伊勢湾台風と長靴

東北は台風の被害が少ない

まして子供は危機感がない

 

伊勢湾台風の被害は記憶に生々しい

テレビもないので全国の被害状況など全くわからない

わからない、というのは実感が湧かない ということだ

 

小学校1年のとき伊勢湾台風がやってきた

家の土地は 表の道路からわずかに低い

我が家の裏にはさらに一段低く田んぼがある

一段と言っても水を張るために低い程度だ

 

朝起きてみると家の周りが湖になっていた

道路はあるけれども 家は水の中に浮かんでいる

大喜びで 探検に出た

 

道路を歩って行くと 途中から水没している

通常の雨で水溜りになるところに進んだらしく

ドボッと一気に長靴は水でいっぱいになってしまった

どうせ・・ と そのままそろそろ歩きで前進すると

水面は膝を越えてしまった。

 

探検を一旦中止して家に帰り着替えて

午後は 父の長靴を持ち出して裏に行った。

裏は田んぼの向こうの土手まで一面水

こんなに大きな水溜りは見たことがない

 

残飯のみかんの皮みたいなのが浮いている

よく見るといろんなゴミがぷかぷか浮いていた

急に水が汚いことに気がついたものの

そこはそこ ☆の目標は 探検だ

田んぼとの境のバラの垣根までは行きたい

田んぼに向かってだんだん深くなる

地面が田んぼに向かってわずかに傾いていることがよくわかる

 

トイレも水没した家が多い

そのことを言ってくれれば やることもちがったろうに

結局自分の長靴だけでなく 家の長靴3足を

水没させ 叱られた

 

ドライヤーなどない時代だから

きれいな水で何回も洗い

新聞紙を詰めて乾かした

 

 

 

2年後、室戸第2台風に見舞われた

 

家を出る前に人の長靴は汚すな、と釘を刺される

大丈夫、二年前の長靴の洗濯を忘れるわけがない

だから、自分の長靴だけにちゃんととどめた

 

さこちゃんは嫌い

幼少の頃、我が家に住み込みのお手伝いさんがいた

サコちゃんと呼ばれていた

 

その「サコちゃん

時々 通りがかりに私をつねった

夜中に いきなりつねられたことも数回ある

寝込みを襲われいきなり泣き出し 訴えても

本人は「していません」というと大人はそっちを信用する

「子供」ではない ☆という「イキモノ」を信用してもらえない

 

つねられるのは☆だけで

夢だろう、とか 被害妄想だとか言われた

 

「姉はもう、大きいからやられないのだ」と思っていたが

きっと そうではなかったのだろう

 

 

 

 

人は妥協値を超えると鬱憤晴らしをしたくなる

憎むに値する存在で弱いものが近くにいれば迷うことなく的にする

自分の立場が優位に利用できて

正当性を主張して当たり前に通る存在

それが☆だった

ただそれだけかも知れない

 

だとしても

鬱憤晴らしの的にされた方は鬱憤ぷんである

 

 

雪合戦と火お越し

☆の家の裏には広い田んぼがあった

こんな所になぜ田んぼ、と言う程市内のど真ん中,住宅一等地だ

 

戦後のベビーブームで子供があふれ、収容しきれなくなった生徒を分散するために新しい小学校ができ学区が分かれた境目に田んぼがあった。

つまり田んぼの向こう、我が家の裏は学校が違う

高学年は昨日まで同じ学校の生徒だったから顔見知りである

 

冬が来て田んぼは真っ白に染まり子供の遊び場になると休日は雪合戦が行われる

 

近所の小学生全員かと思うほど集まってそれはもう盛大な雪合戦だ

 

広い田んぼに雪はいくらでもあり

どこにも誰にも迷惑がかからない

 

☆は楽しくてしょうがない

 

敵味方は学校で分かれる

実にシンプルで昨日の友は今日の敵なのである

高学年が前に出てずらーっと並んでバリケードを張りながら攻撃する

低学年は後ろの安全地帯でせっせと雪玉作りに精を出す

向こうの学校の生徒が隙間を狙って無防備に雪玉作りに夢中な☆たちを狙って雪玉を飛ばす

堅くて痛い

☆は負けじと堅い雪玉を作るのに専念する

☆は凝り性だ

どうすれば堅くなるか、

どうすればまん丸になるか

どうすればお兄さんたちが喜ぶか

 

もしかしたら 同じ低学年も雪合戦に参加していたのかも知れない

☆は周りが見えないから雪玉作りを命ぜられ黙々と雪玉を作り決められた場所におく

☆の作った雪玉はすぐに使ってくれるから☆はせっせと よそ見もせずに 雪玉を作る

 

言われたことをタダひたすら繰り返す

その姿は「知能指数の低い子供」の行動であり 他者に「バカ」と言う認定をされてゆく。

☆の知ったことではない

☆は清らかにバカなのだ

盲のバカには上級生はとても優しいのだ

 

☆は雪玉を作るのがうまくなった

研究にいそしみ遅いからあまり役には立たなかったと思うが・・・

 

時間が来るとさっと終わる

勝ち負けはない、たぶん

 

当時のこたつには棚つきで 洗濯物が干せるようになっていた

雪で固まったマフラーを取ってこたつの中に入れる

 

 

☆!!

???

雪を取ってからこたつに入れなさい

火が消えてしまう

こたつの布団を上げるとほわほわと湯気が出ている

 

うん、すてきだ

 

雪は溶けると水になる

水は上空にとどまっていない

☆は少し勉強した

だって・・マフラーに凍り付いた雪なんて☆にはとれない

仕方がないじゃないか

☆は密かに反省しない

 

 

☆は火お越しを教わった

コレがまた楽しいのだ

筒を持ってフーフー

吹くたびに炭が赤く光る

ちっとも制裁になってない

 

大人はいいように☆を使い

☆は楽しく懲りまくって大人の意図などつゆほども知らない

 

☆は体験学習が大好きで平和である

福島県泉村 昔話の景色

福島県泉村 昔話の景色

 

福島県泉村へは常磐線でいく
東北線の仙台から海のほうにぐ~~っと折れていく
鎌倉生まれの母から見ればド田舎のようだ

小学校1年の夏休みは父の実家で過ごした

〈父は、父の母方の跡取りである〉

父方の総会のような行事が祖父の家で行われた

親兄弟の親睦会なのだろう
地理的都合&交通事情などもあっで

到着して用事がすんだらすぐ帰ると言うわけに行かない一週間くらい父の兄弟およびその家族数十人が滞在した

 

初体験満載の夏休み

☆の子守約の姉は泉駅から家までの道を
「正規の通路」「近道」「景色のいい遠回り」
と幾通りか教えてくれた
ある限りの道をしっかり教えておけばほおっておける
「突き当たったらどっちへ曲がる」
とか、何本目・橋のところから のように教わる
駅から左に離れなければ家は見つかる
基本的に私は上を見ない

ひたすら足下を見て歩く 

視力があろうがなかろうがそれで家に帰れる

迷子になったらその辺の家で聞いて駅に行けばよい

泉駅までの道を覚えると出歩くようになった。
姉の信頼が強いのと田舎では迷子の心配もないのだろう
ほっとかれたのがには幸いした。

家を出たらいったん駅まで行く
最初からあっちこっち歩いたら帰れなくなる
駅を出てまっすぐ進むと右手に中学校がある
泉中学校 父たちの母校らしい
そこを右に曲がって進むと川があった。
川の向こうには見えないのか そうに違いない
緑が広がっている

じっと見ていると緑は山のようだ

釣りをしている人がいると教えられてから
人を探すようになった。
流れの真中にも人がいる
どうやってたっているのだろう
川にたっているようにしか見えない
釣りを知らないからじっと動かないのが不思議でならない
待てど暮らせど動く様子がない
釣り竿が見えないから ただただ居るだけだ

 

「朝早く川に行くとすごくきれいだよ」
見つかると叱られるから そっと抜け出すんだよ
教えてくれたのは当然姉だ
食事の時間には戻ってないと叱られるよ
と注意事項もくっつく

さっそく次の日実行だ
祖父はとてつもなく早起きで抜け出すころには起きていた
見つからないようにそっと出て川へ向かう

川は静かだった
駅から川に来たときの位置から左はじきに曲がって何もない
橋がひとつあったけど 限定で通行止めなので景色の一部
右は明るく川はくねくねどこまでも続いている
早朝だからかもやに包まれてすべてがボーっとかすむ
ぼやけた灰色の世界
暗いわけではない 
足元がぼやけるほどではなく
川から向こう岸がもやに包まれている
山はかすんで輪郭がぼやけ空との境がはっきりしない
釣り人は動かずすべてが絵だった
大きな絵本の中に自分を置いて山の空気を吸う

何を思うでもなく ただぼやけた世界を眺めるだけ
それがすばらしくいい時間だ

飽きてくると家に帰る
そのころになると大人は朝食の支度で忙しく働いていた。
小さくなって家に入り、今起きた顔で挨拶する
・・そうか!このころからこんなこと覚えてたんだ・・
すっかり早朝の散歩がが気に入って滞在中の日課になった

今でも昔話の山村の絵はこの景色が土台になる
やっぱり本物は焼きつき方が違う 
動かない景色でも生きている、と感じるから

体育の水泳は川で

小学校にプールはない

何処の小学校にもプールはない

夏の水泳教室は二時間続きで川へ行く

 

雫石川は北上川に合流するまで水が飲めるほどきれいな川だった、むかし。

学校から歩いて10分の所に雫石川の終点がある

雫石川・北上川・中津川が合流し北上川となって宮城県の海までながれていく

雫石川の終点は採石場になるまで川底は滑らかな小石でなだらかだった

学区内で学校からも近く景色も良く プールよりずっと気持ちよかった

 

水泳の準備は教室で荷物の確認

身体を拭くタオルと換えのパンツ

 

ズボンじゃないよ

下着のパンツ 女児はズロースというか、快適工房のゆったりでしっかり木綿のババパンツ

ショーツ成る横文字品が存在しなかった時代だからね、

下着のパンツとズボンのパンツではアクセントが違うとか?発音したのを聞いたことないから文字上一緒で不便きわまりない、

日本語がいい

ブラ・・ 日本語知らない

 

タオルも良くてバスタオル、なければ普通のタオルでOK

 

話を戻そう

 

パンツとタオルと浮き輪を手提げに入れて一クラス50人、学年ごとだったりするから250人 テクテク10分で川に着く。

服を脱いで朝からはいているパンツ姿で注意事項を(たぶん)たくさん聞く

準備体操をしてやっと川で遊ぶ。

先生の合図で川から出て服を着て学校へ帰る。

???ええと

パンツはいつ履き替えたんだろう

とんと記憶がない

ただの河原で250人も着替えるんだからね

壮観?

上級生はどうしたんだろうね

 

 

二年生になって

雫石川は水がきれいで石もきれい。

採石場になって危険だから遊泳禁止。

だから、勝手に行って川で泳がないように、と釘を刺された。

小学校にプールができて川の水泳は一年だけだった。

 

友達と=堂々=川で水遊びをした。