向かって歩いた先が思い出せない

 

10、あとがき その1

幼稚園出た? と聞かれれば 堂々と「はい」と答える
だって、卒園証書もらったもの
幼稚園に行ったかどうかなんて くだらないことを聞く
と 声には出さず付け加えてしまう

父は☆の行動範囲を実際に歩いて規制した
実にうまくて ご機嫌良く☆を呼び
お散歩みたいに話しながら☆が動いていい範囲を教え込む

記憶にはないほど幼い頃 規制線から出るとどうなるか
もっと明確に言うと
父の言うことを聞かなければ どれほどオソロシイ目にあうか を
忘れられないくらい心に刻み込ませたのだろう
マインドコントロール に違いない

「幼稚園に行かないか」と聞かれたら「行かない」と言えば良い
命令とは「絶対」であって滅多にするものではない
我が家はそういう家だった

先生の言うことはちゃんと聞くこと の結果が
他の子がピアノのうしろへ隠れることになり
先生は ☆をどんなにいじめてもかまわないことになる

父は☆の行動範囲を成長と共に広げた
父との散歩は楽しく
幼稚園に通う寄り道なしの道も 嬉しかった
父に取っては☆をつれて歩くことに重大な意味があった、
など 気づく訳ない
思い返す度 私は 犬であった
幼いころは一人で門を出ようとすら思わなかったし
地続きで「家の親戚」の:魅力的なお庭にさえ一歩も入らなかった
すべてが父から定められらた範囲内で十分だった
我が家は何家族かに部屋を貸していて
廊下でつながっているのに
我が家なのに
一度も足を踏み入れずになくなってしまった場所もある

☆にとって父の言葉は「絶対」だった
間借りの人たちは
大家さんの子供だし と いう大人の事情があったかは別として
:家族でなくても:みんな優しかった
世の中の人全部が同じようにやさしいと思っていて
聞けば何でもわかるように教えてくれるのが当たり前だと疑わなかったから
「お便所どこですか」と 当たり前に聞いた
教えてくれない、等という初めての体験に
何日も耐えていたなど 人を信じていた「証」ではないだろうか
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もし父が 幼稚園に入れる前に
教会に連れて行き 美しさに感動させて
椅子の数え方や礼拝の仕方を予行演習し
幼稚園の中をくまなく教え込めば
幼稚園生活は全く違っていただろう
しかし、それはあり得ない
父本人が メクラはバカだと思っていたのだから
父本人が ☆を一生つきまとう邪魔な存在だと思っていたから
他の子がしないような行動予習など するはずがない
そんなカッコわるいことができるわけがない

 

今だからわかる

父は優秀な教師だ

幼稚園の担当教師と同じ事を記憶に残る前に済ませてある

幼少期の記憶には「楽しいお父さん」しかない

幼稚園のクソ胆道へクレームを出さないのは

☆の社会での位置づけを教え込む担当を異質だと思わなかったどころか嫌われ訳を押しつけていた

父は☆を楽しませながら捨てる準備をしていた

見習うところの多い優秀な教師なのだ

 

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11、あとがき その2

それにしたって毎日お漏らしされると予測できたろう
毎日 毎回場所を聞かれて飽きずに「あっち」しか答えない
お漏らしさせて家に帰す
そんなことしか思いつかない○○な人
こういう人のことを「かわいそうな人」と言ったりする
しかしねぇ、関わったらそうも言ってられない
精一杯抵抗しよう

先生という存在は「導くプロフェッショナル」であってほしい

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幼稚園
最終的には 先生の勝利でしょう
学齢前の子に
部屋の隅っこに立って
何もしないで
他の子が楽しそうに遊んでいるのを見つめ
ひたすら時間が立つのを待つ
存在を消す事を思い通りに教えたわけだから

夏休みが終わっても幼稚園に行かなかったのは
そのへんに理由があるのかもしれない
いくら幼くても
一日中 隅っこに突っ立って
ほかの子供らが楽しそうに遊んでいるのを
ただただぼーっと見ているだけ なんて
つまらなかったに違いない

また、 こうも思うのです
否応なしに 観察することを覚えた と。
しかし、これは教えられたのではなく
どうしようもない長い時間の過ごし方を 自分で編み出したのです

だからって どこかの宗教団体が言うように
「いじめられて良かった」とは 絶対に思いません
たとえ「いじめられることによって得た力だとしても
いじめられなければ習得できない力、である保証はないわけで
幸せな生活の中で育てば
もっと良い結果になったかもしれないのです

いじめること・叱ること・しつけること・教えること
なにもかもがごっちゃになって、その都度
自分にだけ都合の良いように解釈して
それが正当であると主張し
誰かをいじめて 心が勝利に浮かれる
私☆には 今の世の中がそんな風に感じられる

 

 

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