えだまめをもぐ

小学校から大人まで枝豆もぎは☆の仕事だった

 

学校から あるいは遊んでから家に帰ると台所に どーん と枝豆の山がある

 

あればもぎとる それが仕事だ

いいわけなど存在しない

だいたい、いやだと思わない

 

笹の葉さらさら みたいな大きな枝の端っこから順に枝だけにしていく

全部取るから枝だけ残る

 

必然的に枝だけ残る

豆のかごも枝もそのまま置いておく

 

いつの間にかゆであがって食卓に上がったり

父の宴会に持って行って何にも残っていなかったりする

 

食卓になければ枝豆の処理をしたことすら記憶にない

それほど「当たり前」のことだった

 

 

 

 

仙人は畑が好きだ

ある年枝豆を育てた

枝を山ほど持ってきたので手分けをしてもぐ

仙人は目で視て豆を取る

星ははじっこからなにも考えずにもぐ

星の枝には豆はない

 

仙人は最後に枝の点検をして残ったのを取る

それが当たり前らしく 取りこぼしを探しながら取っていく

 

星はそれをしない

だって 残っているわけがない

父の教育のたまものなのだろう

 

仙人が☆の仕事後を丹念に調べる

一つでも残っていたら「あった、あった」と大喜びで見せつけるのだろうが・・・

 

そうはさせるか 父の教えは完璧なのだから

私は仕事なら競争をしない

強いて言うなら 完璧かどうかのラインはある

 

仙人は家族の誰よりも一番を望む

 

・・・しるか!!

 

以降仙人は枝豆もぎをしない

取ってきた豆付き枝は山になって無言の状態

 

 

・・・☆は黙って豆をもぐ

 

 

数学は楽しい

中学に入ってから毎日我が家の塾に通い母から指導を受けた

塾は来た時間から決められた時間勉強する、

週三日とか四日とかなはずだが、☆は例外で毎日で時間制限もない。

ようは、あまりに勉強ができない☆を知ってしまった母が本気を出しただけで・・・

「来た時間から」だから 友達と遊んで帰ってもかまわない。一番混むのは7時頃、机が満席になると☆は解放される。

ちなみに机は正座式の長机。父が催す宴会に大活躍する。

本当は逆で、我が家に大量にあった宴席用の長机を勉強用に使っただけである。

世の中座敷用の机に文句を言う人などいない時代であった。

 

 

机は銅でもいいのだが

帰宅部・クラブ活動後・夕食後様 と来る時間は何となく同じ顔がそろってくる

一斉授業はない。

一年生はひたすら基礎学力の向上時間だった

小学校の勉強をろくにしていない☆には最適の勉強方法だった

 だって机に拘束されて課題やらないと出してもらえない、

最初は正負の計算、これは大変気に入った。星は単純作業が大の得意である

母手製の十枚綴りのドリル=まだくもんがなかった頃のくもん式=

一冊もらって机にへばりつき、100問終わると採点してもらう。

100問満点で次のをもらえる

99点でもやりなおし 同じのが手わたされる。

一回でクリアしたいと張り切る

一斉にスタートじゃないのに周りより速く提出したいと集中する

手書きガリ版印刷で今のように当たり前にきれいな活字ではないけれど 両親の腕は確かで学校の先生のプリントより断然見やすかった

用紙から5センチで見えていたと思う、

おんなじ課題何回もやらされれば最初のあたりは問題を視るまでもなく答えがかけてしまうのだけれども・・・

 

数学は大変良好で学期末テストで上位者に名前が張り出されている、と同級生が教えてくれた。しかもすごく上の方に。快挙である

ちなみに我が学年は50人クラス7組ある。100人張り出されても上位だ

通信簿も通学は学年通して4だった

5にならないんだよねぇ、

遠くを視よう

3年の担任は☆が学校にいても邪魔にするわけではない

同級生は1・2年の時にすっかり仲良くなっているから問題なく仲良しで優しい。

冬が来て学校の出席率が多くなるまで外の世界を楽しんだ

 

音楽のある日の授業で、先生はいう

「緑の木を見ると目が良くなる」

そう言って全員で校庭にでて 校庭脇の木の層を眺めた

木はたくさんあった方がいいらしい

家に帰って親に聞くと 目が疲れたら自然を見て疲れを取ることで病気を治すのではない、近視の人には良いけれど☆には効かないらしいと言った

 

でも先生が目が良くなると言ったのだから試すくらいはいいだろう

校庭脇の木々を見てもつまらない

けど、じっと見る

つまらない

じっと見続ける

なにせ時間はたっぷりある

木々は実につまらない

家の裏へ行って田んぼの向かいをじっと見る

ずら~っと家が並んでいる 家だと知っているから家なのである

何日も見続けるとそれぞれの家がわかってくる

まず なが~い一軒ではないことが明確にわかる

ある家の端っこには黄色いモノがある

別の家の真ん中には黒い穴見たいのがある

もっと端っこはおうちが小さい

反対側の端っこはぐちゃぐちゃしてる

真正面のおうちはいつも通り抜けている家だ よく見ると毎度すり抜ける隙間が見える、家の間が明るい

だんだん窓も見えてくる

通り抜けできそうな所を見つけては実際に言ってみる

柵があったり 縁側の真ん前だったり 気がひける状態だ

 

でも、「視て発見すること」はおもしろいし役に立つ

あっちこっちの「遠く」を観察する日々が続いた

 

神社の境内は横板が長い、とか

じゃらじゃらのリボンは何色だ、とか

じゃらじゃらには穴がある とか

八百屋の店先の赤いのは何だろうと リンゴに違いない

気にすることのなかった細かいことで「見ること遊び」をした

黒いあぜ道は田んぼの土でお天気の日はいいけど雨の日はぬるぬるだから気をつけよう

土色のあぜ道はただの土の道

草ボウボウのあぜ道は石や穴ぼこだから良く足下を見て歩こう とか

とんがった屋根は目印になる など

二学期の☆の授業時間は

=結果論で=見える、感じる世界から自ら関わる世界へ進む自主トレだった 

当たり前に無自である 

本人は有り余る時間を好きに使っただけである

汽車の窓から顔を出してはいけないよ

小学5年の時夜汽車に乗って静岡へ行った

 

どこかの駅で暇になる

5才下の弟が一緒で母は弟を視ている

 

待ち合わせだろうか、汽車は動かない

 

ヒマ

外は真っ暗

 

ヒマ

ちょっと窓の外を見る

窓から首を出して見る

遠くにとっても明るい光があった

ものすごく明るくてワクワクする

小さかった光はどんどん大きくなる

まぶしい程の光は

ふーっと見えなくなった

首を引っ込める

刹那? とたん? 

一秒もたたずして 言いようのない音と共に突風に襲われる

 

声も出ない

唖然である

 

間をおいて 納得する

ああ、あの光は隣の線路を走り抜けた汽車の明かりか・・・

母に見られていなかったことに安心する

 

3年の時の吸い込まれる風もすごかった

 

汽車って・・・・接し方で危ないものだと改めて思い知る

 

密かに自分を戒める

 夜は汽車の窓から顔を出すのはやめよう