医大 理不尽と生きる知恵 6

第5話 知力と体力の向上

手術失敗? 誰にとって?

翌日は 診察室でたっぷり絞られた

もう先生は嫌いになっているから聞く耳も持たない

次の約束など絶対しない

無言が一番
 
わたしの興味は病院という大きな建物に移っていた

退屈なお行儀の時間の後、さっそく行動開始

病室は6階 探検し甲斐がある

まずは裏階段からはじめた

なぜ裏かというと エレベーター前の階段に行く前に

看護婦室(ナースセンター)を通らなくてはならない

見つからないに越したことはないからだ

 

階段は地下から屋上まで同じ物で2色使いだった

クリーム色が奇数階から偶数階へ上がる色

偶数階から奇数階は薄い緑色で

どちらも明るい色でとても優しくいい感じ

等間隔で階段の数も廊下から踊り場 踊り場から廊下まで

全部同じで とても安全だ。

 

当然 運動会

いやーな地下へは いかない

 

六階から一階まで数えながら下りて階段の数を確認し

一階から屋上まで一気に駆け上がる

なれてきたら下りも走る

屋上のドアは鍵がかかっているから出られない
 
すっかり気に入って日課に決めた。

何よりも人がいない

廊下の色も奇数階と偶数階で違うので居場所が自動的にわかる

入院中ここで人と出会ったことは一度もなかった

 

さて、手術の翌々日

定例 午後の診察時間がやってきた

そろそろというときになって抜け出し階段に隠れた

「☆ちゃん 先生が来ましたよ」

返事はおろか どこにもいない

数人の看護婦さんが探しに歩いている

私は踊り場で声の様子に聞き耳を立てていた

そろそろ良かろうと下の階の廊下を通って

表に出て階段を上がった

裏階段はヒミツの場所だから見つかるときは表がいい

計算通り六階についたところで見つかる

 

看護婦;どこに行ってたの 先生帰っちゃたよ

☆;下に行ってた

看護婦;明日はちゃんといなさいよ

約束はイヤだから 無言

 

翌日は昨日通り抜けた

五階の雰囲気が気に入ってウロウロしていると

おじさんが病室に呼び入れてくれて

部屋の人とすっかり仲良くなった

 

外科&整形外科病棟で雰囲気も明るく 賑やかだ

目をひいたのが・・・・→ワクワク目が離れないのは

足を白い包帯でぐるぐる巻きにして伸ばしている姿

ギブスなど見たこともないからすごい足だと思った。

お菓子をいただいておしゃべりして

先生が帰ったころにおいとまをする

 

看護婦;今日もいなくなって。先生今まで待ってたんだから

    また帰っちゃったよ

 

翌日 敵もさる物(者でなくていい)

虻先生 午前中にやってきた

当然叱られる

虻;逃げてばかりだからこんな時間に来なきゃならない

☆;(明日は朝も抜け出そう)

 

医大 理不尽と生きる知恵 5

第4話 約束の行方

やっと来た手術の日

朝ご飯はビスケットが数枚

そんなことはどうでもいい

かえって準備運動みたいでわくわくした
 
今か今かと先生を待つ
 
やっと先生が現れた

虻;こんにちは 元気そうだね

にこにこして ベッドにすわる

並んで腰掛けて 足をぶらぶらさせてお話を聞いた

虻;これから手術しに行くことは知っているよね

 

☆;うん 私 目の手術するんだよね

虻;そうだよ。手術室に行って 手術するんだよ

☆;うん

虻;何にも怖くないから いい子にしててね

☆;ハイ

蛇;泣かないって約束してくれる?

☆;うん。泣かないよ

虻;痛くも何ともないからね

☆;うん

虻;☆ちゃんはいい子だね

☆;うん。・・にこにこ・・

虻;じゃ、先生と一緒に手術室に行こうか

 

ベッドから飛び降りて先生の後についていった

リュックサックがないのが残念

 

手術室は地下にあるが土地が斜めになっていて

エレベーターを降りたところはまだ半分地上で明るい

先生と仲良くエレベーターを降りて手術室へ向かう

手術室には 大きな鉄のような扉があった

異様な雰囲気に思わず立ち止まった

入ったら出られない気がする

 

虻;入って

☆;・・・・仕方がない、ついていく

虻;ここで待っててね

・返事をしなかった・

手術台は高くてよじ登るのにかなり苦労した

登って見ると部屋は暗く ひんやりしている

かなり広いが誰もいない

見たことのない部屋に興味を持って眺めた

広い部屋の中でひときわ目をひくのは真上にある電気

大きなかさの中にたくさんの電球があり、暗く、淡く光っている

電球の数は何度数えても途中でわからなくなる

ベッドに立ち上がって数えていると

?声;危ないからベッドにたたないで

どこからか声が聞えた 誰もいないわけでもなさそうだ
 
見えるものすべて見てしまっても誰も来ない、

広くて薄暗い部屋の高いベッドの上にいると不安になった

帰ろう

ベッドから下りてドアに向かう

さっきの声は止めようとしない

部屋を出ようしたところで見つかった

虻;待ってろといったろう

優しいはずの先生の声

・こわい・

・これは逃げなければ

とっさの判断で逃げ出そうとするがつかまってしまった

 

虻;つれってって

二人の看護婦に引っ張られ、ベッドに載せられた

物言わぬ二人の看護婦にもうひとり加わり、

押さえつけられて無理やりねまきを脱がされた

当然、☆はパニックを起こして抵抗する

さらに人が増えた

大勢に押さえつけられ服を剥ぎ取られ

寝かされて手足を縛られた
 
冷たい 背中が凍りそうに冷たい

出たい

寒い

帰りたい

 

手術が始まる前に 場所を拒否していた

抵抗も空しく手足どころか胴体まで縛られ

身動きできない

それでもメいっぱい抵抗した

そのうちに人が大勢集まってきて

魅力的な電気がパッと明るさを増す

 

☆;あっ!

一瞬電気に気を取られ抵抗を止めた

淡い光を放っていた魅力的な電気が まぶしいほどに輝いた

 

虻;いい子だね

わかっていない

 

電球を数えているといきなり目に枠をはめられた

黒くて大きくて硬い

目が閉じられない

とたんに押さえつけられていることを思い出す

イヤだ 怖い 怖いよ

誰も聞いてくれない。 泣く わめく

 

何かが目に近づいた

先が細くなった銀色の長いものだ

 水晶体がないと 目に近ければ近いほど良く見える。

 自分のまつげなら数えられるくらいに見える。

メスは 遠くにあれば存在すらわからないのに

目に近づけば近づくほど とんがっているのがわかる

視力がなくても 目の前にくれば見えてしまう

 

目に枠をはめるなど想像できるわけない

手術とは切ることだとも全く教えてくれなかった

近づいてくるものが何であるか見当もつかないが

縛り付けて 殺しに来る

さわるな! よるな! イヤだ!

メいっぱいどころか 命がけで抵抗

虻;もっときつく縛れ

先生の声が聞こえる

もっと強く抵抗する

 

強く縛られれば縛られるほど 泣き喚いた
 
虻;泣かないって約束しただろ

  約束を破るのは悪い子だぞ

  おまえが泣いたら手術ができないだろうが

  おとなしくしろ

  どうしようもないヤツだ

 

怒鳴られ 怒鳴られ 怒鳴られて

叱られて 叱られて 叱られて

どんどんきつく縛られて

 

だからどんどん逃げたくなる

なんとしても逃げないといけない

これはもう命の戦いだ

 

ふっと やさしい顔がのぞいた

しずかに そーっと覗き込んだ

パタッと泣き止んでその顔を見返す

白髪混じりのやさしい顔

地獄に仏の気分とはこういうのを言うのだろう

助けてくれると思った

 

「私がやろう」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大人になってわかったことだけれども

そのやさしい顔は眼科医長の今泉先生だった

角膜移植の権威で有名な眼科医だ

この医大の看板医だ

そのままやってもらえばよかったのに

斜視の手術を医長がするなどめったにないことで

泣きもうけだったはずなのに

そんなこと知るわけもない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今泉;こんにちは

☆;・・・・・・・・・・

  先生の顔をじっと見る

今泉;やれるかな、泣きすぎてるからな

☆;。。。。。。。。。。

 

メスが近づくと 恐怖がよみがえる

泣き始めるともう止まらない

虻の声が、約束したのにまた泣く と叱る

叱られれば叱られるほど、ますます泣きたくなる

担当、虻の声が聞こえると ムチャックチャ暴れたい

☆;・・うそつきはそっちだ・・

全身全霊の力の限り抵抗して 手術はさせなかった

 

今泉;こんなに泣かれたらもうできない、今日はやめだ

ベッドを取り囲んでいた人たちがいなくなる

虻;手術ができなかったんだから泣きやめ

☆はホッとしてパタっと泣き止んだ

  勝った 

  終わった

虻;おまえが約束を破って泣くから

  手術できなかったじゃないか」

  おまえのせいだ

悪態をついて先生は出て行った

 

私は悪くない

小さな声にだして 言いかえした

自分で部屋に帰ると言うのに 

注射を打たれ 眠らされてしまった

 

絶対に忘れない。

 

手術室までつれてくればこっちのものだ

くらいにしか思っていない

無条件に全面信頼しているから

言われたまま約束するのに

約束を破ったから おまえは悪い子だ

うそつきだ

ダメなヤツだ

最低のヤツだ 

信用できない人間だ

 

それが大人のやり方 ですか

それがお医者様 ですか

自分が信頼を裏切ったことに気づきもしない

子どもの心が壊れたことなんか知ったこっちゃない

 

人形の手術でもしていればいい

 

もう大人は信用しない

先生大嫌いだ

 

医大 理不尽と生きる知恵 4

 

第3話 あめだま

先生はごくごく普通にやさしい先生だった

お兄さんのようではない

:あめだま:を持ったおじさん というところだろうか

 

診察が終わると話しはじめた

「☆ちゃんは手術をするんだよ」

「ハイ」

「先生の言うこと聞けるね」

「ハイ」

「☆ちゃんはすなおでいい子だね」

「にこー」

 

「素直でいい子だ」と誉められて大満足だ。

☆は誉められるとお菓子をいただいたと同じにうれしい

すっかりご機嫌になって

「私手術するの」と得意になって触れ回った

遠足に行く気分だった。

 

斜視は簡単な手術と言っても比べる対象の問題で

遠足と同レベルに待つものではない

しかも簡単かどうかは医者の問題であって

患者にとっては失敗すればどっちも同じだ

手術という新単語が娯楽ではないことを

医者はきちっと説明をするべきだ

7歳にもなれば理解できるし

必要であるとわかれば、我慢の限界があるにしろ

一所懸命こらえようと努力できる

 

飴玉のおじさんは 釣った相手が壊れてもかまわない

甘い言葉でだましても目的は達成できる

餌に釣られた魚は 水を離れると大暴れする

命をかけた抵抗だ

飴玉で釣られた子どもだって さかなと大差ない

 

虻先生は 子どもを侮(あなど)っていた

子どもを信頼していない

子どもを バカだと思っていた

おそらく 子どもが嫌いなのだろう

それに、壊れたって かまわないのだろう

 

素直でいい子だと 誉められて

朝から晩まで手術に行くのが待ちどおしい。

1日2日先の「未知の遠足」へ夢をはせるのだった

 

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 3

第2話 入院

☆は新しい言葉が大好き らしい。

入院ってどんなだろう 

入院も検査も手術も、どれもこれも新しい言葉に浮かれてしまう

はじめての遠足

はじめての海

初めての学校が、とてもよかったから

初めての幼稚園の記憶が薄れていた

 

思い返せば、父と行った「はじめて」はろくなことがない

いいことの記憶が消えるほど ひどい目にあった

たくましくはなった

社会勉強 と 言えなくもない

 

家から歩いて 

今の足なら15分ほどの距離に医大がある。

朝、父に連れられ出かけた。

検査のために何度か通っていたから慣れたものだ。

その日はいつもの入り口と違うところから入った。

天井が高い、こんな天井の高い建物に入ったことがない

それに広くて暗い、

めいっぱいきょろきょろして珍しい建物を観察した。

私がよそ見することはいつものことで

手をしっかり握ってぐいぐい引っ張られて歩く

周りに夢中になっているうちに

父は受付を済ませ、

エレベーターに乗って病室についてしまった

 

眼科は6階。一番上だ。

エレベーターを降りると広い空間と真正面に階段がある

広い空間から左に伸びる廊下は細く長く暗い

何号室かは覚えていないが 東側の真中へんだった。

大人ばかりの8人部屋。

この部屋の中で少なくとも3回は引っ越している

誰かが退院すると ベッドの移動がある

動けない患者は角とか 考えがあったのだろう
 
「子供か」

最初に聞こえた声だ。決して喜んではいない。

父が周りにあいさつする。

当然一緒にあいさつしたのだろう、記憶はない。

あたりまえのことはあたりまえにやっているはずだ。

なぜ記憶がないかというと

はじめてみる病室というものに夢中だったからだ。

大きな部屋に白いベッドが並び

どのベッドにも寝巻きを着た人が乗っている。

窓は大きく部屋はそれほど暗くない。

6階だから空しか見えない

 

父はまもなく帰っていった。

その日はおとなしくしていたことだろう

いくらなんでも・・・。

周りの人とおしゃべりをしたり、

メいっぱい愛想を振り撒いて 

お菓子をちょうだいしたに違いない

病院で飢えた記憶は手術後くらいなものだから。

 

午後になって担当医が来た。

二人できたと思う。

「こんにちは。虻先生です。」とか何とか

「こっちにおいで」と手招きしたらしい

このときにほんのわずか違和感を感じた

私には見えなくて、挨拶して帰っていくのかと思った。

先生が後ろを向いて出て行くのを見ていたら

部屋の人が「診察だから行っておいで」

と声をかけてくれた。

そういえば、先生の手が動いたような気がする

 

先生の跡を追い看護婦さんの部屋の前を通って

西日が入ってとても明るい診察室に入った。

例のごとくきょろきょろして部屋を観察するのに夢中で

診察はいつもと同じでどうでもよいし、

特に変わったことはなかった。 

虻先生もごくごく普通に優しい先生だった。

 

 

 

 

 

医大 理不尽と生きる知恵 2

第1話 どうして医大

我が家の裏に:血のつながりはない:「家」の親戚が住んでいた。

そこの息子が医大で内科のインターンかもうちょっと上のお医者さん。

その内科の「お医者」さんが父に

「斜視は手術で治る、早いほうがいい」

と一般的な知識で手術をすすめた。

私の斜視は治るものではない。

たとえ一時期みてくれがよくなっても

白内障による左右の視力差が解消しない限り戻ってしまう。

そのことはすでにわかっているはずなのに

父は見てくれの悪い斜視にどうにもがまんできない。

 

そりゃそうかもしれない

 

目が曲がっているだけで 自分の娘が将来娼婦になる

なんていう目で見られたら耐えがたい。

生まれなきゃよかった と思ってももう遅い。

江戸時代じゃないのだから捨てるわけにも行かない。

そんな風に思っても何ら不思議ではない。

生きてしまって ここに居るのだから、

そのキモチを抑えるのが人間というものだ 

と 心得よ

 

父が(素直に)少しでも見えるようになってほしい

と願っていたろうから責めるわけにも行かない。

 まあ、見てくれ100%だったんだけど 言わない、知らない

しかし、医大の方はおかしい。

それまでの医療機関でことごとく、「この斜視は治らない」

といわれているのに なぜこの医大だけが

「手術で治る」と言ったのか。

内科の先生はともかく眼科が治ると思うはずがない。

スタートから間違っていた。

 

というわけで

小学校2年の4月 ひと月医大に入院した。

専門の方は まず、斜視にひと月の入院? と

疑問をもつのではないだろうか。

目の外側の手術だから 昔だって一週間だ。

 

私が 「今」とか 「このこと」

という「点」に生きるタイプだから

入院生活を悪かったとは言わないけれども

配慮というもののかけらもない

踏みにじることしか知らない医者を

今でも医者の資格のない人間と思っている。

 

生後手術をして下さった先生との出会いがなかったら 

眼科医 あるいは医者すべてを信用しなくなったかもしれない。

 

大人になって

医者の良し悪しを私個人の尺度で白黒はっきりさせて

信頼できないとおもう医者には

途中で帰ってでも、たとえ治らなくても

世話になりたくないと思うようになった基礎作りの入院だった。

 

私は自分の担当医の名前を思い出せない。

一月も付き合ったのにその一字さえも思い出せない。

10年後に偶然会った時はちゃんと覚えようとした。

そのとき、今後出会わないために名前は覚えておこうと思ったのに 

白衣に黒ズボンも怪しいくらいに 覚えていない

もし開業していて (間違ってでも) 出会うことのないためには 

名前は覚えるべきだと思うのだが・・・。 

 

この先生の呼び名を考えた

虻・蚊・蝿・蛇・うーん 虻にしよう

画数が少なくて、近づかなきゃ安全で大嫌いだから

 

医大 理不尽と生きる知恵 1

はじめに

 

盲目の少女は温泉街でマッサージをしながら身体を売る

人相学でも 目が曲がった女は娼婦 だという

闇の常識みたいに現代もなお人の心の底に流れ続けている

 

誰が言い出したか知らないけれど全く迷惑な話だ

斜視という状態を持っただけで、人格をさげすまれる被害にあう

若いとき街を歩くとキャバレーのホステスになれ、と誘われた

見てもいないのに「にらむな」と知らない人に怒られる

目に見えない障害も十分やっかいなものだが

目に見える障害もやっかいである

その上に 白内障はもはや病気ではない、とされ

障害者でありたいために治そうとしない とまで言われる

身体の障害は心も食らう

私、☆、は 闇と光と中間と 日々さまよいながら生きてきた

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

親はどんなに悔やんでも

産まれてしまった子供は育てなくてはならない

クリスチャンの家庭に育った父は

障害者と接する心得も学んでいた

しかし、正直 身内は別だ

決して口に出さず、面と向かっては態度にも出さず

でも、どうしても受け入れたくない

そんな親の気持ちはしっかり当人につたわるのことだって

きっと承知の上でも どうにもならないのだろう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今の私は思う

障害を持って生まれてしまったら

親の人生において

自分が「いらない存在」であることを

知り 受け止め

たとえ我慢やあきらめが見え見えで育ててくれていても

同時に存在する 優しさや希望が

「人」として 生きてほしいと「願う心」を感じ取り

生きる糧 と受け入れ

自身も「人」であるために頑張る

いつか本当の理解を得

喜びと共に「私の子だ」 と言ってもらえるように頑張る

それが 先天性身体障害 の本質だと

 

だから、世話してもらうのが当たり前だ、

と言う人間を見るとむかっとするわけだが それは別の話だ

 

障害物競走は 身体に障害を持たない人が

わざわざ目で見えるような障害を設置し

人より先に克服することを目指して「走る」

それを 遊びの一つで として楽しむ

私は 毎日生きることが障害物競走だった

私にとっての障害物は 「周りの人すべて」である

「人」「人間」といいランクに並ぶように

「人間として認めてもらえるラインが引かれたゴール」 へ

ひたすら走る

成長と共に その感覚は植物が育つように成長し

社会が広がれば広がるほど その必要性を実感

前へ進むほど風あたりは強く 障害物は高くそびえ立つ

同時に ほんとうの優しさからの励ましも知った

「問題事」さえ無ければ 「気にならない存在」という隙間も意識した

闇に染まるか

光を求めるか

生きるか

終わりにするか

分かれ道は数歩ごとに現れる

「人」の何倍も頑張って成果が上がると

「人」は成果を元の基準としてしか見ない

「普通に歩ける」=見える

本が読めるから=見える

日々「人」と同じラインに立つため

どれほどの物事をあきらめて生きているか

そんなことは 「判断基準のマニュアル」に存在しない

健常者が「できない」のは「しかたがない」なのでも

私ができないと「できないふりをしてずるい」と白い目で見る

損以外の何もない

これを不公平という

 

やっぱり 生まれてくるべきでなかった

そう 思うこともたびたびある

その都度

真剣に向き合ってくれた「昔の人」を思い出し

ひたすらに頑張った頃に 心を戻して

また 今日も 生きてゆく、

居直るのである

負けてたまるか

 

この医大のシリーズは

まだまだ つらい世の中に気がつく前で

実にのびのびとしている

私にとって この時期の記憶は大事な財産で

今でも 生きるための栄養剤になっている