サボりの指導 2 遊園地はあぶない

学校へ行かなくて良い

学校へ来てほしくない

 

よく理解していないのかわかっているのか

朝ランドセルを背負って元気よく家を出る

学校まで行き一年生の教室の脇から木の陰に行く

以前転んでも誰も助けに来なかったから底なら誰にも見つからないだろう

医大で培った隠れテクニックが生きる

すぐ飽きるのでこっそり学校を出て遊戯のある公園(遊園地)に行き遊びまくった。

ブランコも天まで大ぶり

鉄棒は逆上がりは入学前にできていたけどそこから何回でも回転できるようになった

念願の鉄棒の上に座るのもなんとかなった

ジャングルジムは完璧把握

シーソーは一人では無理

滑り台は階段を使わず簡単に上がれるようになった

雲底は大得意に

 

 

遊園地は午前中の居場所になった

世の中そう甘くない

「こんにちは」

・・・「こんにちは」

「私は指導員というのだけれども、最近ランドセルを背負った女の子が遊びに来ていると聞いてきたんだけどあなたかしら」

・・・(これは関わってはいけない)

逃げた

「待って」と聞こえて待てるか

 

 

翌日から遊園地はさけた

ランドセルもいけないらしい

 

朝家を出てこっそり戻り 縁の下にランドセルを隠して出かけることにした。

毎日外にいると太陽の位置でお昼がわかる 給食に併せて家に帰りランドセルと背負って丁度良く入れるようになった

そろそろ給食かな、と学校へ戻りベルを待って教室へ行く

誰も何も言わないからそのまま席について放課後までいる

それが普通になった

 

 

 

 

克服できなかった遊びが二つある

一つは上り棒

木登りは得意なのに上り棒はちっとも上に行けない

それでもしがみついていた

 

当時は足も使うなんて想像もしなかった 当然上へは行けない

他の人がどうやって上るかを見てるつもりで見えていない

手を持ち替えてる所と身体が上がっていくところしか視なかった

大人になって「未来少年コナン」のアニメを視て 「あぁ、足も使うのか」などと知ってももう上り棒はやらない

独学は限界があると何十回目かの理解にうなずくのである

 

もう一つはシーソーの端から端まで駆け抜ける

男の子が良くやっているのに私は落ちる

ゆっくりでも足を外す

未来永劫未だに板の上は歩けないままである

理由は極簡単で 片眼なのにそのことを品人が知らないから である

顔が横向きなのにも気がついていない

片目が因っているのも意識外

医大で目の状態の説明も受けていないし「タメ」とか言われてもちんぷんかんぷんで ただの悪口だと思っていた

より目じゃないから「タメ」ではないのだけれども状態の認識が全くなかった

片目で細い板の上を歩くのは大変なのだ

これも指導してくれる人がいたらある程度克服できたと思う

高学年では担任にいやと言うほど歩かされて見世物になっていじめられた。

そのためにできない記憶もバッチリなのだ

 

 

 

 

 

 

学校では私が休んでいることにはなっていないのだから捕まったらどうなっていたのだろうか

今にしてみれば疑問たっぷりである

 

 

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